自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(28)

実顕地は虚構の存在か

先月の「みんなが気になる実顕地運営(8)」(8月1日付〝むら―net.参照)のテーマの一つに、
○産業をするための実顕地からの脱却
 農事組合法人は対外的な方便

とあり、テーマ解説〝農事組合法人等は実顕地の暮らしの中では、虚構の存在で、「ない」といっても良いものです〟との一文を多分受けて、次のような投稿がコメント欄に寄せられていた。
「農事組合法人は虚構の存在。同様にヤマギシズム実顕地も虚構の存在」
なるほど実顕地も無形のものという面ではそういえるかも。

〝虚構〟で思い出すのはその昔農事組合法人の仕事に就いた時、法人に〝法人格〟という資格があることが不思議でならなかった。確かに人間が生み出した制度ではあるが、あたかもヒトとしての法人がいないと契約を結んだり、登記を行ったりすることが出来ないという事実に、戸惑ったのだ。

そもそも虚構とは事実ではないことを事実らしく作り上げることだとされるが、世界的ベストセラー『サピエンス全史』の著者、イスラエル人歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、「虚構を信じる力」こそ人類ホモ・サピエンスの力を飛躍的に増大させた源泉だと指摘していて実に興味深い。
ユヴァル・ノア・ハラリ

それが約7万年前に人類の脳内で発生した〝認知革命〟だ。この結果人類は神話など虚構の事物を想像し、仲間に語ることが出来るようになり、かつ共通の神話を信じることで初めて大勢の赤の他人と柔軟に協力することが可能になったという。
宗教、国家、法律、法人企業、貨幣など現代文明を動かすこれらの概念も、すべて実体としては存在しない虚構の作り物だが、みなが信じることで複雑で高度な社会を営むことができるようになったのだと。
想像上の現実は嘘とは違う。誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存続する限り、主観的でも客観的でもないその想像上の現実は社会の中で力を振るい続ける。中でも貨幣こそすべての人と人との間を繋ぐ虚構なのだという。
あのめいめい自分の信じる神様が本当だと主張し突っ張り合う宗教徒達でさえも、喜んで同一の貨幣を使う。筆者はいう。

「なぜなら、宗教は特定のものを信じるように求めるが、貨幣は他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求めるからだ」

実に痛快極まる洞察だ。貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できるのだと。そこまで何重にも固く信じ持つ、放そうとしない虚構の極みを貨幣に見てとるのだ!
そして筆者は今日までのすべて虚構に属するサピエンス〝文明は人間を幸福にしたのか〟と、幸せの定義を終わりに問いかける。

では〝虚構〟に代わる〝信じない〟でやる生き方は可能だろうか? 時の最先端〝金の要らない仲良い楽しい〟の真価が問われる。 
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