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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(32)

 老いることは幸せ?

今年が運転免許証の更新時にあたるため、先日近くの自動車学校で高齢者講習なるものを受けた。
自動車学校

受講前にどうも実車による指導があるらしいと聞いていたから、安全確認やS字クランク走行や車庫入れ等うまくやれるかなぁと急に心配になってきた。
しかし当日は〝案ずるより産むがやすし〟で、助手席の講師の指導宜しきを得て「慎重な安全運転ですね」と一言添えられて無事何ごともなく済んだ。
ホッとした。そしてまた普段だれもが当りまえにやっていることを、自分もまたその通り身体の一部のようにやれていることに何だか嬉しい気持も湧いてきた。だって当りまえにやっている〝かもしれない運転〟でなく自分流にキメつけがちな〝だろう運転〟だったら、即事故につながりかねない。
これって普段の〝研鑚生活〟にもあてはまらないだろうか。研鑽のできる研鑽態度が身につくヒントが得られないだろうか。
例えば先回次のように記した。

“先の日馬富士の問題でも、対立・反目・確執・暴力等あり得ないのが本当なのに、「それは絵空事にすぎない。現にあるではないか」と〝混線〟しているところに間違いをみる”

いったい何と何とを〝混線〟しているのだろう。今まで食べたことのない新しいものだったら、先に味わった味を〝混入〟しないで素直に味わってみることに限る。考えられない頭で、二つの課題を同時に考えてしまう考え方に無理があるようなのだ。
今業として営んでいる農業でも、世間では「きつい・汚い・臭い・かっこ悪い・稼げない・結婚できない」の6K産業だと暗いイメージでずっと語られてきた。しかしやり方しだいでは、自分ら素人百姓でも高い経済性をあげているし、空気や水や草や塵芥が卵や肉や牛乳に変わる自然の根本妙手に感動しつつ老若男女みんなしてやる楽しい作業を満喫している実態がある。そこから本来の農業を見てとれないだろうか。
超・少子高齢社会が進展するなかで、先の安全運転もさることながら、経験や知識や身体的にくるもの等成人する程固くなっていく老化現象を防ぎ、時代の先端を行く若さを回復する機会が切実に求められている。

以前〝老いることは幸せ〟という言葉に出会って、ウソー!年を重ねて耄碌することのどこが幸せ? とビックリしたことがある。しかも現実、身近な周囲からも老いの嘆き節を日々聞かされると、自分がその境地に居らないとつい同調してしまいがちだ。
そう、ここでも本来の姿と常識・固定観念とを〝混線〟している。本来の姿と常識・固定観念の区別が解らないからなのだろう。常識・固定観念を本当の姿なりと感違いしているからではないだろうか。

じつは〝老いることは幸せ〟の出発点に立つことが容易ではないのだ。出発点は描くだけでなく、当りまえと為す〝実践〟だからだ。
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