FC2ブログ

自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(141)

コロンブスの立卵鑽 
コロンブスの立卵鑽

ところが折悪しくというべきか、ある時たまたま風呂への行き帰りのすれ違いざまに実顕地造成の世話係だったSさんから「佐川節(『ある愛の詩』―引用者注)をきかせてもらったよ」とニッコリ声かけられたことがあった。
ショックだった。
というのも当時実顕地全体が有精卵の増産態勢の方へ力強く盛り上がりつつあった時期だったので、自分にはそんなマイナーで軟弱な私的な世界に入り込んでいる自分が否定されているように勝手に受けとったのだ。
さらに自分にとってその頃の一番の関心事は、〝そこの住人になりきる〟だった。そのためにも今までの頭でっかちな自分を解体したかったのだ。
それ以降、そうした実顕地に参画してはじめて自分にとって素晴らしい女性に出会えたという〝ぬるま湯〟的な感じ方・生き方を自己批判し意識して封印するようになった。
拡大発展の年だった。

“○会員拡大――特講拡大・旧会員の復活
○地元・同業者・関連業者との関係
○参画者の親子兄弟親戚の参画拡大推進
○実顕地生産物の増産拡大
○供給所 活用者の大幅拡張
○単位実顕地は夫々適正規模を目指して規模拡大
○単位実顕地は夫々一つ以上の実顕地を分家する
○実顕地が持たなくても実顕地で使える状態の土地や資金を拡大する”(正月経営研鑽会 研鑽課題より 1977.1)

しかもその頃社会を震撼させた〝連合赤軍事件〟も背景にあった。とても他人事には思えなかった。自分ら実顕地生活の中での組織や個人の生き方にも未解決で残されている重要なテーマのように漠然とながら感じていたからだ。
そもそも「〝ぬるま湯〟的な生き方を自己批判し意識して封印するようになった」こと自体の中に、今にして思えば連合赤軍事件と同質の芽が潜んでいたのではなかったのか?

組織によって個が安定するような依存型の人間によって構成された集団は、自ずと集団の安定が第一義の目的となり、どうしても固定化・閉鎖化していく体質となる。
そうだとしたら、すべてのことを自分のこととして為し、自分の生き方として生きるようになり、報酬の求めがなく、他に対して不平不満が一切なくなる〈個で充実し 個で安定する 依存のない生き方〉はどうしたら可能になるのだろうか?
長い間、個と組織の間でのジレンマを抱えてきた。個として何か〝してはならぬ〟ことをしているという、あの落ち着かない気分をどうしても払拭できないでいた。

後のあの2000年前後一人ひとりの本心からの〝今までやってきたことの根底からの見直し〟気運をとおして、歪みが一挙に噴き出した会組織全体の驚天動地の出来事は当然の帰結だった。
昨日までの同志相棒が、一転して心の底で軽蔑の眼差しを互いに向けながらわかれた。

はじめて自分はどうするんだと、イズム運動に真正面から直面せざるを得ない状況に追い込まれたのだった。
理想を追い求めるとは? 革命とは? 私が変われば世界が変わるとは? 反復して自分に問う以外に為す術がなかった。
その頃だった。なぜかあの封印していた〝佐川節〟の世界がよみがえってきたのだ!?

そしてふと妄想してみた。自分にとって〝ぬるま湯〟的な心地よくてずっといたい場所からヤマギシズムなるものにもし橋が架けられたらどんなにか素晴らしいことだろうなあと。本当に虫のいい話を思いついたのだ。自分が本当にやりたいことばかり追い求めていたら、ひいては全人幸福に繋がる? 

そんなバカな、と何度も何度も打ち消しているうちに、もうやぶれかぶれの捨て身の覚悟からの〝コロンブスの立卵鑽〟だった。
だから橋が架かったような感触が得られた時、ヤッターと思わず心の中で叫んだものだ。自分の中で閉ざされ眠っていたものが呼び覚まされた解放感とでも言えようか。
それが前述の自分自身の〝〈性〉の琴線に触れた〟実感がともなう体験だ。
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する