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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(179)

思考実験小説『消滅世界』
レオナルド・ダ・ビンチ『受胎告知』

禁断の果実を食べたせい(原罪を犯す)で快楽とか恥じらいを知って楽園(エデン)から追放された聖書の〝アダムとイブの話〟から、だとしたら皆が楽園に帰っていく〝アダムとイブの逆〟をいく世界はどのようにイメージされてくるのだろう? 
セックスも家族も男女の差も、もちろん恋愛も世界から消える……!?
そんな奇想天外、荒唐無稽、SF的な思考実験小説『消滅世界』(村田沙耶香)に触発された。
一読して、さもありなんと思った。この間の自分らの〝理想実現〟と称しての様々な取り組みを通して思い当たるふしに触れるのか、他人事ではないリアルさで迫ってくる。

主人公雨音(あまね)は、今では時代錯誤の両親が好きな人と愛し合って、結婚して、産まれた子だ。時代は人工授精で子を授かるのが一般的になり、人工子宮の研究から男性でも妊娠・出産が出来る研究も進み、誰でも一人で妊娠できるようになって、わざわざ家族をつくる必要もなくなってきている。
むしろ家族は、恋やセックスをしないでいられる清潔な唯一の安らぎの場所なのだ。というのも、昔の交尾の名残で恋愛状態になることもあり、それをアニメのキャラクターでのマスターベーションや性器を結合させるやり方(セックス)で処理する場合もある。恋愛は下半身の娯楽と見なされ、よりによって奥さんと性行為するなんて考えられないからだ。恋と性欲は、家の外でする排泄物のようなものと見なされている。
夫婦間のセックスなんて近親相姦と忌み嫌われ、原始的で動物みたいで、気分が悪くなる、ぞっとする、不潔で不衛生で変質者と見なされている。
そこで古風な時代遅れの恋とセックスの真似事を続けていることに耐えられなくなった主人公夫婦は、〝恋のない世界〟へ逃げようと決心する。
そして家族というシステムによらないで、子どもを育て、命を繋いでいくという人間の一番大切な目的を果たす千葉の実験都市『楽園(エデン)システム』へ移住する。
そこでは男性も人工子宮によって妊娠ができる、家族によらない新たな繁殖システムが試みられていた。
人工授精で人口もコントロールされて、生まれた子どもは住民全員で育てる。みんなの子どもは『子供ちゃん』と呼ばれ、『子供ちゃん』は大人たちを(男女関係なく)『おかあさん』と呼ぶ。
夫も人工子宮の手術をして、出産する。そして雨音に呼びかける。
「僕たちはついに楽園に帰ってきたんだ。子どもを産みおとし、すべての子どもの『おかあさん』になる。僕たちはたぶんずっと、間違えてきたんだよ。セックスをしなければ子どもが生まれなかった時代の風習を捨てきれずにさまよっていた。ここはなんて懐かしい世界なんだろう。そう思わない?」
するとすべてが私の子供だ、という想いが雨音の中から沸きあがる。だったら私が「本能」とか「生理的」などと言って信じていた感情や衝動と、まったく違うものが身体の中に芽吹いてくるのだ。

読者の感想もとても興味深い。
○SMAPの「世界に一つだけの花」には共感するのに、現実には個性なんてものは排除し、シカトし、隣と同じであれば安心する日本社会への作家さんの叫びを感じられる作品です。
○ラストは、伊藤計劃の名作「ハーモニー」の結末のような虚無感が漂うが、後味はかなり悪い。妊娠している方、これから予定の方にはお勧めしません。
とはいえ、最近「除菌」や「無臭」を売りにする商品が多いが、世の中、「清潔社会・無痛社会」へと確実に移行していることは間違いない。
○文中の交尾・欲望処理、、という言葉を、愛、恋、あこがれ、ということばに、子供ちゃん、ということばを、「子供は社会の宝です」に置き換えてみると、これは別に不思議な世界や未来世界の話ではないのではないかと思えてきます。
○本作で描かれるパラレルワールドは、ソクラテス/プラトンが思い描いた哲人統治の基盤とそっくり。「国家」を読んで「非現実的だけど、確かに社会の理想の姿だ!」と胸熱だった人は、読んで寒気を覚えること請け合いです。
○SFなんだろうけど、思考実験というか、最近セックスレスについて考えていたので、その先にくるものとしてこうなるのか、あるいはセックスというものは、人生とか人間関係とか、はたまた生物的にどういう意味をもつのかと考察できて、とても勉強になった。
○家族、恋愛感情、母性、その他もろもろ人間の根底の大切なものを無くすとこう言う世界になるのだろうかと怖くなる。しかも、生産されてくる子供が全て画一で同じ無個性なもの。それがさらに怖い。(Amazonカスタマーレビュー)

執筆の動機を著者は語る。
「『本当の本当』という言葉が私の小さいころからの口癖。本当の家族や愛って何?って」
「現実の足かせがあって見えにくい丸裸の、真実の人間の姿を探したいという希望があって、小説で実験を繰り返しているんです」

それにしても著者の〝アダムとイブの逆〟を遡っていくイメージはとても刺激的だ。
ふと聖書のマリアの処女懐胎が思い浮かぶ。

“見よ、乙女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエル(ヘブライ語で「神われらと共にいます」の意―引用者注)と呼ばれる”(マタイ伝 1章23節)

ひょっとしたら女性マリアが男性キリスト分裂の奇蹟を連鎖関連的に呼び起こすといった、人間の〝本質改良〟まで視野に入れて探求されていくのがヤマギシズム恋愛・結婚観の秘められた真意かもしれない!? 
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