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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

18 繋がりの中の「意志」

「一本の植物に例えてみると、根あり、幹あり、枝あり、葉あり、そしてそれは、そのいずれもが、根のものでもなく、幹のものでもなく、枝葉のものでもない。各部が生かし合って、生きて伸び栄えるもの。葉は梢について梢と葉が生かし合い、葉と根とは、間接的ではあるが幹や枝に繁がって、共に生かし合っている。誰のものでもない。空気や水・太陽・光熱・肥料成分等とも生かし合っている。外なるものが内にも生かされて、体内・体外のこれと似たようなものであるそれらがお互いに正常に生かし合って、いずれもが繁栄していくことが健康であり、幸福なあり方とも云えるものではないだろうか」(山岸巳代蔵)

生涯一貫して、自然とは何かという問題を問い続けて「自然学には直観の世界も、無意識の世界も、取りこまれなければならない」とする自然学者・今西錦司に、戦前遺書にするつもりで書き記したという『生物の世界』という名著がある。

宇宙自然界を、ダーウィンの進化論に代表される生存闘争に打ち勝つといった個体から出発する進化の考え方でなくて、お互いが繋がり合う種社会としてもとは一つのものから分化発展した共生物としてその都度調和をはかりながら「変わるべくして変わってきた」のだと見なした。

この宇宙自然界にあるものは、敵対・害し合うものでなく適材適所を得れば共にあるバランスを保ちながら存在している事実からの、「棲み分け理論」の確立だった。

突然変異など「個体の好き放題に任せない」で、「瓜の蔓には茄子はならない」とするこの世界の理念というか自己完結性、いわば繋がりの中の「意志」のようなものに触れたのだ!

「生物が食物をとるのも、敵を避けるのも、配偶を求めるのも、みな生きるための必然がしからしめるところではあろうが、食物も適も配偶もみなこれ一種の環境である。だからこのようなものを認めるということは環境全体の中からとくにこのようなものを生物が選んだのである」
「環境に対して働きかけ、また環境によって働きかけられることによって生きてきた」
「身体の延長が環境であり、環境の延長が身体であると考えるならば」
「主体の環境化が環境の主体化であるという生物の生活」
生物の世界全体にも、よりよく生きようとする何か方向づけるものがある。

さきの山岸巳代蔵の「そういうものや」と重なり合ってくる。
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