自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

新年にあたって

新年にあたって
元旦
 
過日もうすぐ満一歳の誕生日を迎える孫娘が部屋に遊びにきた。活発に腹ばいで後ずさりしたり畳を這い回りしながら、好奇心いっぱいの目を輝かしている。そのうちに子猫の写真が刷り込んである買い物バックに気づいたのか、ジーッと見つめ、その後も気にかかるのか何度も振り向いたり、ちっちゃな指を伸ばそうとするしぐさもする。
この時、彼女の中でいったい何が起こりつつあるのだろう。きっと子猫の姿形に心がさざ波立ちはじめているのだ。この間滞在していたお母さんの実家の猫と〝おなじ〟だというのだろうか。お母さんの胎内での記憶がよみがえってくるからであろうか。
きっと相合う一致のイメージが重なり合う新鮮な驚きでいっぱいにちがいない。周りの親たちももう嬉しくて「ニャンニャン」と赤ちゃん言葉で呼びかけてやる。
この時期の大洋を湛える子どもの心は、〝もの〟と〝なまえ〟の一致像の広がりにつれて、ヒトが人になる豊かさ、広さ、徳性のようなものが備わっていくのだろうか。
しかしこうした親から子へと一方的に与えて与え尽くす親愛の情は、その後の他を責めたり、憎んだり、苦しむ頑固な観念我に囚われることで見失い断ち切れることがある。

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、政治・経済機構も大改革されますが、その何れにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以です」(『ヤマギシズム社会の実態』)

特講を受けるまで「人と人との繋がり」の世界とは、我利・我欲・自分本位の「人と人とが離れ、相反目している」むき出しの生存競争社会のことだとしっかり思い込んでいた。だからずっと人見知りして生きてきた。
でもよくよく研鑽すると「人と人との繋がり」の世界でこそ、最も相合うお互いの一致像を求め惹かれ合って似合いの〈夫婦〉となれる場でもあるのだ!
しかも遠く離れた人との結合ほど良縁で、優秀な子孫が産まれる事実は、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄にあるのだ!
見ず知らずの赤の他人から身内にと瞬時にヒックリ変わるこの不思議。「その関連を知るなれば」、つまり繋がりそのものの自己を生きることで、みんなで「わが一体の家族」を現してみようではないか。
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