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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(59)

「自分が自分に出会う」手ごたえ

その頃の自分はぽつんと一人きりの、おぼろげながらも「自分が自分に出会う」手ごたえのような感受だけが唯一自分をリアルに確かめられるような心境にあった。
さきの山岸巳代蔵が安井さんに語りかけた、

“こうなったという事実を認めても自分で裁くのはどうもね。
本当は良いか悪いか分からんのやから、自分も責めない、人も責めないでその中で生きていく強い自分になることやね。そこから明るい豊かな世界が開けるのよ”

といった、
「事実その中で生きていく強い自分」
を見出す自らの体験について思いめぐらしていた時期と重なるだろうか。
「事実その中」に秘められているようにも感じられるリアルな自分に突然出会っては思わず〈やった!〉と独りごちて充たされていた。

テレビのミニ番組〝にっぽん巡礼―心に響く100の場所〟から
「そこで羽田さんは自分と向き合います」とのナレーションの声が飛び込んできたのは、そんな時だ。
女優・羽田美智子さんが幼少の頃から何度も訪れたことがある海岸の岩場にそびえ立つ鳥居を前にして次のように語るのだ。
大洗磯前神社_神磯鳥居

「鳥居の足元にも、波がかかったり、穏やかな波が来ようが、激しい波が来ようが、頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると、自分は自分だと、あっこういうことなんだと、気づかされるんですね」

嬉しかったね。うまく言葉にならないところで同じような思念を何度もくり返していたからか、羽田美智子さんの「自分は自分だと」いう発言から瞬時に自分が心底納得する自分に出会えたような歓びに充たされたのだ!

あるときこの話を研鑚会で出したら、誰かが「私の場合は、“どうせ”がつくのよねぇ」と発言して皆で大笑いしたことがある。あまりに言い得て妙だったからである。
「どうせ自分は自分だと」仕方なく諦めがちな普段の自分らを言い当てていたからである。
だとしたら次のように問われるはずだ。

そこで見い出されたリアルな自分とは?
そんなリアルな自分を産み出すそこは、どんな場所なのか?

鳥居を前にして「頑として動かない、この揺るぎない感じをずっと見ていると」、自身のいわば〝原風景〟のようなものが迫り重なってくるのだろうか。羽田美智子さんも次のように語る。

「はじめて触れた海で、家族の笑い声とか…童心に還るというんじゃないけど、ふっーと力が抜けて、なんか休まる場所ですね」

そしてそんな〝休まる場所〟が跳躍点というか出発点となって「自分は自分だと」ふっとひらける瞬間が生まれたのだ!
自分が自分であることの、想像を絶するほどの驚きと喜び。
あらためて、そんな出発点に立ち戻った〝休まる場所〟とはどんな世界なんだろうか?

ともあれ「自分は自分だと」、そのように自分という存在を受けとめられるところから「私の倫理」なるものが呼び醒まされるのではないのか。
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