自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(116)

心の琴線に触れる場所

“神がそばを通られてもわたしは気づかず
 過ぎ行かれてもそれと悟らない”(ヨブ記)

無いものが、見えないものが見える人になるために、〝ふとした機縁から気づい〟た世界を通り過ぎないために、そこに立ち止まり、踏み留まって、行きつ戻りつを何度も何度も繰り返し表現していくのだ。
何とも言葉で表せない感情でいっぱいになり胸が熱くなる〝この感じ〟って、いったい何なのだろうかと。
しかも〝この感じ〟に抱擁(つつ)まれて自足している自分とはどんな自分なんだろうか?
そう言えば〝心の琴線〟という言葉があったなあ。〝琴線〟という言葉が強く印象づけられたのは、たしか某新聞のコラム記事(1985年)によってであった。

“春の風や花びらといっしょに、楽しい便りが郵便箱へ入ってくる。外国からの絵はがきや、仲間の詩集や、映画の案内状や、なかにヤマギシズム春まつりの案内がひときわ目をひいた。ことしのテーマは「散財」とある。(……) きっとこの大らかな「散財まつり」は人の心の琴線を揺するに違いない”

〝琴線〟とは"heartstrings"の訳であり、古代解剖学で心臓を包み支える腱(神経)と考えられた。古くは「心弦」「心糸」と訳されていた。人の心には、琴の糸のように共鳴するメカニズムが備わっていて、その糸に触れると感情を動かされると考えられていたことから、心の奥底にある、微妙で感じやすい心情を〝琴線〟というようになった。こんな説明が一番しっくりする。
それにしても彷彿と浮かぶあの恥ずかしそうな笑顔から一瞬のうちに蘇り、こみ上げてくる心の琴線に触れるものの正体は、いったい何なんだろうか? 

そうやって四六時中自分自身の実感に思いをめぐらせていると、ふと〝琴線〟の鉱脈を探り当てたような瞬間があった。底が抜けたような感触があった。実感をともなった体験の場に立ちあがった。

例えば山岸会が発足してすぐの山岸巳代蔵の著作『獣性より真の人間性へ』は「万象悉く流れ、移り行く」という一節からはじまる。これは栄枯盛衰のはかなさやむなしさを表現したものだろうか。いや、それは逆で事実は宇宙自然界の底に息づく生命力というか美しさ・豊かさ・温かさの源がそこはかとなく広がっている自然全人一体の姿を言いあてた表現ではなかろうかと見えてきたのだ。
だとしたらこの自分がもっとも心安まるこの場所から〝真理、真実、真意、真相、事実、実態〟への通路というか「理念と自分との間に橋を架ける」とは、こういうことではなかろうかという驚きがあった。
琴線に触れるような体験の先に、人間本来の姿としての自分らの「ヤマギシズム」が立ち現れてきた! それって〝自分がヤマギシズムになる〟ということ?

例えば作家ドストエフスキーは、ムイシュキン公爵の心安まる場所を次のように表している。

“それは彼がいつも好んで思い出す地点であり、まだスイスに住んでいた頃、好んでそこまで散歩に行っては、その地点から眼下の村を、下のほうにわずかにほの見える真っ白な滝の白糸を、白い雲を、打ち捨てられた古い城を、眺めたものであった。ああ、いま彼があの場所にいて、そしてひとつのことだけを考えていられたら、どんなにかいいことだろう。そう、一生そのことばかりを考え続けて、そのまま千年だって過ごすことができただろう!”(『白痴』)
スイスの片田舎

そこは〝ただ自分の思いだけを抱いて一人きりになり、誰にも自分の居場所を知られないような場所〟なのだ。自分だけにしか通じないそんな心の琴線に触れる場所がある。しかもそこから、〝メビウスの輪〟のように誰の心にもある同質の〝琴線〟に触れられる・共感するという不思議さに出会うのだ!
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私の琴線に触れる場所

○研鑽学校Ⅲで。
縁側に腰掛けて、大工仕事をする父の背中を見ている少女の私。
チビの私の背が伸びるようにとぶら下がり鉄棒を庭にこさえてくれている。
何とも満たされて、安心しきった、そのままの心持ち。
あの陽ざしの縁側にズ~と留まって居たいなぁ。

○初めての研鑽学校。
「明、ドイツに行けますか」の投げかけ、あ~私、行ける!と気が付いた瞬間。
特講の残れますか?以来の謎が解けた。
理念と自分との間の「架け橋」を探しあてたようだ。
まさに行きつ戻りつも、30年を経ても、私を幸福世界へと誘ってくれる。

○5月16日からの参加予定の研鑽学校が楽しみ。
わたしが楽器になって胸の琴線を奏でたら、どんなメロディが生まれるのでしょう。

sachiko | URL | 2018-05-05(Sat)08:57 [編集]