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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(174)

情感溢れる世界
あおくんときいろちゃん

先にも述べたように山岸巳代蔵が〝ヤマギシズム理念徹底研鑚会〟を始めた意図の一つに、〝信じる〟〝執われる〟という人間観念の慣性、あやふやさ・いい加減さ・危なさが如何に人間の幸せを邪魔するものであるかの認識にあった。この間の夫婦間の苦しみを通しても、如何に先ず自分が不愉快に暮らす時間をたとえ一瞬でも少なくしてといった身につまされる思いがあった。

観念はいい加減なもので、妻が密通してても、知らない間はかえって低姿勢な妻に喜んでいても、事実を聞いたら、既にあったのに、瞬間カッとなる危なさがある。それでは一生暮らしていく上にもったいなさ、惜しさを考えるのだった。
しかも観念の中では、自分だけ「これで愉快だ、楽しい」と思っていても、なんとなく「もう一つそれでは」というあやふやなものが出てくる。
だとしたら、不愉快にならないようにするために……。なった時はどうするか……。
よく〝ほんとのほんと〟というが、そう言いたくなるものがある。そんな生来の物事を深く考える〝求真性格〟のたちから究めていくと
「結婚、恋愛は楽しいのが本当」
にどうしても辿りつく。
誰もが切実に欲求しているものだ。だとしたら今のリアルな苦しみと本当だとする究明との関係は? 砂上の楼閣、絵に描いた餅にすぎないのだろうか?
何度も根本にまでさかのぼっての自問自答がくり返されたに違いない。
ふだんは「良いと思ったら良い」として暮らしているわけだが、体験的に「良いと思うことでも、正常でない場合もある」にぶつかることがある。だとしたら「良いということは、悪いに対してでなく、当たり前」のことであるような、そんな良いことづくめの世界はないのだろうか。
そして近頃体験を通して出てきたのは、ひっかかった時は、いったん〝外す〟と仲良い状態になって、スッスッと溶けていくものがあったのだ!
しかも柔和子の「オホホ……」によぎられることによって問答無用〝骨なしにされる〟自分がいた!
すると心一つの一体の中へ飛び込んだような情感に包まれた。ほのぼのとした満たされた思いの喜びがわき起こった。なぜかそこからすべてのことが始まるような心のときめきをも感じた。
「結婚、恋愛は楽しいのが本当」だとするリアルな実感が湧いた。驚きだった。
その後も難しい理屈・知恵抜きに、自分からひっかかってもポンと外す、を真面目にやってみることで、今すぐにも情感溢れる世界が立ち現れてきた。

男女・夫婦のあり方も、「結婚、恋愛は楽しいのが本当」とする理念からいった方が早いのではないだろうか。いや、どんなことがあっても楽しいの連続かということ。そこから出発して、これが本当に出来るかどうか検べて事実を積み増していかないと本末転倒になる。そこに観念なんかが邪魔して、悩み苦しむことになってくるのだろうか。

“本当に仕合せな社会に立って生きていこうとする毎日かどうか振り返ってみると、いろいろもっともっと究明しなければ、人の中へ行けないと思う。
信仰と研鑽、共同と一体、男女・夫婦のあり方など。
宗教の問題も、この理念からいった方が早いと思う。どれほど早く真理即応の、仲良く楽しい、より良く、より正しい生活が出来るか考えていったら、難しくないと思うの。いきにくいと思う、そこに観念なんかが邪魔してね。「いけるかい」と、そんな観念からひとごとになってくるもの。
真理に即応する現在只今、それの連続かと思う。
社会に拡げる前に、自分自身が間違った生き方で苦しみ、路頭に迷わすことになっても大変だし。
案外この真理即応でいけば、簡単にいける。いけるのが当り前や。”

一転して、それまで〝ひとごと〟になっていた理念というか理に立った観念が身近に感じられてきたのが嬉しかった。形の無いものが、自分の心の中に飛び込んできたような喜びだった。
ふとレオ・レオニの絵本『あおくんときいろちゃん』で、青くんは一番の仲良しの黄色ちゃんと遊びたくなって、あちこち探し回ってようやく出会い、二人とも嬉しくて嬉しくて、とうとう〝みどり〟になってしまう話が思い浮かんできた。
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