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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(25)

移りゆく季節の中で

春4月に入ってすぐ1日~4日まで毎年2回8年間続いている恒例のサッカーをしないで〝自主、自立。チームワーク。コミュニケーション。食事〟を目的とした地域のサッカーチーム110名ほどの子供達の合宿がはじまった。畑の堆肥まきや牛舎や豚舎での元気なかけ声や振る舞いを通じて村は一気に春の息吹に満ちる。

続いて桜がちょうど満開になった頃には、一年間親から離れ仲間たちと過ごす幼年さんの入学式があった。早速次の日からカモの親子が一列に並んで歩いている光景そっくりに、村のいたるところで幼年さんに出会うことになる!
そうしたいつの間にか見慣れた風景になっているけれど、ちょうど十年前久しぶりに村で幼年さんの受け入れを再開した頃が思い浮かぶ。村の空気が一変したのだ! 神出鬼没する幼年さんの無心の振る舞いにどれほど心が和み励まされたことか。加えて以前からの養護部の子らの日々の散歩や職場の行き帰りの姿とも重なり合って、どんなにか豊かな村づくり像が皆の心に刻まれたことだろう。

今年は遅咲きの桜並木の開花と共に、梅林や桃園やぶどう棚や木蓮や菜の花々がほぼ時を同じくして咲き揃う絶景の中を、地域の老人ホームのお年寄りを乗せた車がひっきりなしに行き交っている。
そんなある日ふと見上げると、青空に尾ひれを豊かに振るう鯉のぼりが踊っていた。そういえば今朝学育の子らが、以前5月の春まつりに向けて設置した高さ33メートルの鯉のぼりの支柱の下に集まっていたっけ? もうそんな木々の若葉の緑が一斉に目に飛び込んでくる季節に移っていたのだった。
柿の木の若芽

なかでも道端の柿の老木の新芽は若芽色が鮮やかで、それがひび割れ白茶けた木肌から出ているのが何とも不思議でならない。だって老木だから、多少は赤茶けた新芽であってもよいはずなのに、といった滑稽な思いに囚われる。
人為の如何に関わらず自然界では若木、老木を問わず若葉の芽生えは緑色なのだ!

年を重ねた今、今が一番新しく、新しさが若さであり、今の自分がそうである。そこには一切のキメツケは要らない! それなのに先にあるものをだんだん古くなっていくようにキメツケて考えがちな人の哀しさよ。
しかしもうそんな心配は要らない。じつは自分らの村づくりはそんな矛盾をも包み込んだ上で構想されているからだ。
つまり我執がなくなったら理想郷を造ろうでなしに、まず仮の理想郷を造って、本当に仲良く暮らして行くには自分の引っかかりを放す以外にどうにもならないという、方法を以てすれば解消されていく仕組みなのだ。

そんな理想を求める自分らが本当の仲良い姿になる場、方法が必要なのだ。豊かな村づくりの秘鍵もどうもその辺りにありそう。どんな人もどんな難問題もみな溶かしてしまう親しい温かい空気のような気風から……。
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