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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(145)

だがあの時は、こうやったんや、と振り返る

1958(昭和33)年夏、『百万羽』の建設地「ヤマギシズム生活実践場春日実験地」が発足した年に並行して「愛情徹底研鑚会」も開かれていた。その研鑽に懸ける並々ならぬ山岸巳代蔵の意気込みがうかがえる。

“私にしてみるとまた、生きるか死ぬかの問題やと思っているの。愛情問題ね。”
“やはりこの問題解決しなかったら、私はね、生きた仕事が出来ないと思うんです。”
“本当の自由の世界は、そこからでなかったら生まれてこないと思うんですね。”
“ひとつの観念が入るとね、それが入っている間は絶対に本当の答が出ない。
その観念を外してやね、数理究明的に究明してこそ、本当のものが出てくると思う。”
“今日はもう本当に土壇場まできて、本当に全生命懸けてやるつもり”

といったように、恋愛結婚問題の根本解決によって嫉妬・憎しみ・葛藤・混乱など起こらない本当の社会を山岸巳代蔵が観ているからだ。
すでにこの時点ではっきりと、この間〝検べに検べ続けて変わらないヤマギシズム結婚論理と社会紊乱の浄化・安定とが相一致するようだ〟という確信があった。
そのことは「愛情徹底研鑚会」での次のような発言からでも明らかである。
アンドロメダ銀河

“必ず、正しい、間違いのない、この、この世の営み、自然界の営みによって、ちょうど、拠り所のない月や星や地球が、どこにも紐帯を持たない、足場を持たない中に、間違いなしに律動しておる状態、どこへ飛んで行ってもいいこの宇宙界を、やはり一つの目に見えない軌条に乗って、間違いなしに動いておる状態。人間同士の結婚に於ても、そういうものがあると思う。
道徳学者達が非常に不安に思われるような、こういう混乱状態の、その場その場、その時限りのような、行きずりの結合でなしに、やはり本当の異性間の愛情を基盤として、間違いない性生活が行なわれていくのが本当だと思う。そうなると思う。
自分の過去の幾多の体験から、いよいよそういうことが、だんだんと明るくなって、解明していくような気がする、自信がますます持てるような気がする、本当に。無軌道・不安定のように見える中にこそ、本当の安定があると思う。”(1958.11.29三重県三重郡菰野町見性寺に於いて)

宇宙自然に繋がっている〝人間同士の結婚に於ても〟自然の真理だといえるような、相合うというか調和した姿に本当のものを見ようとしていたのだった。
そうした真理を基準にした〝愛情研鑚会〟にしていくために覚悟のようなものを自身はもちろん参加者にも呼びかけている。
それは〝本当のものが出てくる〟ためにも、いい加減なところで妥協しない。妥協で焦点を逸らさない。うそ偽りはないといった極致を目指した。
そして自身のこの間の理性の働かない状態、思いが通じない時の「何とも言えんもどかしいもの」からの発作状態についての体験を振り返る。
例えばビール瓶を投げたり、扇風機を鏡に投げつけたり、火鉢をひっくり返したり、東荘(四日市)の二階から飛び降りようとしたり、頼子の住むアパートの石油の臭いがする台所で何度もマッチを擦って投げたり……。 
フッともう一時の感情でもう立っても居てもいられなくなって〝やらんでもええことをやって〟しまうから、力尽くでもいいから止めてください。研鑽の余裕ないからね。みんなでね、縛りつけてもかまへんわ。そこらの縄で。と、そのくらいの気力でかかってくださいと、自分自身に参加者にも願うのだった。

ある日の研鑚会でどんな話の流れでか忘れてしまったが、Sさんが次のように語ってくれた今も心に残る話は、こうした愛情研鑚会にまつわる内容からだったのだ。

“自分を批判するということ山岸さんはよくやった。だからこういうことを僕に言わしたらいかんとか、僕にこういうことさしたらいかんやないかと言うわけ。
普通なら、僕らのその時点での考え方ではそういうことは、そう思ったら、自分が言うたらいかんと思ったら、やめたらいいし、やらん方がええと思ったらやらなんだらええのやろと思っていた。
そやけど、そういう場に立たされて、そう仕向けられたら、そう言わざるを、せざるを得んというかな、別の立場で批判しているわけ。
そんなことさしたらアカン言うて、誰か止めないかんとこや言うて。”

人間の持つ奥深い一面がしみじみと迫ってきたその夜の研鑚会だった。
それにしても思いが言葉や何かで通じない時の立っても居てもいられん状態の「何とも言えんもどかしいもの」とはなんだろうか? いや、すでにそこに生きる山岸巳代蔵がいた。
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