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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

19 人間進化の最後の革命

「原因があってこうなる。成るべくして成る。知恵を使っても使わんでも、意識のないというかね。生まれた子供が乳を口に入れられたら何かなしに吸っていくもの。生まれたものが何かなしに呼吸していくもの。そういうことをあんた方は言ってるのやろ。どうしていくかはまだこれからや。生かされてるという言葉はいらん。生きてる事実でいいわね。
(略)
本能とか知恵とか考えないで、そうかも、そうでないかも分からんが、生きてる事実については、それはやっぱり知恵で判断するのやろ。ありのまま見るというのは、やはり感応で見るのやろ。耳鼻舌身等、知覚神経で見るのやろ。生きてるというのを見るのは、理で認めると言わずに、やはり知恵で認めるのやろ。だからそれは真理だと言っても知恵で認めても、それは真理かどうか分からんと知恵の限界を言うのやろ。
(略)
知恵を使っていようがいまいが、生きてるのは知恵で生きてるのでなく、それを認めるのは知恵で、それを納得するのは知恵であるといったところか。
(略)
『何や知らん生きてるの、それ本当や』くらいでよいのや」(山岸巳代蔵)

ここから出発しようというのである。

ところが今西錦司は、「事実がそうなんやから仕方がないやないか」「わからぬのが本当でないか」とそこで居直ってしまうのだ。
そして人間社会も
「一人一人の人間が、こういう社会では息苦しいとか、味気ないとかいう気持ちになってきますと、自然に変わっていくのじゃないですか」
「働く時間をなるべく減らして、あとの時間をそれぞれの人が、遊芸でも釣りでも、なんでもよいから、もっとそれぞれに自由を味わえるような方向にもっていけたら、それでやや動物の世界や原始人の世界に近寄ることができるのやないか」と主張するだけだ。

人間復帰への「考え方の革命」がスッポリ抜け落ちている!?

あの鶏でさえ、孵化する過程で、四日から五日目にかけて卵は必ず死にかかるほど弱まるという。ちょっとでも動かすと死んでしまう。母鶏も、この僅かな時間は決して動かすことをしないという。四日目を境に鶏胚は魚であることをやめ、両生類になり始めるのだ。

そんな難儀な体験を共に乗りこえるのだ。

そう、人類から真人類への孵化こそ、私たちが求めてやまない人類の総意ではないだろうか。

鶏たちが息絶え絶えになりながらも海から上陸したように、私たちも、大換羽(毛変え)して新しい心身に孵(かえ)したい。

そうした自己革命の機会として、一週間のヤマギシズム特別講習研鑽会の登場を挙げることは、いささか手前味噌に過ぎるだろうか。
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