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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

わが一体の家族考(183)

探求1 共通するモチーフ
ヤマギシ鶏舎

さて、この間のヤマギシズム恋愛・結婚観の今一歩踏みこんでの展開を試みていこうと思う。
参考資料としては、以前(わが一体の家族考150)で紹介した柿谷喜一郎さんの『遺言』を採り上げてみることにする。

時々思う。何も無いところから出発した柿谷さんをはじめ多くのヤマギシズム運動の先人達は、何を糧にこの実顕地なるものを築いてこられたのだろうかと。紙に書かれた文字からだろうか、人から発せられた熱い言葉からだろうか、何れにしても、形なきものにその真価を見出し、自らの幸福の糧にしてこられたにちがいない。
例えば次のような『遺言』からの一節を先に紹介してみたのだった。

○「夫の行為は妻の一体によってなるもの」 先生の発見であろうが、自然界のことで、世の男、女の実態を数字で顕したもの。
○「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる。

こうした感慨を抱かれるまでになった柿谷さんの探求、『遺言』の第一信(2002.1.3)から第十六信(2006.12.5)頃までの経緯をふり返りながら見ていくことにする。
柿谷さんは記す。
七十歳を過ぎた2001年頃、普段の果樹作りを通して発想の転換を余儀なくさせられた新技術に出会った。その頃から〝大転換〟というテーマが自分の中に生まれた。
そこからまた残された資料の中にある「夫婦二人で一業に就く」「夫婦二人で一人前」「夫婦二人で一人格」という一節が気になり始めた。
つまりこの一節というか、そこに込められた〝理念〟と呼びたいものこそ、〝本当の仲良しの源泉ではないか〟と思われてきた。ここに「男は男として生き、女は女に適した生き方」の最短コースを見る思いがしてきた。

○山の木も草たちも、動物も、生きている姿を見ると、女に当たる者たちの意に反して、男に当たる者たちが一方的に幅ることは絶対にない。
○有精卵生産の鶏たちを見ても、オスとメスの生き様におけるオスの生き方は、メスを尊重することに尽きるようであることがクッキリと目に映るようになってきた。

また〝研鑽〟についても、「相手がどうあろうとも問答無用で自分が外す」 パッと外す、このパッというところが〝具現方式〟ではないのか?
○我執が男女いずれにもあることは、誰も異論はない。だからと云って男も女も同じ筆法で我執を無くしていこうということにはならないと気づいた。
○自分は女の人を女性として観ないで、男並みに扱ってきたのではなかろうか。私の人生の今日まで(70年間)を省みて、「しまった!」という思いを抱く。
そして「男は男として生き、女は女に適した生き方」が軌道に乗っていく時代になれば、このような夫婦が10組もできれば日本ぐらいはヒックリ返せるということではないかという。

かつて思想家・マルクスは『経済学・哲学草稿』で、男性の女性にたいする関係のなかに人間の人間にたいするもっとも直接的で本質的な関係があらわれると書いていた。そしてそのことを自分らはカール・マルクスの妻、イェニーさんになぞらえてこの間〝イェニーさん問題〟と呼んできた。(わが一体の家族考132) 
しかもその〝イェニーさん問題〟が指し示す未知で未体験のテーマに惹かれて始めたのが本ブログであった。
そうした同じようなモチーフを柿谷さんの『遺言』にも見いだして驚かされる。
それではいったい〝男性の女性にたいする関係のなかにもっとも本質的なことがある〟とする本質的なことって何だろうか? 
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