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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

27 多田富雄の叡智(上)

「人間とは、いわゆる個人を指すものか、結合夫妻を単位とするか、人間社会を指すものか、宇宙全体を指すものか、或いは基本単位の人間細胞を指すものか、それが結合した受精細胞か、それとも細胞を合成している元の物質及び機能を単位とするか。
人間を構成している物質及びいろいろの機能をどう見るか。個々に生を営む細胞の代謝及び体組織のほか、体液、栄養分は何か。体外へ排した作品・行蹟は人間の一部ではないのか。生命、呼吸、消化行為、微生物共生等の生存行為、電気的・放射能的思意、エネルギー行為、それらの一つを欠如して人間の構成されるはないだろう。
とにかく、一単位だけ離れて単独には考えられない。人間の呼称も、無限小・一・十・百・千・万・億・無限大のいずれかの単位を、人とか、人間と云い、人間の細胞、或いは人間社会と呼んでいることだと思う。人間の酸素、水素、窒素、カルシウム段階の単位称はないだろうか。厳密・正確に云うなれば、無限小より無限大の無限小によってなる凡てに人間のある単位の人間があるが、これらは別に論ずるとして、ここでは人間細胞より人間社会までくらいの単位を簡単に検討しておこう。
だから、細胞を組み立てている条件の一つでも真正でない場合は、細胞は不健康であり、細胞群で構成されている身体は、不健康な細胞が一個でも部分を占めておれば、その体は健全でない。
身体が不健康と云うことは、細胞が不健康なことで、即ち不健康な細胞は不健康な体を成している。この健康と云うのは、身体にばかり使う言葉ではなく、心も生命も、有無現象、能も、諸事万物凡てがそれぞれに、及び一連として、真理に即応した正しい状態を指し、真の幸福とも云いかえてもよい。
皮膚そのものもそうであるが、その皮膚で囲まれた内も人間、外も人間、内外の有形・無形も人間の構成存在条件の段階的単位に過ぎない。
太陽も空気も水も皮膚の内外にある。皮膚の内側にあると思っていても、位置的ではそうでも、実質的には細胞膜の外にある物質・能等はどう見るか。
社会・宇宙の段階単位が不健康なと云うことは、人・人間段階が不健康で、人間や諸事・諸物が不健康では、人間が健康に存在している社会ではない、宇宙でもない。
要するに、宇宙万事万物健康でない限り、人間も健康でない」(山岸巳代蔵)

すでに私たちは、この間ここでいわんとされている含意を、「と」からの出発、「と」に立つ精神、自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)等々の概念を着想することで対比検討を試みてきた。そうした再検討の機会として、いま少し触手を伸ばしてみよう。

免疫学の世界的権威であり先年亡くなられた多田富雄の代表作『免疫の意味論』で展開された「自己」とは何か、「非自己」とは何かについての考察である。全くの門外漢の筆者でさえも、「繋がりそのものの自己」にこれからも触れていく以上、避けて通れない知恵の鉱脈道としてそびえ立っている。

無限小から無限大までの範囲での階層性、段階性、重層性、境界性とそれらを超えた全体性、一体性、そして相互関係を一体に結びつける創造性などを踏まえないと開けてこない世界についてだ。

たとえば多田さんが脳梗塞で倒れられてから後の考察に、「『自己』は生物の全体と部分をつなぐ結節点だと思う」とあった。どういうことなんだろうか。とても素人では手に負えない世界概念なのだが、なぜかとても大切なメッセージを私たちに残してくれているように感じるのだ。
 
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