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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(73)

私の自己弁明

それでは次に山岸巳代蔵からの自己弁明をテープの中から幾つか拾ってみる。

“私にしてみるとまた、生きるか死ぬかの問題やと思ってるの。ね、愛情問題ね。もう本当は、柔和子が言った如くね、ワタシの「私」やね、この、私心のワタシっていうものはね、もう、なんらこの世に未練がないと思うの。”
“やはりこの問題解決しなかったら、私はね、生きた仕事が出来ないと思うんです。”
“本当の自由の世界は、そこからでなかったら生まれてこないと思うんですね。”
“この間も三田さんが来て、「もう、ほんな愛情研みたいなもん、どうでもええ。『百万羽』が肝心や。『百万羽』を成功さすことに全部を賭けよ」と、えらいお叱りを受けたんや。そやけど私らにしてみたら、『百万羽』くらい、そんなん軽いもんや。これこそ絶対もう捨ておけん大事業や。”
“「現在の結婚観というものは、私はメチャメチャだ」と。
「結婚しておると思っておることは、メチャメチャだ」と、「危ない」。「だからこそ、いろんな、嫉妬とか、憎しみとか、ねえ、或いはあの、葛藤、ね、混乱、こういうものが起るんじゃないか」と。
「そういうものの起らない社会が本当の社会、それが、この恋愛・結婚問題、これの根本解決が大事じゃないか」と、私はこう言ったんですわ。”

いったい愛情問題即ち恋愛・結婚問題がなぜ根本解決されることが〝絶対もう捨ておけん大事業〟だと言い切れるのだろうか?
生きた仕事が出来ないからだろうか?
本当の自由の世界が生まれてこないからだろうか?
嫉妬・憎しみ・葛藤・混乱など起らない社会が本当だからだろうか?
しかしそうだとしても、さきの奥村和雄さんや岡本善衛さんに代表される一般世人から見たら、ひどく唐突・飛躍・短絡的な発言に聞こえるかもしれない。
いや、ヤマギシズム提案創設者・山岸巳代蔵の中には一貫して次のような〝ヤマギシズム社会の実態〟がしっかりと焼き付けてあった。

“ヤマギシズム社会構成の重大要素は、親愛の情によって、全人類間の紐帯となすことで、怒りや疑いが少しでも介在しては、不完全なものです。
誰とも喧嘩しない、仲よし一家の寄り集まりです。”

理想社会には、「親愛の情が絶対条件」だというのだ。しかし今迄も云い尽くされた言葉であるからか、

“これも既成社会観念から見ると美し過ぎて、婦人会の乗車風景の外麗のみを見た、歯の浮くような幼稚な考え方に見えましょうが”

と、予想される反応にも配慮しつつくり返し人情の滲み出る気風の大事さを強調する。

“又道を尋ねられても自分は自分、ひとはひとと、他に関せずの個人主義も、実は社会が自分一人限りのものでなく、必ず何かで他の人との関連があり、人間は相対的であって、吾一人行かんも程度の差こそあれ、帰結する処、他との保ち合いで人生が有意義になります。
本当に人間は一人になり切れるものでなく、そこに人の情が自ずと湧いて来るものです。
道連れ話相手があると、遠路も忘れて愉快に過ごし、汽車や船で長旅すると、未知の人とも何時か言葉を交わし親しくなり、路傍で見かけた丈の間柄でも、遠い他国で相会うと、近親感を覚え語り合うようになり、純な子供達が、特に早く馴染むのは自然の人の姿でしょう。
世の鬼のように云われる冷血漢でも、家庭ではよき夫であったり、やさしい父として心中に涙することもあります。“

しかしホント、かんで含めるように説明されるこうした〝美しすぎる言葉〟ゆえか逆に遠く他人事に感じられるのはなぜなんだろうか。〝自分の言葉〟にならないもどかしさを感じるのは、はたして自分だけだろうか。
何が邪魔しているのだろうか? なぜ今愛情研鑽なのだろうかというのが大方の見方であるにちがいない。
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