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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(99)

出発に先だって

確か以前思想家・吉本隆明さん(1924-2012)は、次のようなヤマギシズム〈一体〉理念への疑念を抱かれていた。
吉本隆明さんの疑念

“その「一体」というところでかんがえていちばん問題なのは、男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうことです。そこがものすごくきついんじゃないでしょうか。かりにそういう男女がいるとすると、かれらは絶えず共同体の水準におかれようとする力を「一体」という観念から受けているから、男女のあいだに、ささやきとか、声にしなくてもわかるとか、そういう意味の微妙さがなくなっちゃうんじゃないでしょうか。ふたりでいるんだけれども、絶えず脅かされているといいますか、全部公開されているみたいな、そういう心理状態に絶えずさらされていることになる。”(『対幻想 n個の性をめぐって』1985.1春秋社)

それ故、男女の結びつきが非常に親密になってくれば、共同体から出たくなる衝動をいつでも感じざるを得ないような矛盾に晒されるというのだ。
そうなのだ。一般社会通念や価値観等を引きずったまま実顕地で暮らそうとしたら、たちまち吉本さんが懸念される「矛盾にさらされる」こと必至である。〝家族をやりたい〟という切迫した願いに駆られたこといかばかりであったか……。
ヤマギシズム(一体)と現実との、相一致しない矛盾や対立や背反にずいぶんときりきり舞いをさせられた。そんな自分が情けなかった。
自分のどこに根本的な間違いがあったのか。こうした矛盾はどのようにしたら乗り越えられるのだろうか? 切実な問いだった。
そもそも〝男女の結びつきの次元というのが共同体の次元と同一化してしまうこと〟ってどういうことなのか?

確かにヤマギシズム〈一体〉理念では、社会(共同体)とか個人とか離れたものでなく、個人即社会(共同体)であり、社会(共同体)の正常健康、即ち、個人の正常健康であり、幸福であり、どちらが主とか従とか、別々のものではないとする観方に立っている。
それがなぜ、絶えず脅かされているような、全部公開されているみたいな、そういう息苦しい心理状態に陥ってしまうことがあるのか? いったい何を自分らは試されているのだろうか。

ところがある転機を経て、現実の修羅葛藤の渦とはおよそ次元を異にした〝本当はどうか〟と真なるものに立つことで一挙に開けてくる世界に出会った!
しかもその世界は何かほのぼのとした温かいものに包まれていた。ああ、ここからだったら自分もやっていけるかも知れない。

自分らはその根本的な解決を、社会、政治、法律、産業、経済、教育、宗教、習慣等、不合理なものばかりの現状混乱に先だって、先述の〝本当(真)の結婚〟究明、真の夫婦としてのあり方に立つこと、そのあり方の実践に秘められたヤマギシズム恋愛・結婚観の実態の把握から始まるのではなかろうかと直覚したのだ。
巷間伝えられる山岸愛欲氏の〝フリーセックス〟(?)に惑わされてか、この間避けてきた事に遅れを取った原因の一つがあるようだ。
それには出発に先だって、

“本当の人生を生きる上に最も大切なことの中でも一番本元であり、人生のスタートであり、人生の最大目標であると思うヤマギシズム社会における真の恋愛・結婚観はどういうものであるか”

を知っておく必要があったのだ!?
要は出発に先だって、真の幸福や人生の正態を確かめ、本当の恋愛・結婚とはどんなものかを知っておけば、先の吉本さんの疑念は払拭されるという訳だ!?
しかし、そう言われても今一つピンと来ない。今少していねいに後先ちょっとのことで、根本的な異いが出てくる辺りを追ってみることにする。
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