FC2ブログ

自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(120)

「永遠の母性」への回帰

いったいどんな意図があってゲーテ(1749-1832)は、『ファウスト』の結末「神秘の合唱」で「永遠の女性」への回帰で締めくくったのだろう。
ファウスト・山本容子画

まるで〝鮭の母川回帰〟と同じではないのか? 鮭の一生は、初期には淡水の清流にすみ、中期は大海に出て大きくたくましく成長する。時がくれば、あらゆる危険を乗り越えて川をさかのぼり、自分が卵からかえった場所にもどる。
しかしものの本によれば、〝サケはなぜ生まれ故郷の河川に戻ることができるのでしょうか?〟といった驚くべき〝母川回帰〟のメカニズムの方に関心が向けられている。
問いたいのは、なぜ〝母〟なのか、なのだが……。

幸いゲーテ晩年の10年間秘書をつとめたエッカーマンにゲーテの談話を記録した『ゲーテとの対話』がある。
その中の1980年1月10日付に、
ゲーテが食事の後、ファウストが母たちのもとへ赴く場面を読んで聞かせてくれて、ゲーテから「これ以上君に明かすわけはいかない。ただギリシャの古代では、母たちが神として語られていたということを見つけた。後は自分で工夫して創った。どこまで掴めるものか、ひとつやってみたまえ」と励まされる箇所が出てくる。
そこでエッカーマンは次のような見解に達している。
○母たちは時空の外に生きている。
○地表に形態と生命をもつものはすべて、創造する存在である母たちから発生する。
○この地上の存在の、発生、成長、破滅、再生という永遠の変態は、母たちの片時も絶えることのない営みなのだ。
○この地上で止むことのない生殖によって新しい生命を得るすべてのものに、女性的なものが主として働いているのであるから、あの創造する神々は当然女性的なものと考えられるであろう。
○もちろん、これはすべて詩的な創作にすぎない。しかも限りある人間の知恵を以てしては、これから先へは進めない。推測はするが、分からない、としている。
ここでエッカーマンは、断定・断言を避けているところが興味深い。きっとそれに先立つ1829年2月18日の次のようなゲーテの発言を受けての見解にちがいない。

“人間の到達できる最高のものは、脅威を感じるということだよ。根源現象に出会って驚いたら、そのことに満足すべきだね。それ以上高望みをしても、人間に叶えられることではないから、それより奥深く探求してみたところで、なんにもならない。そこに限界があるのさ。
しかし、人間はある根源現象を見ただけではなかなか満足しないもので、まだもっと奥へ進めるにちがいない、と考える。”

そう言えば自分らもいつも研鑚会で、
「すぐに当たり前のことにしてしまう」
「持って生まれた感応能力を磨かないと」
「知識や体験からは本質は見えない」
「目の前の事実そのものから、もっと新鮮な驚きを」
「ただ感心するだけでなしに……」
「知者の振る舞いをせずして、唯一向に念仏すべしと。ただそれだけ」
と諭されたものだ。

ともあれエッカーマンは、この不思議な場面を何度も繰り返し静かに味わいながら読んでみて、喜びをおぼえたと記している。同感だ。〝温かく包み込む母性〟にひかれる自分らがたしかにいる。
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する