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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(98)

〝カマキリ夫婦の自覚〟?

そこで自分らも、「人間幸福の基本となる〝夫婦仲良くなる具現方式〟についての考察」を山岸巳代蔵と共に辿ってみたいと思う。その心はかつても今も変わらなく、次のような文言に集約されるだろうか。

“ただ一日でも真の結婚の妙境に浸ってから逝かないと、何しにこの世へ出て来たものか、人生の意義も覚らず、うとましい限りではある。”

“本当の結婚の何たるかを知らず、何たるかを究めようともせず、極めないから知り得ない。知らないからでもあろうが、サッカリンで満足したり、メチールに酔ったり、アルコールで自分をゴマカし、求めようともせない。”

ホントそんな自分がうとましく、ひどくみじめに感じられる。愚かしい限りだと省みる。
カイコ(蚕)は、卵→幼虫→蛹(さなぎ)→成虫と規則正しく脱皮を、そして吸収成長の期と整理と後の世への生命の繁栄を劃然と区分している。そして絹とその他のものを残す。
その辺りのことを解剖学の三木成夫さんも次のように述べている。

“江戸の俳人宝井其角は、交尾を終えたカマキリの雄が、そのまま雌にかじられていく光景に、稔りを終えた草が葉を枯らせていく光景をダブらせて、
〝蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな〟の句を詠んでいる。
食から性への位相転換は、動物には親の死を、植物には葉の枯れをそれぞれもたらす。そこでは、だから、蟷螂の死が、あたかも枯れるがごとき尋常の姿として映し出される。ただ位相が変わったそれだけだ。”(『胎児の世界』)
かまきり

ある時、こうした自然界・動植物の普段の〝尋常の姿〟にハッと気付かされた。そこに〝こころ〟を見た思いがしたのだ。そうか! そういうことだったのか……。
そういえば先述の「イエスの方舟」の千石剛賢さんも〝カマキリ夫婦の自覚〟を強調されていて興味深い。

“男は女を愛することを、大げさでなく、人生最大の意義、ただ一つの価値というふうに分かっとらないかん。”(『隠されていた聖書』)

人間の雄も、いや男も自覚して、女に自分をささげる悟りが必要なんだという!?
この間のバタイユのいう〝コペルニクス的転回〟といい千石さんの大きな〝悟り〟といい、本当に言い得て妙だ。そんな表現が、ヤマギシズム恋愛・結婚観についても今最もふさわしく感じられる。
他にやること・思い悩むこと一杯の自分ら外に向いている目を、当たり前にしている自分の中の基準を、動かして見ようではないか。
つまりここでやりたいのは、ヤマギシズム恋愛・結婚観を〝カマキリ夫婦〟に見ることにのみあるのではなく、〝本当(真)の結婚〟の実証から出発することで自ずと開かれる世界を顕現することにある。

それにしてもなぜ社会、政治、法律、産業、経済、教育、宗教、習慣等、不合理なものばかりの現状混乱を差し置いて、〝本当(真)の結婚〟究明、真の夫婦としてのあり方に立つこと、そのあり方の実践なのだろうか? 
それは最も深刻な問題であり急がれるからではあるのだろうが、それだけだろうか?
そんなことを念頭におきながら辿っていこう。
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