FC2ブログ

自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

17 山岸巳代蔵の眼に映ったもの

「一日、或る人家の軒下を流れとどまる下水溝に、黒く細長い、蛭(ひる)にも蚯蚓(みみず)にも、八ツ目うなぎにさえも持たない、熾烈な悪寒を覚える醜体の、一匹の虫のうごめきを見ました。青年時、庭先でこれによく似た、頭部が銀杏の葉のような形に拡がった、黒い虫を初めて見た時、慄然とした印象が今なお蘇りますが、こういうものを見ると逃げ出したくなり、目につかねばよかったのに、また何故あんな虫がこの世に置いてあるのか、そして何を楽しみに生きているのかと、時々思い出して暫(しば)し耽(ふけ)ることがあり、何時水気がなくなり干乾しになるか、どんな劇薬や苦いもの、酸いもの、辛いもの等が流れて来るか、熱湯をかけられるか、不安の日夜をのたうって、三日がかりで漸(ようや)くにして遡上したものを、一夜の水にどこまで流されるやら、あなたまかせの生活史です。今日はうどんの煮汁か米とぎ水か、魚の臓物の饗宴にありつけるかと、あわれうたかたに望みをつなぐ生涯でしょう。しかし、また案外数少ないであろう彼等にも、配偶者に会う仕組みは、うまく与えられてあるのか、種の絶滅もなきまま、こうして産み付けられた吾が身の不運をかこっているかどうか、詮索したくなります。人間の誰かと引き較べて」(山岸巳代蔵)

以下のような挿話も残っている。

「先生とあちらこちら廻っていた頃、大阪のどこかのうどん屋に入って、そこを出がけにうどん屋の裏手に熱い湯が流れている溝に二匹のけったいな虫を見つけて、『ほれ見なさい。あんなやで。あんなやろ。あんな中にいても二人で居る。そういうものや』と言わはった」(奥村きみゑ談)

「ゲジゲジみたいな虫を見た時、『何で、こんな虫が生きているのか?』『成るべくして、そう成っているのだな』『そこから全てが解けて、ショックのあまり倒れるほどだった』」(渡辺操談 山岸巳代蔵エピソード集より)

たまたま目にしたありふれた光景の、ここのどこがスゴイのか?
きっと山岸巳代蔵は生涯幾度となく、「そういうものや」と見る眼から自ずと立ち現れてくるものに琴線を揺るがしたにちがいない。

いったいなにが眼に映ったのだろうか。
関連記事
スポンサーサイト



PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する