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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(161)

不思議な謎も解けた一部始終
煉獄山 ダンテ『神曲』

次に「真の結婚を探ねて」を読んでみよう。

①私も今から思いかえすと、結婚によく似たことを幾度かして来ましたが、いずれも不完全なものばかりで、真の結婚とは縁遠いものばかりであった。肝腎な条件が欠けていた。肝腎な条件が欠けているのに結婚は成り立たない筈、不安定なことは当然で、毎度不成立のまま今日に及んでいる。

②今から考えると、真の結婚の何たるかさえもわきまえず、しかも未成熟のままで、即ち結婚資格もない僕が、一般に結婚と謂われている、真の結婚でないものを、結婚かのように思い間違って、早まり過ぎたために、真の夫婦になれる相手や周囲を苦しめ、自分も苦しみ通してきた事であった。

③僕は全人幸福への熱願と、それへの凡ての面での理論究明と、進歩的合真理方法の考案や普及に急にして、自分自らヤマギシズムの人間性に到達することが疎かであった。
怒りの発生しない方法を考案した。熱心に三時間も理論研鑽一回だけすれば、以後一切ほとんどの人が腹の立たない人になれるし、心も広く、知恵もよく働くようになる。この方は今までのところ、どんな場合でも、一度も怒りが湧いてこなかったから、絶対に腹が立たないと云えそうだ。

④ところで僕、怒りや憎しみや財産等はスッカリ解決したようだが、悩み苦しみの方で特別が残されてあった。
大抵の悩みや心の苦しみは起らないから問題でなかったが、恋愛・結婚問題で大変なことになった。
恋愛や結婚は、試験・実験をしようとわざと仕組んでも、本当の実験・体験にはならないことで、科学実験や怒りなどのように材料を持って来たり、場を造ることも出来ない。模擬的にやった場合は理論通りに出るが、予期しないのに起った本当の恋愛の実践の場では何の役にも立たなかったことである。理論が先走って理責めになり、押しつけになり、成るものもかえって反対へ反対へと追い落し、理論と実際とのジレンマで、これまた一層苦しみ、苦しめ、お互いの命が絶たれた状態も、幾度となく体験した。

⑤しかし、悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなった途端、絶望のドン底から途が開け始めた。悩み、苦しみのほとんど起らない境地にまで漕ぎつけたようだ。
結婚資格のなかった自分が見え出した。見えだすと早いもので、いよいよ真の結婚の出来る資格が、初めて、ようやくにして、ついたように思える。

⑥恋愛・結婚は楽しいことばかりで、歓びに充ち満つるのが本当で、悩ましかったり、切なく不安で苦しかったり、好ましからん問題を起したりすることが無い筈だのに、そうも行かない不思議な謎も解け、真の結婚のいかに大らかで、真に自由で、絶対安定で、広大無辺の愛の素晴しさを、受け売り論議でなく、身を以て体得したままを、飾らず匿さず余すところなく公開し、この世に生を受け、古今の万人万物から有形無形に受けて、返すことの出来ない僕の、最大の贈り物としたいと思う。

ここで山岸巳代蔵はこの間自らの〝偶然か、必然か、実践の場に立たされ通した結婚受難史〟を振り返えりつつ、人間幸福への条件である怒りや憎しみや財産を放す等の自己革命はスッカリ解放・解決されていたにもかかわらず、恋愛・結婚問題から来る悩み苦しみの方で大変なことになった経緯とその不思議な謎も解けた一部始終を記述している。
自己革命と恋愛・結婚革命を区別せざるを得なかった当事者ならではの追い込まれた場所がじつに興味深い。不可思議界の究明専攻の人達の参考に値する云々と云った記述もあながち大げさではないのではないか。ここの自己革命と恋愛・結婚革命を一緒くたにしてしまっているところにじつは悩み、苦しみの原因があったのだ!
ではどのようにして解けたのだろうか?
こういうことだろうか。
この一文の冒頭は次のような一節から始まっている。

“本当の結婚をしている人、幾人ありや。
命がけ、血みどろの今日まで。
生来の求真性格に煉獄の試練を。
真の結婚は求めたが、苦難を求めはしなかった。”

ここでの〝煉獄の試練〟とは、カトリック教会の教義で、この世のいのちの終わりと天国との間に多くの人が経ると教えられる清めの期間で、「永遠の救いは保証されているものの、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化(清め)の苦しみを受けると考えられていた場所」と説明しているところと重なるだろうか。それはまさに陣痛の苦しみ、脱皮の苦しみでもあったろうか。
こうした大試練で悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなった途端、〝真の結婚の出来る資格〟や理論と実際とのジレンマが解けたのだ!
思う思わんの観念でなく、人間本来の姿として悩み苦しむ間違った姿が現れないように出来る〝真の結婚の出来る資格〟が体得された。
するとなんと

“真の結婚のいかに大らかで、真に自由で、絶対安定で、広大無辺の愛の素晴らしさ”

が歓びの中に展開していたのである。
あの死さえも赦されない苛酷な苦悩は私達のみで終止符を打ち、今を境として、以後楽しい筈の恋や結婚で苦しむ人の一人も出ないように出来る途が開け始めたのである。
ふっとこの途こそ、宇宙自然から注がれた愛護を受けて返すことの出来ない僕の、全人幸福のために役立つかもしれない最大の贈り物にも思えてくるのだった。
それはまさにコロンブスの卵だった。
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