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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(33)

 『君たちはどう生きるか』
君たちはどう生きるか

昨年来新聞広告『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)を目にするたびに、戦前に書かれた題名からして倫理道徳の教科書を彷彿させるものが、なぜ今多くの人々に共感をもって読まれているのか不思議に思われた。
そんな折人から「面白いよ、〝粉ミルク〟の話なんて、まるで特講でやる〝一体〟のテーマそのものだよ」と勧められてようやく、少年「コペル君」と彼を亡き父親の代わりに見守る叔父さんとの心温まる物語を自分も読んでみた。

驚嘆した。青少年向けの啓蒙めいたものと見なしていた自分のキメつけが外れた爽快感があった。この間自分らが必死に追い求めているテーマがここで展開されている!

例えば先の〝粉ミルク〟の話。赤ん坊の時粉ミルクを飲んで育ったことを思い出したコペル君は、ミルク缶に画いてある地図からオーストラリアの牛を自分のお母さんに重ねて、そこから順々に自分の口に入るまで一つ一つ辿っていくと、たくさんの人が自分に繋がっている事実を寝床の中で発見して昂奮する。そう考えてみるとすべてそうで、先生の洋服も靴もやはり同じで大勢の人と網のように繋がっていることを実感するのだ。
ところがそこでコペル君は一つの疑問にぶつかる。大勢の人の中で、自分の知っている人は粉ミルクを売ってくれた薬屋の主人だけだ。後はみんな、見ず知らずの人ばかりでどんな顔しているんだか見当もつかない。コペル君はそのことが実に〝へんだ〟と思う。

そんな疑問を叔父さんに打ち明けると、どこまでも赤の他人だとしたら、その繋がりはまだ本当に人間らしい関係になっていないからだ。そして本当に人間らしい関係とは、人間同士が喜び、喜ばし合う世界ではないのかと叔父さんはコペル君に同意を求める。

またコペル君には何人かの指切りまでして約束し合う心を許せる友人がいる。
ところがある〝雪の日の出来事〟で自分の弱さに打ちのめされる。親友たちが殴られているのを黙って見ているだけで駆け寄ることが出来なかった。そんな卑怯者の自分についての悔恨に責められる。一人ぼっちの暗い暗い世界に落ちこみ、とうとう熱を出して寝込んでしまう。

事情を察してかある日、お母さんが女学生時代の妙に深く心に残った〝石段の思い出〟の話をしてくれる。
石段の思い出

学校の帰りに重そうな風呂敷包みを下げたおばあさんが、お母さんより五、六段先の石段を登っていた。その大儀そうな様子を見かねて、代わりに荷物を持ってあげようと思いながら、とうとう果たさないでしまった。大変悪いことをしたような気がしたけど、それからは人の親切がしみじみと感じられるようになったのだという。

ああ、自分にも思い当たるなあ。
しかもそんな想いを繰り返しめぐらせていると、いつしか自責の気持ちも消えて心の中がジーンと熱くなってくるのを感じる。実は心の奥底では自分の喜びは他の喜びとなっているのだ!
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