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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(173)

男が男になり、女が女になる 
『アダムとイブ』デューラー

以前次のように記したことがある。
“ある日の研鑚会で次のようなことを研鑽した。
「男には女の要素が、女には男の要素がない。無い要素をはっきり自覚したら、男女問題は大部スッキリすると思う。要は、お互いに立ち入らないことだ。」
エッ、どんなこと?
〝無い要素をはっきり自覚したら〟とか〝お互いに立ち入らない〟って、どんなことなんだろう?
普段は生理身体的な凹凸の違いぐらいに思っていたからか面食らってしまった。
研鑚会は、男らしさとしての意志の強さとか貫徹や剛直をあらわす〈剛〉、女らしさとしてのすべてを包み溶かしてしまう〈やさしさ〉の世界について未知のことを知っていく楽しさに満ち溢れた。”(わが一体の家族考76)

たしか以前のヤマギシズム生活法テーマにも
「分類の極めつけ男らしさ女らしさ
 男は剛 女はやさしさ」
とあり、皆で研鑽したことがある。
まずは思いつくまま挙げてみる。
○やさしさは女の人なら誰でも本来持ち合わせている。
○男とまったく逆で、鍛えるという要素は一切不要で、途中でいろいろ付かないほうがよい。
○柔らかく、まろやかで、どんな固いものがきても溶かし包み込んでしまうやさしさ。
○特に自身が逆境や病身になった時こそ変わらぬやさしさがあることが、女性の絶対条件。
○どんな時でも、いかなる場合でも、女がやさしく出ること。
○男が男に惚れられるような立派な男。女に女が惚れるようなやさしい女になったら、混線は起こらない。
○女の頭の高いのは、カシコのアホよ。

なかでもこの〝カシコとアホ談義〟はとても面白い。山岸巳代蔵は次のように定義している。

“知恵があり、それを上手に使うのが「カシコ」で、知識の多いのは「ものしり」で、間違ったことでもたくさん知って覚えて、それを得意になって振り廻すのが高慢で、喋りまくるのが能弁・饒舌屋で、「カシコぶるアホ」の部類だと思っています。
理屈をこね廻すのも、この分類の理屈屋の部に属し、こんなのが多いでしょう。理屈で云いまかし得々としてる。(略)
カシコのアホ、アホのカシコ、カシコのカシコ、アホのアホ、とあるそうですから、各々どれにあて嵌るか、別の自分、自分の物指しを持たない自分を見物席に立たせて、現在世に踊っているピエロの自分を観察さして見ようかね。”(「知恵・知識・良識・常識・非常識について」)

そして、次のような感想をもらす。

“カシコのカシコはよいが、カシコのアホがほとんどやから、「アホのアホの方がましや」と言うの。賢いほどやりにくいね。知恵、経験があればあるほど、それが出てきてね。せめてアホのアホくらいまでいけるといいけど。私の考えをいい加減にしとけんところね。「私の考えは一つの考えに過ぎん」というのが、カシコのカシコかと思うが、「どうも納得できん」、「釈然とせん」となる。すると、つい押しつけようとするもの。”

山岸巳代蔵は今の恋愛・結婚等も含む社会的欠陥の最大なる原因(=悲劇)を、「カシコのアホ」同士の〝突っ張り合い〟に見ている。そしてそこからの〝この革命が出来た〟とまで言わしめる理想社会改造への鍵を、山岸巳代蔵をして〝最も知性的で、「納得しなかったら」という女性〟が〝納得して楽になれた〟り〝ポンと夫婦の本質の中へ入る〟実績・事実に見出すのだ。自分らのように死線を越えたところまでいかなくとも、誰でも和気藹々でいけるという確信が持てたというのだ。

○男と女の異いが際立てば際立つほど、男と女の本当の仲良しが生まれてくる。
○女の仕事を男がやってもあかん、持ち味を活かさな。
○女のことは女でないと分からない。
○女の本質を活かすことだ。女が女の姿に還ることだ。

いったいここで〝男〟とか〝女〟とかの異いを次々言い連ねながら、何を言おうとしているのだろうか。なぜそんな脳天気な〝性〟の分類ぐらい(?)で世の中が革まるとまで言えるのだろうか? 
しかもその区分けそれ自体が、〝真理だと思う〟とまで言い切るのだ! ”ここがロドスだ、ここで跳べ!”
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