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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(40)

普段着がじつはハレ着だった?!

1980年代中頃から90年代にかけて、春はヤマギシズムの祭りや秋には文化祭のようなものを毎年実施してきた。なかでも春のタダの祭りでは十万個の卵を富士山に見立てて積み上げた「卵富士」や
卵富士

紀州みかんで財を築いた紀伊国屋門左衛門のミカン船を模した梵天丸
梵天丸

などで多くの人々の心を魅了した。
先に触れた「月界への通路」の一コマにも次のように記されている。

「金が要らない楽しい世の中に世界中がなると聞いた時、複雑に考えれば、到底不可能だと頭ごなしに否定する人もあるかも知れない。これは何かの考え方を入れて、複雑に考え過ぎているのではなかろうか。
軒端のスズメや、菜の花に舞う胡蝶でさえも、金を持たないで、何らの境界も設けないで、自由に楽しく舞い、かつ囀っている。権利も主張しないし、義務も感じていないようだ。
能力の秀れた知能を持っている人間が、なぜ囲いを厳重にし、権利・義務に縛られねばならないだろうか。
金の要らない楽しい村では、衣食住すべてはタダである。無代償である。
この村にある米も衣服も、必要に応じて、必要なものが、欲しいだけ、タダで使える。魚も果物も自由に店先から取って、欲しいだけ食べられる。テキでもフライでも鰻丼もむろんのこと、酒は飲み放題、高級茶菓子も意のまま。住むのに都合の良い家、住みたい家へ、どの家ででも起居できる。
元来誰のものでもない、誰が使ってもよいのである。みなタダで自由に使うことが出来る。
当り前のことである。
誰一人として、権利・義務を言って眉をしかめたり、目に角立てる人はいない。泥棒扱い、呼ばわりする人もない。
労働を強制し、時間で束縛する法規もなく、監視する人もない。
寝たい時に眠り、起きたい時に起きる。
したい時に出来ることを、楽しく遊んで明け暮らす、本当の人生にふさわしい村であり、やがて世界中がそうなる」

軒端のスズメや蝶のように自由に楽しく舞い、かつ囀っている姿を、真面目に人間社会の中にも具体的に写し出してみようとするその心意気が何とも愉快だった。
あたかも山岸会養鶏法でヒヨコを産まれたらすぐに米山の上で飼い、生まれながらにして物欲しそうにこせつかない富貴の相を備えさせるようにと、祭り当日も目前に山と積まれた卵やミカンなどを前にして、やり方一つで奪い合い取り合いにならない人間性を引き出し合う社会実顕(実験)でもあった。
世の規範、常識、価値観から外れたところに、参加された人々がまるでお伽の国のようだと感動させる生きた安らぎの場が立ち現れたのだった。
しかも祭りの中で何が一番良かったかと子供たちに問うと、「タダが良かった!」と皆応える。
そうなのだ。そこはまた、自分らの普段着がじつはハレ着だった! と言えるところまでやっていこうとする活力源でもあった。
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