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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

イズム実顕地づくり考(20)

1917年のロシア革命以降に成立したソビエト連邦が1991年12月25日に崩壊した。その直後の翌年1月5日、スイス実顕地に向かう途中に立ち寄ったモスクワでの、赤の広場・クレムリンに掲げられたロシアの白、青、赤の横三色旗を目の当たりにして、人ごとではない世界史的な課題を突きつけられたような気持ちの高ぶりを覚えたことがある。

今や共産主義も社会主義も完全な立証を得ずして崩壊してしまった。あの毛沢東の一声で誕生した無料の「人民公社食堂」も、皆でやるソビエトのコルホーズやソフホーズの集団農業も、いくら働いてもいくら生産量を上げても自分の財産にならないからか、能率も上がらないし個人の嗜好の選択も不自由だし不公平だという思いで潰えてしまった。

しかもこうした世紀の大実験の失敗により、人心は革新・革命思想への不安感・不信感を抱かす事となり、その保守的傾向が決定的になってしまった現今の社会情勢であることを知らされる。

先日も日経新聞7月2日付で歴史学者の中島岳志氏は、理想を描き、理想は必ず実現し得る信念の下に、その実現に生き甲斐を感じるといった思想に、根本的な危うさがあるとして
「理想社会の現実化など無理なんだという、積極的なあきらめを持つことだ」「人間が不完全である以上、不完全な社会をどこまでも生きて行かざるを得ないのだから」と主張する。

多くの識者に見られるこうした見解は、現実的に物事を考えるとは不完全な社会を前提にして考えることであるとみなしているからであろうか。

たしかに以前話題になった中国革命直後の時期から文化大革命期を三代にわたる中国女性の人生に重ねて描いた自伝的ノンフィクション『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著)などに目を通すと、「もうこりごり」という感じがしなくもない。

理念を実現しようと努めるが故の、理想に献身するが故の狂信的な「テロル」に、全国民的な規模で巻き込まれることがある! 人ごとでなく感じられて、身につまされる。全村民的な規模でなら自分らも体験済みだ。
渦中にいる自分らには、自分らの滑稽さは見えないのだという。先の新聞の見出し「理想社会をあきらめよう」が現実味を帯びてくる。

誰もがやり過ごし、あえて追求しようとはしない難問ではある。できれば避けて通りたいところだ。表面的にさわろうとしたら、とたんに絶対的な自己欺瞞のしっぺ返しを食うからだ。
「飛んで火に入る夏の虫」とか「火中の栗を拾う」とはこのことをいうのだろうか。

なるほど理屈上は、作業手段として、経営合理化として、生活手段として、皆してやればいろんな問題が一気に解消されると安易に楽天的に、強制的にでも力づくでも実施(管理)したくなるところではある。しかし、

「昔の勝利者(日本を含め)慣例から見るは古い。それは逆手世界(既成)の常識観だ。
何も甘やかされて付け上がっているものではない。下されと乞うているのでもない。次の次代に住む世界人としての批判から、物の道理・人の情の不可思議さを云ったまで」(知的革命私案・『4わがために乞うにあらず』より)

という。(注:ここでの「わがために乞うにあらず」とは前節の「2アメリカに日本の心が掴めたら」で、戦勝国アメリカが敗戦国日本に「日本は狭い、常夏のハワイを自由にお使いなさい」と来たら、事態はもっと好転していたろうにという発言に続いての記述)

「物の道理・人の情の不可思議さ」を見落としたところに、皆世界の頭脳が間違えた原因があった!?
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