自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(72)

愛情徹底研鑽会

昭和三十三(1958)年夏、三重県阿山郡春日村(現在の三重県伊賀市)の春日神社の裏山の松林を切り拓いて、「山岸会式百万羽科学工業養鶏」構想に参画した人々の理想顕現の場づくり(現在の春日山実顕地)が始まった。
百万羽杭打ち

当時としては他に類を見ない百万羽の養鶏工場を創り上げるのだということもあったが、やはり一番の魅力は心一つの人たちと共に考え行う一体生活なるものを一ヶ所に寄ってそれぞれ専門分業の一員としてやっていく、そんな生活がどんなにか素晴らしいことだろうかと夢膨らんだからに他ならない。
仕組みとしては、〝ヤマギシズム生活調正機関〟なる任意の組織を設けて、その機関に参集者一人一人の生活の総てを全委任して、同じ思いで何もかも委した人達全員の意志で調正運営していく方式である。
生活の総てを全委任するとは、身、財、命までを意味した。智恵も、考えも、能力も、体力も、総ての物も、お互いに持たないで自由に使い合う仕組みにすることで、皆と共に〝ゆりかごの前から墓場の後まで〟安心して仲良く暮らしていこうとするまさに〝自己より発し、自己に還る〟ヤマギシズムの実践であり、そうした社会のあり方を世に問うためにも参集したのだった。
こうして老人・幼児を含め二百名近い人たちの〝一体生活〟が始まった。
しかし個人生活から、慣れない〝一体生活〟に入るわけだけだから、最初のうちはとまどいの連続である。いや、今尚過度期のとまどいの連続かも知れないが……。
例えば経理部では、皆の財産整理からの出資金は数千万程度に上ったがすぐに底がつき始める。宿舎でも基礎がしていなく細い杭を打ち込んでその上に乗せる簡易な建て方だったが、鶏糞乾燥場、育雛舎、大雛舎、成鶏舎、研鑽会場建設が目白押しに続いた。
また人事部では、各部門の最低必要人員決定と現金収入を得るために一般労務員(土方仕事など)の捻出が急がれた。
日々の労務配置で、各部からは気づかぬまま自己本位的に「新人は困る。もっと慣れた人に来て欲しい」という気持が出てくるからだ。
一人ひとりが本当に楽しい場に就き、またそれを活かすことが楽しいという〝一体の妙味〟をいかに生み出すかが日々直面する切実な課題だった。

ではその頃、山岸巳代蔵は何をしていたのだろうか?
山岸巳代蔵全集所収の年譜には、

“1958(昭和三十三)年 57歳
八月十二日 起工式を挙行。この頃、春日村の元村長中林宅の離れに柔和子と共に移る。その一方で頼子のいる四日市のアパートへも通う。“

と記されている。
そしてそこから春日山に出向いては、養鶏の飼料設計や消毒方法や鶏どうしの尻つつきや羽食いなどを防ぐ手立てについての飼育係からの相談に乗ったりはしていたが、実際のところ愛情問題の解明にほとんど占められていた。

柔和子とは第三九回特講(京都、三鈷寺)で出会った福里柔和子(当時38歳)のことであり、頼子とは第四回特講(京都、三鈷寺)で出会った井上頼子(当時19歳)のことである。
その頃山岸巳代蔵は、京都向島に住む妻・志津子とは別居して、昭和三十一年秋頃から三重、四日市市の会員井上与男宅で井上頼子と住んでいて、昭和三十三年三月末には福里柔和子との婚約発表をすませている。
これには四日市支部の会員も動揺したらしい。そうした山岸巳代蔵の行動が四日市支部の研鑽会でも話題になったが、本人は一切弁解をしなかったので並みいる人々は二の句がつけなかったという。
かくして、三重県菰野の見性寺に関係者(頼子や柔和子らも参加)が一堂に集まって持たれたのが、暮れも間近い一一月の末から一二月の初めにかけての愛情徹底研鑽会だった。

山岸巳代蔵にとっては、愛情に関する問題は、非常に大きな課題であり、一体世界における、無固定の結婚はどうあったらよいのか、これの究明・解明・実証こそ、その本願とする全人幸福への最大不可欠の課題とみなしていたようである。
一方、『百万羽』構想や会活動を現に進めている当事者らにとってみたら、またとない山岸巳代蔵の真意を問いただす場でもあった。
その一部がテープに収められて保存されている。引用してみる。

“奥村和雄(『百万羽』参画者) まあしかし、この、愛情問題ちゅうか、これはもう、みなが非常に関心持ち、また、今の社会には受け入れられないと、二百年後の社会であればいざしらず、これが山岸会の進展に大きなマイナスになっておると、今としても『百万羽』の進展に非常に影響しているということも事実。また参画しておる人も、これがために非常に不安な気持になっている。本当の腹の底から力が入らないということ、これはまあ事実、私みたいなものでもそうなんですけどね。”

“岡本善衛(会員・三重県県会議員) またあの、おそらくねえ、そりゃあ、あなたのような心境になったらどうか知らんけどね、しかし現実社会に生きる人間がね、そういうことなんかあり得ない。わしゃあ一番困るのはね、東京で、
「山岸さんっていうのはそういう状態で、山岸会はそういう問題、非常にルーズらしい。どういう考え方だ?」
と、こう訊かれる、わしゃあ、当然困る。
でね、「そりゃね、恋愛の我々の旧道徳というものよりも、もう少し高い所でね、見てると。だから恋愛の問題だけはね、たまたま旧道徳を超える場合があると思うんだ」と。
「しかし、山岸さんの現実の問題は僕は知らんのや」と、こう言うて逃げとるんですがね、しかし、これは私は一ぺんはあなたに訊きたいと。”

“奥村和雄  エー、親父さんのその気持、よく分かっておるんですわ、それで根本的なものを解決せずして仕事が出来ないとね、これもごもっともなんですがね、それはもう別に言う必要ないんですし、春日や『百万羽』の事情を別に一応言う必要もないんだけれどもですね、やはり、この二七日からのこの研鑽会が非常に大きく響いておるということ、周囲に大きな反響を及ぼしておる、この解決を皆ですね、首を伸ばして嘆願しておるような形で待っておると、
「今にまだそれが解決せないのか」という、皆のですね、気持ですね、非常に混沌たるものが流れておるようです。
「それがあるから解決せよ」と言うんではないけれども、これをですね、最も効果的に焦点を絞ってね、一時も早く解決しなかったらね、まあそりゃ一歩一歩前進しておるとはいうものの、ね、堂々巡りばかりやっておっちゃね、これで、エー、に終始してしまってね、エー、ま、これも一つの仕事の内だと言えば、それは当然のことでもありますけどね、そこを銘々しっかり銘記して、真剣にこれを推し進めていってもらいたいと思いますな。”

『百万羽』という偉大な事業を進めるにあたって、それに先立って私的な個人的なプライベートに属しているはずの〝愛情問題〟の真の解決がなぜ求められるのか?
未だ誰も解いたことのない常識(良識)外れの世界をひらくのだ。そしてそこからの自分から、今日の自分を思い起こして見ようというのである。
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