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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(170)

〝ポンと外す〟

その後1960(昭和35)年6月、三重県津市阿漕の「三眺荘」という借家に山岸巳代蔵は居を定め、福里柔和子との新たな生活を始めた。
三眺荘

またこの「三眺荘」で翌年五月に岡山で逝去するまで毎月、計九回の「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」がもたれた。
ともすればそれまでは〝養鶏〟というキーワードで語られることの多かった山岸会活動が、思想的に或いは社会活動の一環として大きく転回していく真っただ中にあった。

それまでの〝オヤジ(山岸巳代蔵)が言ったから〟とか自分だけの観念で〝幸せだ・愉快だ・良かった〟とする言動も、それでよいとしないで、本当かどうか理念、真理の世界までいって見極めてこそ社会一般に拡がる質のものが見出されるはずだとした。
なかでも〝信じる〟〝執われる〟という人間観念のあやふやさ・いい加減さ・危なさを、もっとも警戒する山岸巳代蔵だった。

それゆえ自分の発言も一介のおばさんの言と同じ比重で採り上げられるような宗教形態に陥らない研鑚会の実現を強く念願した。参加メンバーも覚悟をもって臨んだ研鑚会であったにちがいない。
さて第一回のヤマギシズム理念徹底研鑽会」は1960年7月20日夜~23日まで、三重県津市の「三眺荘」でもたれた。
ここで興味深いのは、先の自意出頭(4月12日)前の研鑚会「編輯計画について」(1960.3.6)での山岸巳代蔵の発言
〝理屈抜きで、ポンと夫婦の本質の中へ入る〟に応じるかのように、冒頭から

“相手が何を言ってこようが、どう出てこようが、執われない自分になること。これは練習していると、わりあい早く出来る。”

として、〝外しの練習〟について言及している箇所だ。しかも、

“それを知恵で、自分の判断で、理解納得して外そうとしても、なかなかなれへんのよ。ポンと外すのよ。”
“長いこと苦しむことがあったが、この頃では早いこと外して、朗らかに楽しくなる。それだけでよいとすればおかしなもので、それから研鑽していくと、今までおかしかったものが快く見えていく、この頃のうちの実態です。”
“突っ張る前の、意見の対抗的、不愉快になった時に、その状態をたとえ一瞬でも少なくしてと、ここを言ってるの。
不愉快にならないようにするために……。なった時はどうするか……。”
“ひっかかった時は、我であろうと何であろうと、いったん〝外す〟ことで、それを理でいこうとすると、なおさら物分りが悪くなってね。”
“一体を望みながら、意見が違うために、固くなり、不愉快になり、「まあ俺はよいわ」と対抗的になることがある。”

他の人とはいっぺんも喧嘩しないけれど、夫婦の中ではややもするとそうはいかない辺りの体験談から始めるのだ。身近な夫婦の間の普段気がつかない領域に研鑽の光が当てられる。〝長いこと苦しむことがあった〟との言葉に万感の思いがこめられている。
しかもその外し方が特異なのだ。問答無用で〝ポンと外す〟ところから始まるのだという? 〝ポンと夫婦の本質の中へ入る〟とは、そういう外し方なのだという?

戎井 外す方法として、私は自分を別に置いてみて、案外楽にいけてね。
山岸 うちの方はもっと早い、「オホホ……」で外す。問答無用で、その手にかかったら、僕も骨なしや。
(略)
柔和子 私の場合はものすごく、病的とも言える熾烈なものよ。外しの一番初めの稽古は、「ウソでもいいから『ホホ……』と言ってみよう」から入った。ところがウソで外してたのが、だんだん本物になってしまった。”

ここでの〝外し問答〟はまるで禅問答のようにも聞こえる。しかし「問答無用で、その手にかかったら、僕も骨なしや」という発言にハッとさせられる。〝そうかあ、なるほどな〟と思いあたる節がある。
よく異性などの魅力に惹きつけられるさまを、〝骨抜きにされる〟という。この間の文脈に沿えば、我執というか〝固いものが溶けて〟しまう状態にされることだろうか。
しかも先の発言にもあるように、

“それを知恵で、自分の判断で、理解納得して外そうとしても、なかなかなれへん”

ものが、異性などからの「オホホ……」によぎられることによって問答無用〝骨なしにされる〟のだ! 煩悩を取り払おうと、もはや寒夜に滝に打たれる必要がないというのだ!
えっ、どういうこと? ともあれ山岸巳代蔵は、

“これからは二人の一体で、同じ二人が一つになれてから、仲よくほのぼのの気分で問題を解いてゆきたい”(わが一体の家族考166)

とする〝一つ〟を実感するのだ。ヤマギシズム恋愛・結婚観の秘められたヴェールがしだいに上がるようなときめきを覚える。
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