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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(26)

仲良い楽しい大家族

今日は伊勢志摩の磯部農場へジャガイモ収穫に行ってきた。トラクターで畝に掘り起こされたジャガイモを大まかに大小二種類に分けてコンテナに入れていくごく簡単な作業。しかし中腰になってより分けているとすぐに腰が痛くなってくるし、さりとて腰を下ろして膝をつくと今度は立ち上がるのが億劫。そんなこんなで汗が噴き出してくる。
向こうの畝では幼年さん達がカラフルな砂遊び用のバケツ(?)にジャガイモを入れていたり、久しぶりに再会した者同士で写真を撮ったりしている。

こうした老若男女入り混じっての光景に、ふと先月の本紙「広場」欄にあった河合さをりさんの〝御浜の甘夏収穫に行ってきました〟の一文が重なった。そっくりそのまま再現されているさまにビックリ。
四月の下旬「地域の会員さんも一緒にどうですか」と声かけてもらって参加した大満足の南紀御浜での甘夏収穫体験記だ。

「手の届くところを採る人、とった甘夏をまずは食べ始める人、力のない人は二人でコンテナ運びを楽しんでます。木に登る人、そのうち私も、上から落としてもらった甘夏を受け取るのが面白くなり、いろんな人と組んでみると個性豊か!」

今日のジャガイモ収穫でも、韓国実顕地から研鑽学校に参加されている趙貞姫さん(80歳)がニコニコした表情で次のような感想をもらされていた。

「幼年さんから自分のようなお婆ちゃんまでまるで大家族のようでした!」

大家族? そんなのどこかの組織体の企画行事にすぎず嘘っぽいヨ、といった冷めた観方や考え方もある。そうだろうか。
 というのも最近事あるごとに
「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、……」(『実践の書』)という一節に思いを巡らしていると、資金があり、ジャガイモ畑があり、作る人が大勢居ても、それだけでは実現しないことがあるのではと気づかされるからだ。
そうしたことが普通に和気藹々のうちにやれているのは、そこの場所や人達そのものでなく、人の心の中にある「と」において繋がっているものに後押しされてのことではなかろうか、と。

例えていうなら、身体の病傷の時、意識あるなしに関わらず全身心が動員してそれを取り除き正常の方向へと合わせていこうとする力が働いているようなものだろうか。
しかも〝人と人によって生れ〟から親が子を愛する親愛の情が溢れ、〝人と人との繋がり〟によることで、人は自分以外の他の人と出会うことで、幾千里離れていても夫であり妻であり、兄弟・親子の間柄にある〝家族〟に象徴される繋がりを明示しているようだ。
そうした何だか身内ゆえのほのぼのとした温かいものが紐帯となることで、〝大家族〟もあながち嘘にはならないであろう。
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