自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(97)

『正解ヤマギシズム全輯』刊行に托す

1959年7月10日、山岸会は一週間の講習受講者を軟禁した疑いで上野署の捜索を受け、幹部らとみなされた七人が逮捕された。翌十一日午前中には会事務局の東加九一への傷害致死事件がおきる。
こうした世にいう山岸会事件の真っただ中にあった山岸巳代蔵は、13日午前卵の出荷車(オート三輪トラック)の荷台に乗って春日山を離れた。そして24日午後には捜査中の三重県警は、事件の背後関係を解明するために姿を消した山岸を全国に指名手配したのだった。

山岸巳代蔵は各地の会員宅など転々としながら9月19日頃からは、琵琶湖の西岸に面した滋賀県堅田の
堅田の浮御堂

戦後、満州やシベリア抑留などから引き揚げた人たちのために建てられた「引揚者住宅」の四軒長屋の続きの二軒にヤマギシ色を隠して翌年4月12日の自意出頭まで移り住んだ。

この半年余りの時間は、非常に衰弱していた身体の快復と共に永年〝寝ても覚めても考えてきたもの〟を落ち着いた気分で『正解ヤマギシズム全輯』の草稿としてまとめられそうな場でもあった。その辺りを次のように述べている。

“かねてからの久しい宿願、『月界への通路』の宿稿を纒めたいとの念願も、浮き世の慌しさにのびのびになり、エンマの廳へのお土産、さびしいかと思えるほどの身心のあえぎも、ここ偶然か必然か、人間のわたくしの考え及ばぬ仕組みでか、書け、書こうと云われ、云ったとき、その前へ前へと雑用が出現して、それも振り払って捨てもならず、当面に忙殺され、書く方が遠ざかるばかりで、食言屋のそしりさえ下されようとする矢先、不思議の廻り合せと云おうか、こんどの出来事で、ちょっと落ち着いて纒められそうな環境・閑地に追いやられ、不幸か幸か、お蔭様でペンを執り始めた次第、何がトビ出すことでしょうか。流れにまかせたこの身、この心、往けるところまで行ってみましょう。”(1960・1・13)

いつ逮捕されるかもしれないという緊迫感の中で、文房具屋から大量のわら半紙を購入してきた時ほど先生の喜びようはなかったと、身の回りの世話をしていた川口兵衛さんは回想している。
もちろん旅先の身でもあり過去の覚書や草稿や参考書も何一つ無かった。あるのはわら半紙と鉛筆と人間社会はこんなものだと観念づけて、その世界からの脱却を怠っている世界情勢の中の全人一人ひとりに向けて焦眉の急を告げたい気持ちだけが全てだった。
現在そのB五版わら半紙に鉛筆で書いた直筆原稿が、約四百枚近く遺されている。

ちなみに『正解ヤマギシズム全輯』は十輯に分けて刊行するつもりだった。例えば―
第一輯『けんさん・もうしん』
第二輯『真理と人間の考え・人間の考えと言葉・言葉と行い、及びその間のくい違い』
第三輯『愛・愛情・結婚・恋愛について』
第四輯以下に、政治と法制、社会、産業、経済、人間生長・成熟、健康、衣食住生活、闘争・戦争・暴力・刑罰等の解釈とその根絶法、趣味・芸術論、学問・宗教論等その他に分類して構想されている。

山岸巳代蔵は『正解ヤマギシズム全輯』刊行計画に賭けていた。出版を通して世界中が混乱・摩擦・犠牲なしに、真の平和に、人々みな真の幸福になれる〝理想実現への方法〟を論理的に、立証的に記述して世界に打ち上げたいと念願していた。それはかねてからの久しい宿願でもあった。
なかでも急ぐものからという思いからか、人間幸福の基本となる〝夫婦仲良くなる具現方式〟についての考察に、わら半紙の直筆草稿の大半は占められていた。
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