自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(45)

母子間のコミュニケーション

先の一文での「赤ん坊が乳首を求めるようなもの」とはどんな世界なんだろう。その姿態に無性に惹きつけられる。
興味深い観察実験が行われた。出産直後の母子を暖かい個室に入れ、赤ちゃんをお母さんのおなかの上に置く。すると2時間ぐらいのうちにじわじわ這い上がり、おっぱいを飲み始めたという。
赤ちゃんが産まれてすぐしたいのは、他の哺乳動物の赤ちゃんと同じくおっぱいを飲むこと。しかもおそらく匂いを頼りに、ちゃんと乳房に到達するのだ。

また鳥類などに見られるヒナと親鳥の〝鳴きかわし〟も心ひかれる一例だ。
ハイイロガンの卵を人工孵化して、ガチョウに育てさせようとした動物行動学者K・ローレンツ博士は、自分の目の前で孵化したヒナの黒い瞳でじっと見つめられ、不用意にヒナからの最初の挨拶の声に二言三言挨拶の声を返したばかりに、このガンの子マルティナは博士を母親だと見なしてしまった。
K・ローレンツとハイイロガン

「あわれなヒナは声もかれんばかりに泣きながら、けつまづいたりころんだりして私のあとを追って走ってくる。だがそのすばやさはおどろくほどであり、その決意たるや見まがうべくもない。彼女は私に、白いガチョウではなくてこの私に、自分の母親であってくれと懇願しているのだ。それは石さえ動かしたであろうほど感動的な光景であった」(『ソロモンの指輪』)

こうした母子間のコミュニケーションに内在するものが現れ出る愛らしい姿に心から魅了される。
なかでも
「母親は乳房を吸ってもらう喜び、子は吸う喜び、互いに生かし合っている姿」、
「求めるものと応じるものとの全面一致」
するこの時期をこそ刮目して見るべきだ。

子は母親の乳房をむさぼるように吸う。しかもまるで死にもの狂いの勢いでなめ廻す。目で乳房を見ながら、手で乳房を摑みながら、口で乳首を含み、口腔に挿入される乳首を感じて乳を吸う。吸われた乳は喉から胃へ入る。そして腸をくぐり抜けて肛門から排泄される。
しかもこの時の手のひらや顔や舌や唇や胃袋や排泄などの感覚が気持ちいい〈快〉感なのだ。反対におっぱいが足りない時やおしめが汚れた時や眠りが足りない時は〈不快〉感でむずかる。

そこには乳を吸うという「食」の行為と共に、乳房をなめ廻したり口腔に挿入される乳首を感じて乳を吸う行為はまさに男性器が女性器に挿入されたり性的な愛撫を行う「性」行為そのものと重なり合う。
この時期、身体を育む栄養素と共に母から子へとただ一方的に注ぎ込まれ、受け身で浴びるものがある。

「ただ要するものは親が子を愛すると同じ親愛の情です。
自分だけ覚えたら出席を止めて、後を教えて貰えぬと腹を立て、後かまわずに離れるでなく、後に続く人々に、自分の持てる凡てを、〝かつて自分が受けたように〟、与えて、与えて、与え尽す愛の心です。後れている人は吾が子です。吾が子に与える喜びに生きる、喜びの自分を発見するのです。
私の持っているなけなしのものも、早く貰って欲しいです。貰って怪我や食傷せないよう、真の人間らしく早く成長して欲しいです。成長に応じて差し上げます。人と人とが、権利よ義務よの法律のみでは、円滑な、感じのよい社会生活は絶対出来ないもので、与えて喜び、受けて喜ぶ、相愛社会に永久の安定・繁栄があるのです」(山岸会養鶏法)

こうした気持ちいい〈快〉感なるものこそ、「喜び」とか「生かし合い」とか「一致」の起源であり、誰の心にもある真実なのだ!
この眠っている、閉ざされている真実を開眼・解放することにこそ生きがいを感じる。
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