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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(158)

『正解ヤマギシズム全輯』の草稿
草稿

『百万羽』構想という理想社会建設の大事業と並行して始められた「愛情研鑚会」で、男女間、夫婦間の愛情の不安定がいかに多くの社会問題を惹き起しているか、我執の害毒がいかに大きいか、全人幸福のためにはこの問題の解決こそと命を懸けてきた山岸巳代蔵であった。

そんな矢先の1959年7月〝山岸会事件〟で脅迫の疑い(翌年10月起訴猶予処分)で全国指名手配されて以来1960年4月に自ら出頭するまでの約八ヶ月、主に滋賀県堅田の地にあって誤解・曲解されやすい言行によらず責任のとれる著書に依りたいと、『正解ヤマギシズム』の著述に専念する日々だった。
なかでも自分自らをまな板に乗せた〝血みどろの愛欲史〟を〝ヤマギシズム恋愛・結婚観〟にまで煮つめ社会一般化されていく一部始終ぐらい、せめて要点だけでもまとめて世に残しておきたいと願うのだった。
それは次のような言葉の端々に現れる。

“全人幸福への根本条件解決への一考察”
“世の人々の参考に役立つなれば”
“苦悶する人の一人もなくなることを願って”
“いずれが正しいか検討する正しい結婚への参考資料に”
“全人幸福への道標か何かの足しに”

等々どこまでも考えるための参考資料に過ぎないとしながらも、

“現在の世相では、本書の文字を読める人は多いだろうが、これを読み得ても意味を読みとれる人は少ないだろうと思う。
まして本書に盛られた具現方式を、即実行、具現できる人は、その境地に入った、よほど進歩的で、世界の先端をいく、革命意識に燃える、まれに見る人達に於てのみなされるであろう。だが、この空想とも一般に笑殺されるであろう、実は実現容易な理想境〝金の要らない楽しい村〟が、地上の一角に一点打ち立てられる時、それを見、聞き、伝えた世界科学者達の研究課題になり、人間の本質、社会のあり方等について、関心を寄せられる人々の注目が集まり、実行家の続出することは、火を見るよりも明らかである。”(研究家・実行家に贈る言葉1960.5)

と燎原の火のように世界中に燃え拡がり、急速に全世界が風靡される実態の普遍性については一点の曇りもないのだ!
確かに指名手配中の身でもあり、満足に著述に打ち込める環境ではなかった。しかもこれら遺された資料は、ほとんどが断片的な未完成草稿である。本人による添削が複雑に施されていたり、途中で別の主題に飛んだり、中断したり、ほぼ同内容のものが表現を変えて書かれていたりと、非常に読みとりにくい。
加えて出頭するに当たっては、『正解ヤマギシズム全輯』の草稿としてB五版わら半紙に鉛筆で書いた四百枚近くの未完成原稿もすべて「燃やしてほしい」と当時近くにいた人に託されたとの証言もある。
だとしたら結局のところ、『正解ヤマギシズム全輯』の出版は〝幻の著作〟に終わったのだろうか。山岸特有の大うそつきのはったりめいた発言だったのだろうか。
山岸会事件後、多くの会員が〝こんな筈でなかった〟と動揺していた頃、山岸巳代蔵から福里柔和子に宛てた書簡という形式で会員に向けて発信された第二信で、

“柔和子と僕の目には、今日の形でなく、カレンダーを数枚めくった日本晴の明るい世界が展開していますね。前進前進の現段階や、これからの見通しがついているわね。”(1959.10.10)

と書きとめている。
先回の〝即極楽の8丁目〟の文言もこの二信の文末から引用した。

“月界への通路、開設着工 地獄の八丁目、即極楽の八丁目 きわまる所 必ず展ける。霊人より”

必ずそう成ることを見て言っているのだ。まだ無いものが見えるから言っているのだ。
ある意味〝幻の著作〟どころか、四百枚近くの未完成原稿は汲めども尽きぬ理想実現への泉なのだ!

ここではある程度纏められた「『恋愛と結婚』の前書き」(1959.10~12)や「真の結婚を探ねて」(1959.11)と主に山岸巳代蔵と柔和子による研鑚会記録「編輯計画について」(1960.2~3)等の資料から山岸巳代蔵の心の動きを辿ってみたいと思う。

当時山岸巳代蔵は滋賀県堅田に住んでいた。柔和子もまた堅田に近い滋賀県の浜大津に住んで、そこから山岸の住む堅田に会いに行くようにしていた。「編輯計画について」等の研鑽会記録が残っているのは、同じく指名手配中で事件の広報担当だった奥村通哉(1923~2016)さんが堅田に呼ばれて口述筆記を自らの出頭の日まで担当していたからである。
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