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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(134)

水を問題にしないで城を救う法

ヤマギシ会に参画したての頃、次のようなことを研鑽したことがある。

“目標を実現する最善の方法は一つであり、理想はその方法に依って必ず実現できる。如何なる場合でも、その方法を重視していきたい。”

エッ!? 方法はたった一つしかないの? そんなバカな……とビックリしたことがある。
こうした日々のいったい何を言わんとしているのだろうか?といった驚きが、飽くなき好奇心となって今日まで続いている。

例えば次のような話も事あるごとに思い浮かんでくる。自分らの進むべき道を指し示してくれているようにも感じるからだ。
九州の方で、ヤマギシ会会員の有志で〝青い鳥農場〟が発足したが、すぐに行き詰まってしまった。そこでAさんが「何か立て直す方法ないか」「解体せずに、何か良い考えないか」と研鑚会に出した時のことである。(ヤマギシズム理念徹底研鑚会1960.7)
そこで山岸巳代蔵は軍記物や戦略史にある「白米城」の伝説を引き出して、〝起死回生の妙手〟とか〝奇策と見える正攻法〟と自ら名づける案を披露してみせる。
白米城伝説

「白米城」とは山城の落城を語る伝説で、籠城戦で敵に包囲されて水を断たれた時に、城にはまだ水が豊富にあると攻め手に信じこませるために、兵糧の白米を水に見立てたというもの。
攻撃側から見えるように白米を流し落として滝に見せたり、馬を白米で洗う光景を見せたりしたという。すると敵はこれを見て水では弱らんぜと、長期戦やなとつい気がゆるんだとき打って出て切り抜けたという話。

この案を、零位に立って聴いて欲しいという。簡単に素直に言おうとする焦点を聴いて欲しいのだと。
というのも、関係者の誰もが「水が問題や、水が問題や」と固く信じ込んでいる中で、〝この案〟の実行くらい荒唐無稽で軽く聞き流されてしまうことが多い象徴的な例なのだ!
水が足らないから、水が問題やと。その水水と言っているから、解決できないのだ、と!?

先(「と」に立つ実践哲叢38)で触れたあの〝のぼう様〟の〝田楽踊り〟の姿が思い浮かぶ。
山岸巳代蔵もAさんらのいつまで立っても一向に結論の出ない〝くよくよ小田原評定〟にしびれを切らしてか次のように発言する。

“たいそうやね。自分の一尺後ろにある宝を前向きに見ていて、ちょいと振り返ると……。”
“自分から殻脱ぐだけ、これ出来んかね。”
“財産なければ、知恵がなければ出来んでなしに、知恵が邪魔することがある。財産が邪魔することもある。青い鳥は九州の人達の内にあるということを気づいてもらえたら結構やと思うの。”

「イェニーさん問題」もまたしかり。
イェニーさんはマルクスよりマルクスの近くにいる。あまりに近すぎて可視化することも分離することもできないという先の森崎さんの発言と重なって尽きせぬ興味をかきたててくれる。
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