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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(37)

 〝わが一体の家族〟を思う

是枝裕和監督の映画「万引き家族」を観た。
万引き家族

万引きを生活の足しにして仲良く暮らすとある家族の姿を描いたものだ。しかも老女と中年夫婦と若い女、二人の子どもで形成されるこの家族には、血の繋がりがない!?
血縁のない家族、血縁に閉じていかない絆、そんな血縁を超えた支え合いの形がどう実現できるのか、そんな人と人との繋がりの可能性をテーマにしてみたのだという。

そう言えば映画の中で、絵本作家レオ・レオニの『スイミー』を男の子が朗読しているシーンが印象的だった。是枝監督の込めたものがそこに感じとられた。
というのもカンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを獲得した記者会見で、取材で行った親の虐待を受けていた子たちが暮らす施設で、女の子が国語の教科書を取り出して『スイミー』を読んでくれた。その朗読している女の子の嬉しそうな顔が頭から離れなくて、そうか自分は『スイミー』を読んでくれた女の子に向かってこの映画を作っているんだと、あらためて気づかせてくれたと監督自身が語っていたからだ。

あらすじはこうだ。
小さな赤い魚の兄弟たちの中で、一匹だけ真っ黒な魚の〝スイミー〟。大きなマグロがやって来て、兄弟の魚たちを飲み込んでしまう。逃げられたのはスイミーだけ。
そんな怖くて淋しくて悲しい失意のうちに暗い海の底をスイミーは泳ぎ続ける。
けれども、海の中のクラゲやイセエビやコンブやワカメ、うなぎやイソギンチャクなど面白いものに出会うたびに元気を取り戻す。
そんな中で見つけた、スイミーそっくりの小さな赤い魚たちに「遊ぼう」って誘っても「大きな魚に食べられるから」と岩陰から出て来ない。そこでスイミーは考えた。皆で大きな魚のふりをして泳ごう、と。そして皆が離ればなれにならず一匹の大きな魚になって、スイミーは目の役に就いて皆は泳ぎ、とうとう大きな魚を追い出した。
スイミー

映画では後半、老女の死や少年のとっさにあえてとった万引きから一気にそれまでの家族の時間が暴かれ、奪い去られる。だって血の繋がらない女の子を〝拾って〟形成された家族は、世間的に見ればその行為は〝誘拐〟にほかならない。家族は外からのバッシングと内からの疑心暗鬼で壊れていく……。

にもかかわらず、この家族に流れている〝共に過ごす〟時間や情に触れてか、今多くの人の心を揺さぶり続けているようなのだ。
じつは自分らもまた、ここ数年来是枝監督の初期作品、生のかけがえのなさを描いた『ワンダフルライフ』やレオ・レオニの『あおくんときいろちゃん』等を研鑚資料にして、見も知らぬ〝わが一体の家族〟を研鑚会で思い描いてきた。

それは〝あおくん〟や〝きいろちゃん〟に先だって誰の心にもある見えない〝みどり〟の世界の発見から始まる。誰もが家族同然の繋がりを既に生きているという驚きだった。
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