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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

39「われ、ひとと共に」 (上)

「真に分かり合うには、夜を徹して語り合うことである。万象眠る。ただ二人のみ、その中に覚めて語る。真に分からぬということはない」(山岸巳代蔵)

学生時代イスラエルのキブツに関心があったから、多分その流れでユダヤ宗教哲学者マルティン・ブーバー(1878~1965)『孤独と愛―我と汝の問題』の書を手にしたことがある。その時はなにをいっているのかチンプンカンプン。でもなぜか心ひかれるものが残った。

後年ヤマギシズム実顕地に住み、様々な経験というより出遇いをとおしてM・ブーバーの世界が自分の心に入ってきたことがある。とりわけこの間の、「―と―」での「と」に立って見るテーマを考察するなかで容易に理解することができてきて自分でも驚いている。手元にある『我と汝・対話』(岩波文庫)から、はじめの数節を書き記してみよう。

「世界は人間のとる二つの態度によって二つとなる。
人間の態度は人間が語る根源語の二重性にもとづいて、二つとなる。根源語とは、単独語ではなく、対応語である。
根源語の一つは、〈われ―なんじ〉の対応語である。
他の根源語は、〈われ―それ〉の対応語である。この場合〈それ〉のかわりに〈彼〉と〈彼女〉のいずれかに置きかえても、根源語には変化はない。
したがって人間の〈われ〉も二つとなる。なぜならば、根源語〈われ―なんじ〉の〈われ〉は、根源語〈われ―それ〉の〈われ〉とは異なったものだからである。
                    *
根源語は、それをはなれて外にある何かを言い表わすのではなく、根源語が語られることによって、存在の存立がひき起こされる。
根源語は、存在者によって語られる。〈なんじ〉が語られるとき、〈われ―なんじ〉の〈われ〉がともに語られる。
〈それ〉が語られるとき、対応語〈われ―それ〉の〈われ〉がともに語られる。
根源語〈われ―なんじ〉は、全存在をもってのみ語ることができる。
根源語〈われ―それ〉は、けっして全存在をもって語ることができない。
                     *
〈なんじ〉を語るひとは、対象といったようなものをもたない。なぜならば、〈なにかあるもの〉が存在するところには、かならず他の〈なにかあるもの〉が存在するからである。それぞれの〈それ〉は、他の〈それ〉と境を接する。〈それ〉は、他の〈それ〉と境を接することによってのみ存在する。しかるに、〈なんじ〉が語られるところでは、〈なにかあるもの〉は存在しない。〈なんじ〉は限界をもたない。
〈なんじ〉を語るひとは、〈なにかあるもの〉をもたない、否、全然なにものをも、もたない。そうではなくて〈なんじ〉を語るひとは、関係の中に生きるのである」

そうなのだ! 何でも二つあるのだ!
ずっと、鶏や豚の飼料配合の仕事に携わってきた。なかでもガラス繊維質の固まりのようなモミガラ等粗飼料を美味しく大量に食べさして体質改造をはかることで、その個々のもてる能力一杯に営めるような境地を得せしめることこそ飼育者冥利に尽きるというもの。ところがそこで直面したのが、モミガラは「食べ残す」「食べない」という事実と「よく食べる」「食べ残さない」という二つの事実だった。そんな二つの事実に出逢って、「こんなものは食べない」「この鶏は駄目なトリ」「こういう飼い方はイケない」等早のみこみで軽率に判断してしまう自分を嫌という程思い知らされた。

またそうした日々の中で、「暗く見る人と、事実その中で生きていく強い自分を見出している人と、二つの逆の考え方がある」ことをも知らされてきた。自分も気づかずにそうしている事実の中の自分に出遇えた歓びは格別だった! 「見られる」ものがある。

またある日の研鑽会で、「食べたいから食べるのと、食べなくともよいが食べるのと、何でも二つある」がテーマになった。エッ、食べたいから食べるのじゃないの!? 他になにかあるの? 食べなくともよい「もの」? 驚愕した!
そうか、それで一つしか知らない人はしんどい思いをくり返すのだなぁと、目から鱗が落ちる出遇いだった。

そこからまた、自分らは二つの心(こころと心) という概念をあみ出しては自らの生き方の指針としてきた。
それは、自分=自己+自個(繋がりそのものの自己)=二つの心(こころと心) として現れる、と。

ここまできたら、M・ブーバーの世界は指呼の間にある。
「愛は〈われとなんじ〉の〈間〉にある」
「すべての人間は、この二重の〈われ〉のなかに生きている」
「ひとは他者のもとに出てゆくことのできる出発点をもたねばならぬ」

そこに於いてこそ対話がはじまる場所がある。
〈われ―なんじ〉が立ち現れてくる誰にとっても決定的な「出遇い」があるはずだ。その「〈間の領域〉の中にかくれている王国」(M・ブーバー)である秘められた「出遇い」のヴェールこそ上げなければならない。
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ヤマギシの生命線は「研鑽」、でしたね。
テーマでやってみてどうだったかを出し合う。
それだけ。
自然界の進化のメカニズムはまさにそれだと思う。
瞬時も休まず研鑽の連続。

いっかん | URL | 2016-05-29(Sun)20:03 [編集]