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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(102)

理論と実際とのジレンマ

いろいろとすったもんだがくり返される愛情研鑚会の中で、参加者からもっと本当の夫婦とか愛情のあり方はどんなものかといった根本理論から入らないと、この問題解決しないとの発言があった時、すかさず山岸巳代蔵は

“研鑽してから愛情が起こるもんと違うやろ”

と応えている場面がある。
好きになろうなんて少しも思わなかった。相手もそうだった。それが偶然か、必然か分からないままに無意識に惹かれ合ってしまう。
ここに何やら分からずに相合うもの、求めるものに触れようとする人間の本性に根ざした恋愛・結婚問題の独自性をみる。
例えばここで次のような一節を振り返ってみる。

“予期しないのに起った本当の恋愛の実践の場では恋愛・結婚理念は何の役にも立たなかった。理論が先走って理詰めになり、押しつけになり等と、理論と実際とのジレンマで一層苦しみ、苦しめ、お互いの命が絶たれた状態も幾度となく体験した。”

ここでの〝理論と実際とのジレンマ〟とは何を指してのことだろうか?
理論・理念からすると、我執を無くするのは仲良くなる基本であるし研鑽形態はもちろん真の結婚も絶対に成り立たないと、ハッキリしていた。
それゆえか、身近な女房(柔和子)の我が抜けないで〝何が我抜きだ〟と、やむを得なくどんな方法を以てしてでもといった熱願行為に幾度となくかられるほど本人自身ひっ迫した感じに囚われていたのである。
この間全人幸福への熱願から、〝怒り〟の発生しない方法を考案した。次に悩みも数時間の理念研鑽で悩みから解放されて、自分もひとも豊かにしている人がどしどし誕生してくるといったかつてない人間革命運動にまで発展してきた。
ところがそうした怒りや憎しみや財産等、大抵の悩みや心の苦しみはスッカリ解決したようだが、恋愛・結婚問題で大変なことになった。悩み苦しみの方で〝特別〟が残されてあった!?

予期しないのに起こった本当の恋愛の実践の場では、特に苦しみの分析・分離、及び原因究明が出来ない状態になり、なかなかその苦しみから脱却でき得なかった。
それまでの研究するための科学実験や怒りなどのように材料を持って来たり、場を造ることも出来ない事態に直面したのだった。
それは理論・理念を論じる前に在るもの、予期しないのに起こった事実それ自体からの、山岸巳代蔵に対してのある意味真なるものからの警鐘であったとも言える。
警鐘

他の間違いを間違いと裁いて、直そうと気づかさないで、イヤがるのに押しつけ責め立て、その人と溶け合わない、そんな自分自身を振り返る。
○鬼畜のような形相で〝即実行や〟とグングンやったもの。
○命がけ、血みどろの愛欲史。
○生来の求真性格に煉獄の試練を。
○死よりもつらい数々の責め手,受難史。
○常識世界は冷たく酷だった。
○課せられた運命か、あまりにもヒニク。
○「一回の私心(自殺)が欲しい」と何回思ったかしれない。自己愛とでもいうのかね、
○他の数々の探究と、あらゆる天災・人災・病苦等での身心の試練で打ちひしがれて、生来弱体で気弱の幼柔な重圧の僕を、なぜまたゆるさないで……。

これこそ“理で虎に食われるを説いて、虎を退治しようとして、虎に食われなかった自分……”
の自画像だった。
あたかも『ヨブ記』(旧約聖書)で、ひどい目にばっかり遭うヨブの姿を彷彿とさせる。
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