FC2ブログ

自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(14)

そもそも何をもって実質「本当の豊かさ」といえるのだろうか?
理想は心物豊満の世界だ。「欲するものが欲しい時に欲しいだけ自由に労せずして得られる」状態の中で、豊かさの実感を味わい満足している鼓腹撃壌の様であるのだろう。

ところが空気や水のように、欲しいだけ何時でも得られる豊富な物量の中で暮らすことは豊かさの理想であるが、健康体の人が健康だと実感しないように、豊かさの実感が消えないような物質観や価値観や享受できない要因など観方・考え方の転換が一番先に問われてくる。例えば

◯大量にあるほど無駄使いしてしまう。空気、水、土地など所有しきれないものほど環境破壊が進む典型例。
◯実質物量の豊満な中にあり、豊かさを求めながら自らそれを受け入れない間違った欲望や観念に囚われている社会実態。
◯所有・囲い・持ち分・配分・遠慮・気兼ね・客分・金銭感覚・損得計算・比較感・蓄積欲・その他で必要以上に物を欲しがる観念習性。

ヤマギシ養鶏法では雛が生まれ出るなり、米山の上にあり、米のようなものは何時でも欲しいだけ食べられる、満足を与える。育雛の極意がここにあるという。物の観方が豊かに見える「富貴の相」か、いつも足りない乏しく見える貧乏性かの分かれ目はこの三日間で備わるという。

「自然はよく出来ておりまして、堅いのを与えるとそれに対して、また養分の少ないものを与えると、量を多く摂って栄養の均衡を図り、丈夫な、容量の大きな消化器となります」(『山岸会養鶏法』)

足下の「自然」に本当の豊かさがあった!
先に有限であることを正視することは、「物の必要限界に目覚める」ことであるとした。鶏の雛は、何時でも食べられるとあれば消化能力のある量より食べない。そこから自ずと「富貴の相」が現れるという。

だとしたら「自然」の子である人が「物の必要限界に目覚める」とは、どういうことを指すのだろうか?

それは、「必要限界」が真に生きる場所づくりを前提としているはずだ。必要以外に物を欲しがらない世界の実現についてである。
いやここで、だから有限の地球資源を食いつぶさないようにみんなで大事に使おうと倫理道徳を真っ先にいいたいわけではない。
くり返すが常時健康体である人は、健康体である間は健康である自覚に乏しい。病身になってはじめて健康の価値に気づく。

ここで問いたいのは、「ならない先の」豊かさの実感が消えないような物質観や価値観への転換(=革命)である。
「ならない先のもの」にもっともっと想いをはせてみたいのだ。するとなぜか例えば「心物 正常 健康 豊満」といった理念に命が吹きこまれていくようなのだ!
心物豊満の恩恵に浴する事実その中で、何か着て、何か食べて生きてきた今日までの強い人類発展史(=自分)に気づかされるのだ。
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する