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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(107)

〝地獄の八丁目、即極楽の八丁目〟

1959(昭和34)年7月24日三重県警から全国指名手配された山岸巳代蔵は、各地の会員宅などを転々としながらも、9月中旬から自意出頭する翌年四月十二日まで滋賀県堅田の地に住んだ。この間疲れ切った身体の回復に努めると共に情勢がある程度進展するまで出頭を見送りたいとの心境行動からであった。
そして書簡という形式をとって、この間の経緯を振り返りつつ近況を会員に向けて伝えていた。
なかでも第二信は、山岸巳代蔵から福里柔和子に宛てた書簡という形式で寄せられた。その文末は、次のように記されている。
特講絵図

“月界への通路、開設着工”
地獄の八丁目、即極楽の八丁目
 きわまる所 必ず展ける。
 霊人より”

ここでの〝月界への通路〟とは、次のような意味であろう。

“私は一九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探究し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を「月界への通路」と題しまして記述し続けております。”(山岸会養鶏法)

結婚資格のなかった自分が、絶望のドン底におちいり数々の煉獄の試練・死よりもつらい数々の責め手、受難史をくぐり抜け、ようやくにして真の結婚の出来る資格がついて、誰でも容易く真の結婚の楽園へ入れる鍵を見つけた発見の歓びに満たされている、といったことだろうか。
あの『ヨブ記』からの一節――
「神は兄弟をわたしから遠ざけ
 知人を引き離した。
 親族もわたしを見捨て
 友だちもわたしを忘れた。
 わたしの家に身を寄せている男や女すら
 わたしをよそ者と見なし、敵視する。
 僕を呼んでも答えず
 わたしが彼に憐れみを乞わなければならない。
 息は妻に嫌われ
 子供にも憎まれる。
 幼子もわたしを拒み
 わたしが立ち上がると背を向ける。
 親友のすべてに忌み嫌われ
 愛していた人々にも背かれてしまった。」
 (ヨブ記19章13-19節)
のように、

“常識世界は冷たく酷だった。”

という実践の場に立たされてはじめてヒニクにも、
窮まる所、開ける救いの手。宇宙・自然界の愛護を受けて、ようやくにして解放されようとしている! 途が開け始めたのだ!
〝地獄の八丁目、即極楽の八丁目〟なのだという!?
なぜ地獄=極楽の〝即〟なのだろう? 〝即〟の中身がサッパリ分からない。地獄の八丁目から極楽の八丁目へ至る、そんな通路があるというのだろうか? いったい何処でどんな機縁で地獄から極楽へとヒックリ変わるのだろうか。
こうした自己問答を日々くり返す中でフト思い至る。
あれっ、たしかに地獄から極楽の世界を目指している訳だけれども、地獄の世界に住んでいて果たして極楽の世界へ辿り着けるものだろうか? すると次のような一節が浮かんだ。

“明日の幸福は、今日の歓びの中から生まれ出るもの。
もし、今日只今が正常・健康でないなれば、速やかにそれの原因を検究して、その間違いの部分を発見し、即刻それの解消を図ることである。
悲しい今日の中から楽しい明日は生まれない。”(研究家・実行家に贈る言葉)

早とちりしがちな軽率な自分を恥じる。地獄から極楽への通路は、〝それには出発に先だって〟解明しておくところから開設着工されるのだ。肝腎の〝先立ってあるもの〟をまるで他人事のように見過ごされている!
要は極楽の世界へは極楽の境地からしか辿り着け得ないのだから。
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