自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

我が一体の家族考(101)

結婚資格のなかった自分
山岸巳代蔵は自らの来し方を振り返って次のようにいう。1959年11月頃記されたものだから、亡くなる1年半ぐらい前のことだ。
残されている幾通りもの表現を変えた同じような趣意の草稿や口述筆記の中から目にとまった章句を挙げて要約してみる。

著者は、夫婦が一つのものだということを示す山岸の造字(「ふさい」と読む)で記されている。
夫婦の真字・ふさい

ちなみにこの夫妻の造字に、最も相合う真の夫婦を象形する〝真字〟としての「仰慕←→愛撫」の世界が盛られてあるようなのだ。興味津々だ。
しかし今は、本当の結婚を求めに求めて、自分自らをまな板に乗せて、誰でもたやすく真の結婚の楽園へ入れる鍵を見つけた発見の歓びとその愛情結婚についての道程を聴いてみよう。

“真の結婚をする資格がないのに、理念通りの結婚をしようと無理をした。当然苦労し抜いた。真の結婚が出来なかった。
しかし、悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなった途端、絶望のドン底から途が開け始めた。悩み、苦しみのほとんど起らない境地にまで漕ぎつけたようだ。
結婚資格のなかった自分が見え出した。見えだすと早いもので、いよいよ真の結婚の出来る資格が、初めて、ようやくにして、ついたように思える。”

ここでいわれていることを、幾つかの草稿の中の一文から今一度再構成してみる。

僕(山岸)はこれまで結婚によく似たことを幾度かしてきたが、真の結婚とは縁遠いものばかりであった。肝腎な条件が欠けていた。五十、六十、七十歳に歳をとろうとも、資格の揃うまでは結婚を焦らないことだ。
ところが怒りや憎しみや財産を持たない等はスッカリ解決した僕だったが、恋愛・結婚問題で大変なことになった。予期しないのに起った本当の恋愛の実践の場では恋愛・結婚理念は何の役にも立たなかった。理論が先走って理詰めになり、押しつけになり等と、理論と実際とのジレンマで一層苦しみ、苦しめ、お互いの命が絶たれた状態も幾度となく体験した。
真なるものには、悩み・苦しみはないのが本当だと思う。ヤマギシズムにこうした苦しみがあるということはなぜだろうか?
そんな数々の試練の中で、もうどうにもならなくなった途端、絶望のドン底からヤマギシズムと現実とのジレンマの不思議な謎も解けた! 誰でも容易く真の結婚の楽園へ入れる鍵を見つけた!
こんなヘトヘトになっている未熟な僕がココまで辿りつかして貰えたのも〝今日まで天・地・人・宇宙から注がれた愛護〟の賜で、せめての恩義に報いたいとその研究行程報告を包み隠さず記述し、僕の本願とする全人幸福への道標か何かの足しになるなれば、と参考に供するつもりで著してみたのだという。

以上のような内容のことが、何度も後から書き加えたり、順序を変えたりして遺されている。
ここではいったい何がいわれているのだろうか? すぐに思い浮かぶのは、次のような二つのことだ。
○真の結婚をする資格がないのに、理念通りの結婚をしようと無理をした。つまり予期しないのに起った本当の恋愛の実践の場では恋愛・結婚理念は何の役にも立たなかった。
○絶望のドン底から結婚資格のなかった自分が見え出した。そこからいよいよ真の結婚の出来る資格が、初めて、ようやくにして、ついたように思える。

いったい理念の何が災いしたのだろう?
いったい絶望のドン底から何が見えてきたのだろう?

そう問いかけてみて始めて、あの「山岸会事件」前の『百万羽養鶏』事業発足とほぼ同時にもたれた一連の愛情研鑚会で再現された愛情世界の心の動き等、山岸巳代蔵本人の弁を借りれば「私の愛情の不安定から起こる狂態」という出来事の真意の一端が今明らかになりつつあるのかとも思えてくる。
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