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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(66)

真実、それに自己を生かす

一九七〇年代の初め頃、〝ボロと水〟と書かれた車に乗って、ときには両手に風呂敷包みを提げながら、『ボロと水』という名のヤマギシズム運動誌を全国のミニコミ誌を扱う書店に行商して歩いていたことがある。
当時の時代背景もあったのか、自分なりにこの〝ボロと水〟という名が実に気に入っていた。天下に響く名だと確信していた。その第3号に、今は亡き亀井のおばあちゃんの第一回特別講習研鑽会(一九五六年)に参加したときの手記が載っている。
その中に講習期間中に危篤状態に陥った山岸巳代蔵が三センチ幅のザラ紙に二Bの鉛筆で「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」との遺言状を書き付けた経緯が記されている。

何を言わんとしているのだろう? こういうことだろうか、ああいうことだろうかとその真意を探ねて今日まで来たようなものだ。

さきのフーコー最後の講義(1984年2月~3月までで6月には亡くなる)は、ほとんど哲学史でも顧みられることの少ない古代キュニコス主義を新しく独創的に照らし出した『真理の勇気 自己と他者の統治Ⅱ』だった。

紀元前4世紀ストア学派の母体とする犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して犬のような生活を送り、大樽を住処にするといった粗雑で粗野な哲学者・ディオゲネスなどを取り上げるのだ?!
その外見は、垢にまみれ、着古した上着を二重折りにして着用し、粗末な頭陀袋を持ち、家もなく、日々の糧を物乞いして放浪する。
それはまさに〝野良犬〟の生きざまであったという。
そんな〝変わり者〟のディオゲネスの身振りの数々の逸話だけがくり返し語られ今に残っている。

いったいフーコーは、ストア派からより遡るキュニコス派に何を見て何に心惹かれたのだろうか?
毎回フーコーの講義は、途中休憩を挟んで約二時間電気スタンドの明かりを灯し準備した原稿をトップスピードで読み上げるのだが、
この年体調はすぐれず最終回となる一週間前の講義(3月21日)では「ひどい風邪を引いてしまって、中断することになったらどうぞご容赦ください」と述べるところから始めている。
そんな状態のなかでキュニコス主義の実践について語るフーコーの心の眼前はいかばかりであったろうか。

もちろんどこまでも〝群盲象を撫でる〟憶測の域を出ないことは重々承知の上で、きっと希望と歓喜に燦やき、求めたものが得られた幸福に充満していたのではなかろうかと、つい勝手に思い込みたくなる。
群盲象を撫でる

自分自身を省みても、もし自分が曲がりなりにもヤマギシズムでいう「ボロと水でタダ働き」の一端に触れていなければキュニコス主義の〝持たない〟実践の豊かさについて興味を持つきっかけもなかっただろう。
フーコーは最後の講義を次のような言葉で締めくくる。

“この世において自己の真理を解読すること。自己および世界に対する不信、神に対する恐れとおののきのなかで、自己自身を解読すること。これが、そしてこれのみが、我々が真の生に到達することを可能にしてくれるものとなります。真の生以前の生の真理。この逆転のなかでこそ、真の生と真理本位の生とを同時に生きようと常に熱望していた古代の修練主義、そして少なくともキュニコス主義においてはそうした真理本位の真の生を生きる可能性を肯定していた古代の修練主義が、キリスト教的修徳主義によって根本的に変容させられたのです。
以上です。こうした分析の一般的な枠組みについてみなさんにお話しすべきことがあったのですが、しかしもう遅いのでここまでにしましょう。どうもありがとうございました。”

かつて今も真理を語ろうとすることで〝真理本位の真の生を生きる〟自己を本気に真面目に生きてみようとした時代があった、人々がいた、いることに驚かされると同時に親しみも感じ心底励まされる気がしてくるのだ。
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