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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

「と」に立つ実践哲叢(44)

愉快の幾千万倍の気持ち
高倉健

ヤマギシ会の第一回〝特講〟(昭和31年1月)が開催された翌年9月、会の全国大会で山岸さんは講演している。要約してみる。

「二人の知的障害の子を持って悩みに悩んでいたお母さんが、一週間の〝特講〟で、この二人の子がいたがゆえに、こんな幸せな境地へ入れた。その日から、その時間から、その瞬間から愉快になってしまったと言う。
それもただの〝愉快〟ではない。愉快の幾千万倍、なんかしら愉快な状態、いつでもウキウキした状態になった。
そういうお母さん、この一人がそうなったら、たくさんの知的障害を持った子の親たちが続々そうなってくるということですネ。
その子ばっかりにとらわれていたのに、その子どもを放っといて駆け回る。その子を放したら、その子がすくすくと育つ。この子はダメだ、と思っていたのに、〝こりゃいけるぞ、落ち着いてきたナ、からだも伸びてきたナ、知恵が何やら無いと思っていたけど、チョイチョイ知恵が出てきたナ〟、こういう状態になるらしい。」

自分の心の内にキメつけている観念が抜けたハッと開ける一瞬。これこそ自分らがあの特講で味わった世界でもある。
それにしても〝愉快の幾千万倍の気持ち〟ってどんな気持ち? 山岸さん一流の大げさに飛躍した物言いなんだろうか?
そんな〝家も、子どもも放っておいて、自分さえ愉快だったら、そらいいわナ〟と引っかかる人の気持ちをも見越してか言う。

「大変なことが起きたようなことでも、大変なこととは思わない。〝アラ、いい調子だナ〟、〝ひと仕事できてきたナ〟、こういうふうになれた自分。このときに〝よい調子になってきたナ〟と思おうと思わないのに、ワザワザこんな面倒なこと思わないのに、〝ああ、これは面白いことだナ〟と思えたらよいの。思う思わんでなしに、そういう状態になって、それに飛び込んでゆける私になったらよいと思う。」

ここでの我が子を放したお母さんの眼には、きっと我が子を超えたものが映っているにちがいない。えーっ! それってなに?
今まで〝不幸だ、不幸だ〟と思っていたお母さんが、この二人の子がいたから、こんな幸せな境地へ入れた。そこから〝愉快の幾千万倍の気持ち〟が湧いてきたのだと言う。そのことはすくすく育つ子らと共に力強く生きている〝喜びの自分〟をそこに発見したからではないだろうか。
ふと題名に惹かれた俳優・高倉健の『あなたに褒められたくて』の一節が思い浮ぶ。

「お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を描れて、返り血浴びて、(略)三十数年駆け続けてこれました。」

知的障害の子がいたがゆえに幸せな境地へ入れたお母さん。あの母(ひと)に褒められたい一心でやってきた健さん。そこに見出された〝喜びの自分〟の中の〝あなた〟を想う。 
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愉快の幾万倍の気持ち

特講は何がなんだか??
それでも、20日後には三男を見知らぬ三重県の幼年部に送った。
今の自分を切り拓く途はこれだ、との思い込みだけだったが。

真に必要で価値あるものは、求めるものと応じるものと必ず全面一致するはずのものであり・・・
「受精さえしておれば孵るはずだと真理がこたえる」

汽車に乗るように目的地に運んでもらい、さて、新しい創作の仕事に!

麻野さちこ | URL | 2019-05-20(Mon)18:40 [編集]