自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(89)

〝心のため〟をつくることで

もう20年近くなるだろうか、「みんなの為め、全体の為め、これらは本当は自分勝手の利己心に過ぎないのではないか?」といった疑心暗鬼にかられた時期があった。
というのも、口に〝われ、ひとと共に繁栄せん〟と言いつつも、どこかで嘘っぽい自分を意識してしまうからだ。心がシラけるのだ。
弱い馬は平坦道路ではついてくるが、難所になると馬脚をあらわすという。そんな弱い自分にビクビクしながら、そこからの相互不信に陥っていた。
本当に人のためでない〝自分〟がよくなるためからすべてのことが出発する生き方や社会像は不可能なのだろうか?
そんな折きまってフト思い浮かんでくる光景があった。そしてなぜかそこからもたらされるものに癒やされている自分がいた。
幸いにも思いがけずその時のことを振り返った手記(『ある愛の詩』)が残っている。よほど深く心に刻まれた光景であったのだろう。

“朝寝坊の得意なぼくは、時として朝一番の水やりやエサ見を怠った。そんな時は必ず奥さんが代ってやってくれていた。そして遅れてやってきたぼくの顔を見て恥しそうに、「フフフッ」と微笑むだけだ。ちっとも非難がましいことは言ってくれない。これはかなりぼくの胸にひびいたことの一つだ。休憩時のおやつ作りの時もそうだ。どうしてあんなに素早く用意できるのか、ぼくたち若い飼育係にとっては毎日驚異のマトであった。自分が作って自分で食べるよりも、みんなが「おいしい、おいしい」と言って食べるのを眺めているさまが、その場での奥さんにとっては最も似つかわしかった。山岸会とはアナキズムの流れを汲むものではないか、などと当時つまらぬことばかり考え、そうした複合観念に悩まされていたぼくの心に、Yさん夫妻のそうした笑顔や立居振舞はものすごく新鮮なものとして飛び込んできた。(1977年1月)”

この光景を契機に自分の考え方が一変していくのだった。
そうした、追いつめられ切羽詰まって、もうダメかもしれないと弱気な気分になりかけた時、きまってなじみの原風景の中へと引きこもっている自分がいた。自分は現実から逃げているのだろうか?
しかしそんな世界にひたっては癒やされ、温かくなり、元気が出たのも事実なのだ。
そうだ! ここから始めて、それをずっと掘り進めていけばひょっとしたら空念仏に終わらない〝ヤマギシズム〟なるものに出会えるかもしれない!? そんな虫のいい思いつきから俄然やる気が湧いてきた。
それではいったいあの一瞬の「ハッ」と心に響く情動のようなものは何なのだろうか? しかもその正体は……と想いを馳せるだけで油然と温かいものが湧いてくるものがある。
くり返しくり返しその情動に包まれていると、いつしか心底納得できるような自分なりのイメージが形成されてくるようなのだ! 
そこはいちばん自分にフィットして心安まる世界だ。この世界の感じを、その時その場だけの「感じ」に終わらせたくない思いがつのった。

ある時「溜(ため)」という言葉が浮かんだ。「腰のため」とか「バックスイングにためをつくる」とか……。
バックスイング

それが転じて「力をためる」とか「思いをためる」など前向きの精神状態にもイメージされてくるようなのだ。
ふと〝心のため〟をつくるという〝行為〟がとても魅力的で豊かなことに感じられてきた。
そんな自分なりの考えを後押ししてくれたのが、その頃一心不乱に読んだ『主体の解釈学』(ミシェル・フーコー)だ。例えば次のような一節から、〝心のため〟をつくるという〝行為〟が〝自己への配慮〟に繫がることなんだと勝手に思い込んでは勇気づけられた。 

“つまり、自己への配慮という教えは、それが私たちにとってはむしろ自己中心主義とか引きこもりを意味するものであるのに対して、かつては何世紀ものあいだ、極度に厳格な道徳の母胎となるような肯定的原則であったという逆説があるのです。”

そうした〝心のため〟をつくることの先に、〝インドの少年〟や〝産卵死する鮭〟の話や芥川龍之介の『蜜柑』の小娘の心の動きや立ち振る舞いがまるで自分のことのように生き生きと感じとられたのだ!
自分だけにしか通じないような〝情動〟が、大正時代の蜜柑の小娘の心にも遠く離れたインドの少年の心にも人間ではない〝産卵死する鮭〟の心にも流れている!? といった発見の驚きがあった。
時間も隔てや境や囲いもなしの、無いことばかりの世界に触れた瞬間だった。
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