自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(20)

自然界の歪みの良さ

最近の実顕地づくりのテーマに「先を見通し、実顕地の将来像を描く」がある。だとしたらその先が見えてくる描きの底辺となるものは何だろうかと思いをはせてみる。
ふだん研鑚会などで取り上げられるテーマは常に何か問題事が生じ、その問題をどう解決するかといったそこからの抜け道を見つけようとするような対応策にとどまる場合が多い。
当事者であるがゆえの自分らの置かれている立場からの利害・損得に走り、それはこうしたら良い、ああしたらといった狭い袋小路に入り込む意見のやりとりになっていく。
なかでも公意と私意、皆の考えと自分の考え、全体の意志と個人の意志との間で、提案する人と調正される人という相対関係や矛盾をどうしたら解消することができるかといった問題に日々迫られている感がする。
こうした当事者であるがゆえの先入観で変形された近視眼的な自分らであることを痛感し、そうした立場や問題から離れて物事を見ていく観方の難しさにぶつかる。

そしてふと気づく。相対関係や矛盾をどうしたら解消できるかといった考え方の中にこそ、間違いが潜んでいるのではないかと。あたかも金を儲けようという考え方からは、金の要る社会しか見えてこないように……。しかも問題は常に暗い否定的なイメージで問題化されがちだ。
まずは暗い人生観を転換せねばならない。このことは、すべてを放して考えてみるという次元の〈転換〉を意味している。「明日の幸福は、今日の歓びの中から生まれ出るもの」とする出発点に戻るべきだ。
かって詩人・谷川俊太郎は、第一詩集『二十億光年の孤独』でうたった。

「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」
「宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」
アインシュタイン

アインシュタインによれば、万有引力とは時空の歪みのことだそうだ。宇宙がひずんでいるからこそ、みんなが切実に心の手を差し延べ合う衝動にかられるのだろうか?
つられて次のような一節が浮かんでくる。

「私の性格は、実はそうではないのですが、事に当たると数理的に走り、自然界の歪みの良さを容れないために、殺風景で味がありません」(山岸会養鶏法)

そうか!「自然界の歪みの良さを容れる」って、当事者であるがゆえの様々な相対関係や矛盾を「歪みの良さ」へと転じるというか包み溶かし込んでしまうことなのだ?

心は宇宙自然の歪みから齎される! 歪んでいるからこそ、不調和状態の中で調和状態を保とうとする働きが生まれて世界を潤いで満たす。しかしその調和を満たした時、必然また矛盾が生まれ、次の調和を目指す。
そんな自然と人為の調和をはかるという生き方で、問題(=矛盾)がないのではなく、次々問題を問題と見做さない汲めども尽きぬ味わい潤いで溶かし込んでしまおう。
 
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