自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(27)

〝村のお母さん〟の力

「今度お母さん研をやるんだけど、何か資料ないですか」と尋ねられて、「こんなのどうかなぁ。検討してみてくださいね」と山岸巳代蔵さんの発言集からの抜粋を差し出したら、しばらくして「あの資料でやりますから、ついでにゲストで出席してください」と言い渡される。
えーっ、子育て真っ最中の若いお母さんたちの中に一点の男性!? まいったなあ…と感じつつも、どんなふうに受け取られるのかと興味津々たる気持の方が勝ってしまう。

そんな日々のやることで一杯のお母さんたちと共に資料研鑽を始めて何回目かになる。
四年ぐらい前の夏、北海道・別海実顕地に全国から一堂に会した三泊四日のお母さん研も思い出深い。その時始めて、日頃は各地に散らばっているお母さんたちが研鑚会という場に一堂に会することから生まれ出る、いわば〝群像としてのお母さん〟を垣間見た思いがして、俄然実顕地の将来像が開けてきたことがあった。 

今回も資料研鑽を通して、道に迷ってうろうろしている人を見たり、ひもじい思いをしている人を見かけたら、見て見ぬ振りできなく放っておかない気持が自ずと湧いてくる。この気持っていったい何なんだろう? 日頃の喜怒哀楽の感情と同じものなんだろうか?……と問いかけてみた。

ちょっと理屈っぽく何のことだか訳の分からないところもあるかもなぁとは案じつつ、研鑚会はしばしの沈黙の中からお母さんたちの実顕地での暮らしで何となく身に付けているところからの発言が切れ切れながらも続いていく。なるほどなー。
そんな別段答えを見いだす訳でもない研鑚会から立ち現れる〝村のお母さん〟はじつに頼もしいのだ。願わくば、こうした研鑽機会が〝本当の食べ物〟になることを……。

ふと鶴見俊輔さんの小杉放庵画「天のうずめの命」を表紙カバーにした著書『アメノウズメ伝』を思った。
小杉放庵 『天のうずめの命』

神話『古事記』等に描かれた、アマテラスオオミカミが洞穴の中に籠もってしまい太陽が沈んで暗くなった時、アメノウズメの胸あらわの踊りでアマテラスを誘い出し、再び世界をあたたかく明るく照らし始めた話だ。
鶴見さんはそこに、対立的・権威的に陥りやすい世界を和らげ、溶かし包み込む神話からのびてくる女性、性、裸、踊り、笑い……に秘められた力を見てとるのだ。

なかでも「日本がハダカになった日」の章では、1945年終戦時、この日が来るまでに別の道はないかと、ニワトリの育て方から最小限の言葉をみつける研鑽方式を編みだし、農業共同体を発足させた山岸巳代蔵に触れ、

「この人たちの思索のあとは、戦後の一流行に終らず、肉体をもつ言葉を求める運動として高度成長下の経済大国の内部に根をおろしている」

とアメノウズメの振舞いに重ねる。
あらためて〝肉体をもつ言葉〟とか理想を描き実現させる力について思いをはせる。
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する