自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(38)

猫の首に鈴をつける
猫の首に鈴

さきの「月界への通路」とは、
「私は十九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探求し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を『月界への通路』と題しまして記述し続けております」(『山岸会式養鶏法・農業養鶏編』1954年)

ともあるように、月界への通路はその道を通る以外には到達できないという一本コースなのだ?! 
つまり理想を実現する最善の方法は一つであってこそ、理想はその方法によって必ず実現する。それゆえ理想(目標)を自己の生活に日常化する(織り込む)方法が重視される。
ヤマギシズム〈実践哲学〉では、最終目的の実現はじつは出発点にかかっており、出発点と目的とは直線コースでなければ成立しないとしているところだ。
目的のためには手段を選ばないとか、山頂への道は幾通りもあるという考え方がある。どんな作り方をしても米さえ採れたらよいではないかというが、なるほど米は採れても作り方によって米の内容・質が違うのだ。

だとしたら、その目的への出発点に立つとはどんなことなんだろうか?
この間どこでどう思い違いをして迷路に迷い込んだのだろう。目的に到達するのが難しいのでなく、その目的への出発点に立つことが容易ではないのだとふり返る。
そんないざ実行となると、引き受け手のない至難なことのたとえに「猫の首に鈴をつける」というのがあるが、そんな躊躇する気持がある。

この間の山岸巳代蔵が取り組んだ「愛情研鑽」の世界がまさにそれである。
きっと大切なことが盛られているに違いないのだが、そこへ分け入っていく糸口がつかめないでいる。
それは俗にいう「フリーセックス」「退廃的な獣性」「放蕩」「禁断」「不倫」「姦通」といった言葉から連想される次元を異にする
「愛」「性」「性意識」「対意識」「性愛」「セックス」「エロス」「男・女」「夫婦」「恋愛・結婚」「繋がり」「親子」「家族」「情愛」にまつわる世界についてのことだ。
そこはまた西欧的な個と個を基点にした恋愛・結婚観とも異なるはずだ。

「山岸会の目ざす理想社会は、一人の不幸もあってはならぬ社会でありますから、その根本に自他一体観の、きびしい原理が自得出来ていなければならぬ筈で、この会旨を別なもっときびしい言葉で表しますと、
〝私はあなた、あなたは私〟
の体認に出発せねばならぬとするのであります」( 『山岸会養鶏法』1955.6.16)

ここでの〝私はあなた、あなたは私〟の「性」にじかに触れてみようというのだ。
「性=対」を出発点とした理想社会像を描いてみようというのだ?!
ほんとは猫の首に鈴をつけたいのに、誤解されることを恐れためらって尻込みしている自身の姿が浮かび上がる。
そこをあえて「性=対」を出発点とすることで一歩踏み出し鈴をつけてみせるのだ。
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