自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(121)

〝にわにおさまるみよ〟

それでは〝「永遠の母性」への回帰〟の辺りを、山岸巳代蔵はどのように語っているのだろうか。たんにゲーテ一人の人間の特殊な創作として見過ごすべき性質のものではないとしたら……。
例えば次のような箇所だろうか。

“夫だけでも、妻だけでも、何もなし得ない。夫は夫として生きない、妻は妻として生きない。男でないもの、女でないもの。男女寄って初めて、男の、女の、持ち味が本当に生かされるもの。”(柔和子に宛て 1960・2・29)

“僕はママとの、もう一対一で、一対一というより、二人の一人格。これでこそね、生きた仕事も出来るし、もうご飯もおいしいし、生活そのものもいきいきしてくるし、文章も生き生きしてくるし、著書もね。こういうね、こういうあの、結婚様式を、ね、こういうものがあると。相合うもの、最も相合うもの、こういうものがね、結婚できると、で、それでこうなるんだと。”(山岸夫妻を囲む徹夜研鑽会の記録 1960・3・27)
山岸巳代蔵と柔和子

これらの発言は、山岸会事件後指名手配された山岸巳代蔵が滋賀県大津市堅田での潜伏期間中に福里柔和子に宛てた手紙や研鑚会の発言である。なかでも4月12日に警察に出頭する前のこの時期、結婚観についての二人の不一致を解消して愛情の不安定に区切りを付けたいと、山岸巳代蔵は夫婦、真の一致一体により、真の世界へ脱皮することができた実態を次のようにも表現するのだった。

“○にわの、おさまる、みよ(1960.2.26)
○みよは、にわに完全に納まった。(1960.2.26)
○にわにおさまるみよ、オメデトー。(1960.2.27)
○柔らかく和やかな、夫を思い、全人を思う真の愛の女神に温かく抱擁されて、さすがのみよも、にわにおさまる。(1960.2.29)
○にわおさまるみよの初春(1960.3.11)”

これぞゲーテの「神秘の合唱」の詩句

〝とこおとめおとめさひすとなよよかに
われらひかれてをとこそひすも〟

そのものではなかろうか?
あえてヤマギシズム恋愛・結婚観の姿を〝「永遠の母性」への回帰〟に重ねてみた。
それにしても〝二人の一人格〟とは面白い表現だなあと次々と興味をそそられる。
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する