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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

31 自分自身が面白い

「人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、政治・経済機構も大改革されますが、その何れにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以です」(山岸巳代蔵)

1992年秋の「ヤマギシズム展示博覧会」での出来事だ。自分はテーマ館の担当だった。ところが約一ヶ月前からの準備の中で最初に自分が立てた企画案にNGが出た。何で? テーマの焦点が全くズレていたのだ。そこで関係者で再度寄って、上記に掲げた一節を研鑚しながら、『ヤマギシズム社会の実態』の書は実態の書であって、書でなくて実態そのもの。この実態の書を、実顕地そのものにしていくことが実顕地の深まりなんだといったことを確認し合ったことがある。

今にして思えば自分自身大きくズレていたが故の、何と素晴らしい僥倖にめぐり逢えたことだろう! その後何度もやっかいな局面に立たされた時、きまってこの一節を一字一句研鑚して心に焼き付けた世界が鮮やかに甦ってきたことか。

なかでもいわゆる2000年前後のイズム運動史の局面で、社会(組織)の中に家族(親子・夫婦)をどう位置づけるかの切実な問題に直面したことがある。自分らほとんどは、ここで二者択一を迫られているかのように受けとめ、自ずと躓いた。

つまり「人は、人と人によって生れ」の世界の延長線上に省みることなく「人と人との繋がり」の世界を倫理的・我執的に捉えることで必然の自己矛盾に引き裂かれたのだ。親子で兄弟姉妹で夫婦で恋人同士で表面的な相反目・対立し合う事態を招いた。逆なのだ! 「人と人との繋がり」の事実に立って、「人は、人と人によって生れ」の世界を何はともあれ抱擁(つつ)み込んでやるべきだったのだ。いったん分けて、そして相互関係を一体に結びつけた形態に改組するといった「精神革命を必要とする所以」のものなのだから。

一般社会常識的に社会(組織)よりも家族(親子・夫婦)を優先することでなく、社会(組織)と家族(親子・夫婦)は本当は何で結びついているのか、といった人類の至高性に直面していたのだ。

人と人との社会連繋の、切ることの出来ない真理性に立つということが、じつは人間の真の恋愛・結婚に繋がり成り立つところまでいってはじめて、総親和社会が立ち現れてくるといった、かつてない未知で未経験の実践的・本質テーマにぶつかっていたのだ。それは次のように表現される世界とも重なる。

「わが一体の家族、なつかしの兄弟姉妹よ、わが父・母・妻・子よ」(第一回特別講習研鑚を共にした参加者に贈られたメッセージから)

こうした永遠性と社会連繋が一つの世界像をまずは見届けるだけで何かワクワクしてくるものが湧いてこないだろうか。

「まあ、尻ついていってやるより、西海の藻屑となるか分からんが、コロンブスの人跡未踏の開拓ぐらいで、ちょっと面白いから人生の生き甲斐としてやるといった具合で……」(1961年4月2日ヤマギシズム社会式養鶏法について―名古屋での座談会から)

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「人と人との繋がり」の世界を倫理的・我執的に捉えることで必然の自己矛盾に引き裂かれたのだ。親子で兄弟姉妹で夫婦で恋人同士で表面的な相反目・対立し合う事態を招いた。逆なのだ! 「人と人との繋がり」の事実に立って、「人は、人と人によって生れ」の世界を何はともあれ抱擁(つつ)み込んでやるべきだったのだ。いったん分けて、そして相互関係を一体に結びつけた形態に改組するといった「精神革命を必要とする所以」のものなのだから。
---親なのに障害のある我が子の為を思えない人だと前夫を冷ややかに見ていた。で、私はそこをやっているという自己満足に。腹の底に何か納まらないなあと思いつつ。「人と人との繋がり」を倫理的に我執的に捉えていた私。

逆だったのですね。「人と人との繋がり」の事実に立ってみると、私の固くなさが溶けていきました。「人は、人と人によって生れ」の世界にスッポリ抱擁み込まれる私に。

| URL | 2015-02-13(Fri)16:24 [編集]