自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(90)

永遠と現在についての問答

あの〝インドの少年〟は妹がバナナを食べている間、少年は法悦のような目つきで女の子を見つづけていた。そして終いの根元の部分を女の子の口に押し込むと、自分は皮だけを食べて、またあの容赦のない争奪戦の中へと走り込んでいく。
芥川龍之介の『蜜柑』の小娘も、三人の弟たちの何とも意味の分からない喚声のほとばしりと同時に窓から半身を乗り出し、手をつと伸ばして勢いよく左右に振ったかと思うと、暖かな日の色に染まっている蜜柑が五つ六つ弟たちの上へ空から降って来た。
そしてこれから奉公先へ赴こうとしている小娘はいつかもう席に戻り、大きな風呂敷包みを抱えた手にしっかりと三等切符を握っている。
ここには少年をウットリとさせ、小娘が思わず蜜柑を投げ出してしまう奇跡の〝時間〟と少年の容赦のない争奪戦や小娘のこれからの奉公先での不安や緊張感に満ちた〝時間〟が一続きの一つのものとしてあらわれている。永遠と現在が一つになっているのだ!?

そういえば自分らにも思いあたる節がある。
1976年頃から〝金の要らない村づくり〟への村外会員募集と銘打って「ヤマギシズム世界幸福株」なるものを発行してきた。
世界幸福株券

例えば「世界幸福株―卵券」の場合は、一口30数万円の無所有生活の代償として、一週間に1キロの卵を永久に届けようというもの。
今まで暮らしを安定させる方法を所有でやって来たが、今度は無所有(放す)ことで、つまり年々目減りする通貨を用いて絶対目減りしない現物生産と供給の循環の環に一口参画されませんかと、実顕地生産物の活用者グループに呼びかけたのであった。
当時国民一人当たりの貯金額は平均200万円ぐらいだったから、卵券、肉券、米券……と一枚づつ剥がして、全部放したら食べ物に関しては一切タダでいける!?
こんな方法で無所有の事実が如何に安定するかを実証できないだろうか。
〝金の要らない社会〟をこんな方法でつくっていけないものだろうか等など、皆で研鑽していくと本当に、
“日常茶飯事にも永遠に大きく生きんことを心するもの”
って、こんな感じかなあと実感されてきて興奮したことがある。

そうした鳴り物入りのその株券を、今度は自分らで数年前から回収の動きに回ったのである。
〝永久〟を謳い、確約しながら撤回するとは何ごとか! 自分らは大うそつきなんだろうかと、人にも自分にも大うそつきの自分に気付く行事が各人の心の中でとり行われたことであった。
ある日の研鑚会での、そんな幸福株回収をめぐるやりとりで感じたことを若いI君が忌憚なく書きとめてくれている。貴重な研鑽資料だ。

“幸福株を額面通りに買い取る「回収」の動きを昨年からやっていて、それについて思っていることを研鑽会で出した。
なぜ出したのか思いだせなかったが、今書いていて思い出した。
Aさんが、豊里ファームのことで、「今は倉庫登録でやっていたり、駐車場も砂利の所が多く、安全面で不安があったり、老人がカートを押すのは無理があったりする。でも社会の中でやっていくという面でも、舗装した方がいいんじゃないか。自分達が楽しくファームをやれてればいいというのだけではまずいんじゃないか」などと出していた。
言っていることはよくわかるし、しごくまっとうな意見だと思った。
お客が増え売り上げが増え、地域的な影響力が増していくと、それだけ責任も大きくなる。常識的にはそんな感じだよなと思う。
前は、僕もそう思っていた。むしろヤマギシの非常識な感じは嫌いだった。
でも、Aさんの話を聞いていて、さて自分はどうなんだろうと考えた時に、幸福株回収をやっていてのことが浮かんできた。

幸福株という考え方自体が非常識で、さらに株券に「永久に届ける」と謳っているにもかかわらず30数年で「返してください」と迫る非常識。
回収に行くと、おだやかに返してくれる人もいるけど、
「あなたは常識を知らないだろうから教えてあげるけど、こういうことは社会では通用しないのよ」と言ってくる人もいる。
まあそうなんだよなと思う。常識的にいくと、約束を反故にするわけだから、ヤマギシはペナルティを払う(しばらくタダで届ける、もしくは額面より割増して買い取るなど)のが当然らしい。
そういうのをまじめにやっていくと、お互い面白くもない終わりかたになる。
実は、相手も、本心はそういうの望んでないんじゃないか?
「いやいや、約束破りなんですけど、でも返してほしいんです。非常識ですいません、でもヤマギシなんで」
くらいの返しを、相手も待ってたりして?!…という冗談が通じる人は少ないかもしれないけど、色々話してると最後は円満に終わることが多い。
「すいません、ヤマギシなんで」
無責任極まりないけど、最近の実顕地の動きなんてそんなことの連続のような気がする。
そしてその方が、人の心が動いていく気がする。

正直、幸福株に「永久」なんで書かんでほしかったとは思うけど、しょうがないか、その時はそう思っちゃったんだよな、勢いもあったんやろーし…とも思う。
自分が今やってるファームや、内部川に養豚をということだって、あとあと誰が何を思うか、誰にどんな迷惑かけるか分からない。
でも今は、それを進めることで一つの運営が進むことを大事にする、そんな感じなのかなー。後のことがどうでもいい、ということではないけど。
今そこを進めることが、後にもつながっていく、と思っている。

「幸福株を回収した人のリストを作って、年に一回か二回かでもささやかな贈り物をしたらいいんじゃないか」という意見が出され、
「それは自分もやりたい」「そういうのやりたいのよね!」といった発言が相次いだことにちょっと驚いた。
やめてほしい。と思った。それも出した。
そういう気持ちを形であらわす、というのはいいと思うし、各自の気持ちでやれる範囲で何かやるのはいいと思う。
でも、そういうのは結構仕組みになりやすくて、リストが出来て「何月ころに、毎年この人達に何かを送る」という「作業」が出来上がる。
最初に始めた人は心をこめてやるかもしれないけど、その人が何かあってその作業が出来なくなったとき誰かに「引き継ぎ」して、それがだんだんルーチン化されて、やめられなくなる。
引き継がれた方は、まじめにやろうとするから。
そうして、形だけのものが残り、その相手が死ぬか、またどこかでやめる話を誰かがしに行かなきゃいけなくなる。やめてほしい。
贈りたいという気持ちはわかるので、そういう人には、心のある人が、心の続く内は手紙書くとかくらいでいいのでは。

佐川さんが「永久ってのは、一瞬でも永久、30年でも永久ってことじゃないの」と出した時、たぶん研鑽会参加者の多くの人が「??それ、株券の文章にしたらアカンやつじゃないの?!」と思ったんじゃないだろうか。
それはその人の生き方として、その人が心に秘めておけばいいことで、契約の文章にしてしまったら誤解を生むし、まずいやろーと思った。
今も、それは思うけど、そのまずいヤツを実際にやってしまったヤマギシがあって、でもまあやっぱヤマギシやからなあ…という感じにも思う。
まずいヤツやらんヤマギシやったら、ファームも始まらなかったかもしれないし、供給所もずるずる続いているかもしれない。

色々書いたけど、やっぱり幸福株の「永久」は書かないでほしかったと思うし、回収はそんなに楽しい仕事ではないけど、自分が身を置いている「ヤマギシ」について色々考える面白い機会になったと思う”

ホントI君の言うとおり、日々いろいろ考えさせられる機会が多い。そこが面白いところか……。
ヤマギシではあちこちで〝永久〟なる言葉が出没する。
曰く「夫婦に限らず、どこの誰ともまず人間と人間との間に、約束の要らない、永久に動かない変わらない一体の実態が本当のものではなかろうか」
曰く「不況とは何ぞ 原子力時代を迎え 新旧養鶏の大転換期!! 永久に責任を持つ養鶏書」等など。
まるであのキリシタン狩り(江戸時代初期)の〝踏み絵〟のように日々試されているのだろうか。
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コメント


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幸福株回収の
若い君が書きとめてくれた研鑽資料がとてもおもしろい
「すいませんヤマギシなんで」無責任極まりないけど・・・・。
そしてその方が、人の心が動いていく気がする。
このフレ-ズ限りない拍手を贈りたい
一瞬でも永久・・・常識 固定 世間 自己責任等々そんな類のものが ひとたまりもなくぶっ飛んでしまっている感じ  
 

チヅ代 | URL | 2017-10-21(Sat)17:19 [編集]