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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(69)

ヤマギシズム人間像

そんな古代のキュニコス的人間像にヤマギシズム人間像を重ねてみたい。

“ある時、ディオゲネスは、
「人の姿を見て犬と呼ぶ人がいる。では、人間はどこにいるのだろう?」
と言って、昼間にランプの火をつけて人間探しをした”
真っ昼間にランプを灯して人探しするディオゲネス

という。じつは山岸巳代蔵もそうだった。ヤマギシ会運動とは、物に乏しい人々を訪ね、心の豊かな人を探す旅の途上にも例えられるだろうか。
会が発足したのは1953(昭和28)年3月。以来「五五会」と称して、毎月五の付く日に京都市内の会員有志宅に養鶏支部会員の代表が寄っては、運営面等の研鑚会が開催されていた。なかでも毎月十五・十六日の研鑚会は夜明かしで〝幸福〟についての話し合いももたれていた。
その頃、京都府船井郡八木町諸畑部落の会員、明田正一が山岸巳代蔵宛に

“キチガイになれたのが嬉しい。キチガイが治らぬうちに来る気はないか”

との手紙を出したら、早速次のような葉書が届いた。

“前略 過日は五五会で忙しくしていましたので、お話も出来ず残念でした。
八木の支部にもそんな変り者がいたということは知らなかった。
変り者を探している。変り者を探し合って、変り者でない人を変り者にしようじゃありませんか。そして世界中の人みな変り者に変えましょう。
変り者を一六日に送って下さい。昼は向日町で養鶏。夜は当向島で変り者の変わった会をやります。”(一九五五年六月八日付)

そして七月から山岸巳代蔵自ら諸畑の地にヤマギシズム社会のモデルを造りたいと、
“掘立小屋を建てて、藁の上で筵(むしろ)をかぶってでもやっていく。私は諸畑の土になりたい”
といって、自分で育雛も始めたと伝えられる。
無口だが時々奇抜なことを云う明田正一さんの人となりに惹かれた山岸巳代蔵は次のような葉書も寄せている。

“あなたの業跡は全人に幸せを齎すものです。諸畑の革命は世界革命への第一発であり、これが決して誇張した言葉でなかったことを後日事実をもって証明するでしょう。
いかに叫んだところで、行う人がなかったならば、言わざるに如かず。
みんなで研鑽した理論が空論でなかったことにする手始めは、舞台一ぱいに踊るあなた方の、演出実技に俟ったもので、作者と役者と一体になって、出来るか出来ないか、世界の観衆の前で試演しましょう。熱演しましょう。あなたと私の繋がる全世界の人、その子孫永久の幸せのために、全力を傾けましょう。
(中略)
             山岸 巳
ほうけ者の親玉・子玉・孫玉各位
酒呑童子の世界相手の暴れ振りに期待しつつ
(一九五五年八月一四日付)

事実現在の春日山実顕地(三重県)の前身、「百万羽科学工業養鶏」創立への参画者第一号は明田正一さんだった。
そんな明田正一さんに限らず、たくさんの後光が射して見えるヤマギシズム人間像との出会いが思い浮かんでくる。
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