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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(77)

妥協の世界に生きていない

また「愛情研鑽会」の背景については、次のような出来事があった。
そもそも「百万羽科学工業養鶏(百万羽)」構想は、先の会員・岡本善衛から「輸出用の卵粉工場をやらないか」という話が発端だった。1958年の春先のことだ。
卵を卵粉に加工して輸出すれば、国内の鶏卵市場を圧迫しない上、輸出の見返りに飼料を豊富に輸入することで、国内の畜産界にプラスをもたらすことが出来できる。それならば、会員の養鶏場を一カ所に集めて、生活の不安の一切ない、真の楽園工場を建設しようという話にどんどん発展していく。
しかも構想の発表から、実際に「財産や命までも」と多くの参画者が四日市に参集してくるようになった原動力の一つに、柔和子の果たした役割は大きかった。呼びかけや資金づくりもあったが、何よりも『百万羽』構想実現への妙案が、山岸と柔和子の二人の話し合いの中で次々と湧きだ出しては、具現化していったのである。
そうした中、三月末には二人の婚約発表がなされ、二人の住む小林宅の離れで、有志による『百万羽』の計画書づくりが進められたりするなど、『百万羽』運動は、俄然、活気づいていった。

ところが、柔和子は頼子の感情的に不安定な姿を目の当たりにして、改めて頼子の存在を強く意識するようになる。柔和子は、当然頼子の存在は知っていた。だが、結婚を申し込まれた時も、はっきりと自分には複数婚の意志がないと伝えてあり、山岸からも、「その通りでいいのです」という回答をもらっていた。にもかかわらず、こうして現実に、頼子が、「先生が離れた」と言いって泣き騒いでいるのを知って、若い彼女が愛情の問題でそんなにも苦しんでいることがショックであった。

事態はその後も一向に変わらない。頼子が死を口走っては家を飛び出せば、その後を護衛役がついていく毎日がくり返される。
柔和子が、「そんなに頼子が頼子がと言わなくとも、彼女は大丈夫ですよ」と言うと、山岸は顔色変えて、「お前という奴は何という薄情な奴だ」と罵り、そこらのものを手当たり次第にぶつけて壊したりする。そして、柔和子に対しての我抜き、剛研鑽やら、奇異な振舞いへと、まさしく君子豹変するのだった。

複数の女性をめぐって激しく山岸巳代蔵を追求する柔和子と、そのことの善し悪しでなく、一切のキメつけを外して研鑽できる真の夫婦としてのあり方を願う山岸巳代蔵との間で激しいやりとりが際限なくくり返される。
研鑚会の中で、山岸巳代蔵は愛に飢えた状態の、狂乱状態かも分からない、常軌を逸する、正常な考えがそこに働かない自らの発作状態を振り返っている。

“だが、その時はもう何もね、もう考慮のうちに入らない状態というか、その純粋さを、言うてるわけやね、そこをね。私自身から出てる場合もあるやろ、ね、大いにあるやろ。
間違いを通そうとして、それが通じない場合にな、そういう場合にも起ってくるやろ。
何とも言えんもどかしいものね。
ええこととは思うてへん。ああ、そんなこと避けたいのやけど。まあ、見せ掛けではない。もう自分自身にも、重々分かりながら、まあそういう状態になって、まあ発作的と言われても、やむを得ないかも分からん……。”

“もっと子どもの時にね、自分のね、自分の正しいと思っていることがね、通じないとね、もう、居てもいられんもんやね。”

“いやいや、そうやなしに、通じないと、通じないものに対してやね、妥協ででもその場を糊塗しておこうと、糊塗しておけば、それでいいわけや、自分にな、ね。”

“妥協できないと思います。純粋に生きようと、純粋に生きようということは、もう、それはもう妥協の世界に生きておらないということ。おらない、おられないということになる。”

“発作が起らないから、それでその、もう発作が起らない人間になったかと言うと、そうやないの。発作が起る前に、もう一応そらすから、そうなっていくわけで、やっぱりまだまだ発作起きるかもしれないと、発作が起らなくなったという立証にはならない、現在起らないから。(略)
そういうわけで、もうそういう状態でね、いつまでも生きておられない。いよいよもう追い詰められた。ここで、じゃあどうするか、やっぱりこの、発作が起らない、起るということは、ちょっと棚上げにしてでもやね、それよりも生きておれない、おられない状態をやね、何とかこの、打開していきたいと。”

かくして愛情研鑚会は山岸巳代蔵にとって切実な欲求でもあったのだが、いったいここで何に直面して何が問われているのだろう? 
別段複数婚といった結婚形態を新しく打ち立てようとした訳ではなく、そうした渦中にあるとき、真面目に心底から念じてやまない〝全人真の幸福〟理念から逸らさないで逃げないでいると、自分で自分をどうすることも出来ない、本人の弁によれば〝血みどろの愛欲史〟とか〝煉獄の試練続きの受難史〟に身を置く羽目に陥ったというのである。

なぜこのような事態に陥ったのだろうか? 
じつは自分自身ここで起こったことの真意の一端に触れたくてここまで書き継いできたようなものだ。
愛情研鑚会から〝山岸会事件〟を超えたほぼ一年後に語られた「『恋愛と結婚』の前書き」に次のようなくだりがある。

“そこにヤマギシズムと現実との、どうも相一致しない矛盾に割り切れないものがあった。真なるものには、悩み・苦しみはないのが本当だと思う。ヤマギシズムにこうした苦しみがあるということはなぜだろうか。”

ふと以前劇作家の北村想さんが朝日新聞のコラム「出会いの風景」に書かれた一文を思う。
18歳の時ヤマギシ会の特講に参加した北村さんは、そこでその後の彼の人生に大きな影響をおよぼす男・クラモチ君に出会う。
ある日生きるか死ぬかと真剣に煩悶していた時クラモチ君の下宿に行くと、B全紙が壁にはってあり、「真なるものは蹉跌(さてつ)する」……と大書されてあった。思わず頭を垂れた、といった内容だ。

ホント、なぜだろうか?
〈理念〉と〈現実〉との矛盾の一切が解消される世界についてのはなしなのだ。
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