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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(140)

まるで自分のことのように

たしか〝ぼくが衣類と書物をいっぱい詰め込んだ重いリュックを背負って国鉄関西線・新堂駅に降り立った〟参画時(1970年9月)に、詩人・清岡卓行の当時の芥川賞受賞作品『アカシヤの大連』もリュックに入っていた。とても大事にしていた記憶がある。
アカシアの大連

あらすじはこうだ。
大連に生まれ育ち、東京の大学の一年生だった彼は、第二次世界大戦が終わる5か月前(1945年3月)に大連へ里帰りする。内向的な文学青年であった彼は、戦争下の生活に矛盾を感じ、生きる望みもあまりなく、自殺まで考える。戦争は終りロシア統治下の大連には、日本の内地に比べれば飢えの雰囲気もなく平和な面影がまだ残っていた。
彼は帰還船を待つ間に、知り合いの化学技術者の娘さんがデパートで働くのを手伝うことになり、……。
といった具合に日本統治下の大連の描写が続き、ただ往時を懐かしむ謂わば淡い郷愁を感じさせるだけの作品のようにも見える。
当時の選考委員の一人、作家・石川達三のむしろ受賞に否定的な選評は今読み返しても適切だ。

“私は躊躇した。ほとんど全篇が個人的な思考を追う(哲学的随想)のようなかたちで、どこまで行っても平板な叙述であって、立体化されて来ない。最後の短い一節だけでようやく小説になっている。”

その通りだ。うまく言い当ててるなあと感心した。
しかしその〝最後の短い一節〟から、不思議にも心底求めるものと応じるものが出会い全面一致する、そんなかけがえのないものに触れ得たような喜びが湧き上がってくるのだ!
そこで『アカシヤの大連』から〝最後の短い一節〟と思える中から心に響いたフレーズを抜き書きしてみる。
先のあらすじ、〝彼は帰還船を待つ間に、知り合いの化学技術者の娘さんがデパートで働くのを手伝うことになり、……。〟の次の場面からである。

“彼女はよく笑った。それは、彼に、洗ったばかりの葡萄の房の綺麗な粒がいくつも転っていくような印象を与えた。”

“ああ、きみに肉体があるとはふしぎだ!
彼は自分の胸から不意に湧いてきたその言葉に、たじろいだ。”

“彼女の出現は、急激に、彼の心の奥底に眠っている何かを揺さぶり起こしたようであった。”

“彼は、アカシアの花が、彼の予感の世界においてずっと以前から象徴してきたものは、彼女という存在であったのだと思うようになっていた。”

“彼は、いつのまにか、彼女と結婚することを夢みるようになっていた。”

“「彼女と一緒なら生きて行ける」という思いが、彼の胸をふくらませ、”

等々。なかでも圧巻は、デパートからの一緒の帰り道で、彼は彼女のとても風変わりな立振舞いに接した時であろう。
いつも同じ顔ぶれの数人の中国人の子供たちが駆け寄ってくると、彼らはにこにこしながら彼女に向かって小さな手の平を差し出す。すると彼女は十円紙幣を一枚づつ、彼らの小さな手の平の上に嬉しそうに載せる。
彼にははじめ、その光景が苦痛であった。

“しかし、同じ光景を何べんも見ているうちに、そこにある人間関係は、かつてのものとは全然ちがうものであるということを彼は知った。そこには、恵むものの傲慢も、乞うものの卑屈も、まったくないのであった。まるで、親しい姉と幼い弟たちの間におけるような、自然なやりとりの温かさだけが流れているのであった。”

そうだったんだ! 自分もまた作品『アカシヤの大連』に流れているものにずっと無意識に惹かれ、ヤマギシ会に出会ってそのことをついに〝ある愛の詩〟として確かめられたのだ、と。
今読み返してみても時代や背景はちがうけれど、まるで自分自身の結婚の経緯までの心の動きがそのまま再現されてあることに驚愕した。
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