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自己への配慮

自分にたいする配慮ということがすべてに優先する。(セネカ)

 「と」に立つ実践哲叢(43)

〝二つの幸福〟問答

またその年1955(昭和30)八月に山岸さんの母・ちさが亡くなり、会葬者全員に小冊子『二つの幸福』を配ったとされる。
山岸巳代蔵一家とその親族

【写真は左から 四男・千代吉(23) 三男・巳代蔵(28) 二男・新五郎(31) 父・巳之助(58) 母・ちさ(56) 西村しづ 妻・志津子 なお長男・助一(33)は京城(朝鮮)に滞在か? この年[1929(昭和四)年]山岸巳代蔵は山根志津子と結婚】

生前母はよく〝水は冷たい、お湯は熱いから止めるでは何事も出来ないよ〟と独り言を言っては僕をつくってくれたという。そうした母の心を移し行うように、過去幾千年の人類史上「出来ない」と思われた理想社会はどうしたら実現するかを一言で簡明に著したものが『二つの幸福』なのだ。

二つの幸福がある。真の幸福と幸福感だ。どちらも同じ言葉をもつが、根本的に相異なる。何時になっても変らない真の幸福と、不幸に対しての対句としての幸福感である。喜怒哀楽に象徴される一時的の満足感を幸福だと思い込んでいるのは仮の幸福であり、ただ幸福だと思っているのみで、こんなはかないものを幸福感と呼んでいる。
それが今日まで実現しなかった理由としては、諦めと無関心と無知等々が挙げられるが、肝心の幸福の何物かさえも知らず、知ろうともしない、または間違った考え方をしている人が多いからであるとして、

“幸福感と真の幸福の区別が解らないからなのだろう。”
“幸福感を本当の幸福なりと勘違いをしている人が頗る多いのではないか。”

と記されている。
だとしたら永遠に変らぬ〝真の幸福〟っていったいなんだろうか? どうしたら幸福感でない真の幸福が得られるのだろうか? 

ある日の研鑚会のテーマは「何でも二つある」だった。何でも二つあることを知ることの大事さで話が盛りあがった。ほとんどの人生上の苦しみや悩みの原因は、皆一つしか知らないところに帰因するのではないかと。そう言えば幸福にも幸福感と真の幸福の二つあったなあと、ふむふむと頷いている自分がいた。
しかし今振り返ると冷や汗が出るような思いがする。例えばほとんど無自覚に自分の思い考えから見て、幸福感と真の幸福を観念的に区別していたのではないか。自分らの切実に欲求する、永遠に変らぬ真の幸福を掴み得ようとして、知らずして不幸に対しての対句としての幸福感を〝本当の幸福なりと勘違いをしている〟自分に気づかされる。

そもそも不幸とは何か? たしか研鑽資料『ヤマギシズム社会の実態―世界革命実践の書』には〝不幸と感じることが間違いで、幸福が本当だ〟と記されてはいるが、実際は不幸と思われる現象に出会って心の動揺を感じるばかりの不安定な自分がいたりする。
それでは二つあることを知り、もう一つの不幸と思われる現象が現れないようにするってどんなことなんだろうか。

そうなのだ。まず〝不幸と感じることが間違いで、幸福が本当だ〟とする、不幸と感じない心境になることが先で、そこから間違った姿をなくしていこうとする、そんな〝理念を生きる〟もう一つが見出されてくる!

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わが一体の家族考(162)

〝脱皮〟という飛躍・転換
脱皮

先の〝恋愛・結婚は楽しいことばかりで、歓びに充ち満つるのが本当〟なのに、そうも行かない〝不思議な謎も解け〟たとする「真の結婚を探ねて」の一文を記した1959年11月頃から翌年4月に自意出頭するまでの残された山岸巳代蔵の発言からは、コロンブスの卵の例えにも通じる〝真の結婚へ入れる鍵を見つけた〟発見の歓びが発言の端々に感じられるようになる。
何しろ

“一番難問題とされるこの課題の解決こそ、全人幸福運動の基本であり、仕上げでもある。しかも、最も難解だと思うこの問題さえ解決すれば、他は……。私は、これに取り組んで生きのびているともいえよう。”

として真の結婚を求めて、ようやくにしてヤマギシズムの結婚観に照らしてみた場合どうだろうかと研鑽できそうな域に来られたように思えるからだ。
その辺りの一連の心の動きを、水の中に飛び込んでこそ泳げるようになるといった自分の考えを入れない〝脱皮〟という実行・実践に託していう。

山岸 そうそう。なんとかして、なんとかしてと、こればっかり、この底にあるのよ、底にね。ママさえ分かったらっていうものが、これがその底にあったんや。そしたらこれは、こういう結婚観は成り立つし、そんなんでね、それがそこまでやった、まだここで最近まであったんや。最近までそこに。で、いずれは分かってくれるやろうと、いずれは分かってくれるやろと、こう思ったものね。
柔和子 その脱皮というのはなんということですか。
山岸 脱皮ということはね、あの、苦しまないと、苦しむよりも、どうしたら、あの、どうしたら、なんちゅうかね、苦しんだってダメやから、同情したってダメだから、ダメだから、それで、どうすれば仕合せにいけるかって、こっち考えるのやと思ったんや。それからもう、コソッと楽になった。”(「徹夜研鑚会の記録1960.3.27」)

ずっとなんとかして柔和子さえ分かってくれたらこの結婚観(固定のない結婚)は成り立つのにと苦しんできた。ところが柔和子は頑として三人でなら私が降りますので頼子さんとやってください。先生と二人でならやりたいとゆずらないで来た。頼子に対しても同情している自分の思いも吹っ切れないで来た。

自分はたしかに〝真の結婚は求めたが、苦難を求めはしなかった〟。なのに何故? だとしたらこの間の煉獄の試練は〝真を求める者に課せられた運命〟なのだろうか? “常識世界は冷たかった”(「真の結婚を探ねて」)
本当にそうなのだろうか? 〝苦しんだってダメやから、同情したってダメ〟なのだ。試煉は自ら苦しみ悩む間違いをこそ正し、改め、変化を促しているのではないだろうか?
すると間違いばかりで勝手に悩み苦しんでいる自分自身が浮かび上がってきた。
そんなもうどうにもならなくなった途端、フトどうしたら幸せにいけるかと考えるそんな自分も見え出したのだ。そんな自分に先ずなることだった!
自分自身からの脱皮こそ、真の結婚への絶対条件だったのだ。
ちなみに「ヤマギシズム結婚の五大条件」を挙げてみる。

“一致研鑽前進
○適合男女―適齢 性格 知能 系統
○心行全面一致―仲よし 考え方・行業 真の研鑽一致 無我執
○双方の永久恋愛―距離 時間 動 進 終点なし
○(真の)一致の上の自由―契約・束縛・固定・型・掟なし
○合真理指向―心身健康 快楽歓喜 たのし 自然全人一体観 前進発展”

ここで〝脱皮〟という言葉で表現されるものこそ、ヤマギシズム恋愛・結婚観への出発点にある実践であった。
こうした〝脱皮〟という飛躍・転換のなかに秘められてある実態への好奇心を念頭に置きながら山岸巳代蔵の発言を追ってみる。

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わが一体の家族考(161)

不思議な謎も解けた一部始終
煉獄山 ダンテ『神曲』

次に「真の結婚を探ねて」を読んでみよう。

①私も今から思いかえすと、結婚によく似たことを幾度かして来ましたが、いずれも不完全なものばかりで、真の結婚とは縁遠いものばかりであった。肝腎な条件が欠けていた。肝腎な条件が欠けているのに結婚は成り立たない筈、不安定なことは当然で、毎度不成立のまま今日に及んでいる。

②今から考えると、真の結婚の何たるかさえもわきまえず、しかも未成熟のままで、即ち結婚資格もない僕が、一般に結婚と謂われている、真の結婚でないものを、結婚かのように思い間違って、早まり過ぎたために、真の夫婦になれる相手や周囲を苦しめ、自分も苦しみ通してきた事であった。

③僕は全人幸福への熱願と、それへの凡ての面での理論究明と、進歩的合真理方法の考案や普及に急にして、自分自らヤマギシズムの人間性に到達することが疎かであった。
怒りの発生しない方法を考案した。熱心に三時間も理論研鑽一回だけすれば、以後一切ほとんどの人が腹の立たない人になれるし、心も広く、知恵もよく働くようになる。この方は今までのところ、どんな場合でも、一度も怒りが湧いてこなかったから、絶対に腹が立たないと云えそうだ。

④ところで僕、怒りや憎しみや財産等はスッカリ解決したようだが、悩み苦しみの方で特別が残されてあった。
大抵の悩みや心の苦しみは起らないから問題でなかったが、恋愛・結婚問題で大変なことになった。
恋愛や結婚は、試験・実験をしようとわざと仕組んでも、本当の実験・体験にはならないことで、科学実験や怒りなどのように材料を持って来たり、場を造ることも出来ない。模擬的にやった場合は理論通りに出るが、予期しないのに起った本当の恋愛の実践の場では何の役にも立たなかったことである。理論が先走って理責めになり、押しつけになり、成るものもかえって反対へ反対へと追い落し、理論と実際とのジレンマで、これまた一層苦しみ、苦しめ、お互いの命が絶たれた状態も、幾度となく体験した。

⑤しかし、悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなった途端、絶望のドン底から途が開け始めた。悩み、苦しみのほとんど起らない境地にまで漕ぎつけたようだ。
結婚資格のなかった自分が見え出した。見えだすと早いもので、いよいよ真の結婚の出来る資格が、初めて、ようやくにして、ついたように思える。

⑥恋愛・結婚は楽しいことばかりで、歓びに充ち満つるのが本当で、悩ましかったり、切なく不安で苦しかったり、好ましからん問題を起したりすることが無い筈だのに、そうも行かない不思議な謎も解け、真の結婚のいかに大らかで、真に自由で、絶対安定で、広大無辺の愛の素晴しさを、受け売り論議でなく、身を以て体得したままを、飾らず匿さず余すところなく公開し、この世に生を受け、古今の万人万物から有形無形に受けて、返すことの出来ない僕の、最大の贈り物としたいと思う。

ここで山岸巳代蔵はこの間自らの〝偶然か、必然か、実践の場に立たされ通した結婚受難史〟を振り返えりつつ、人間幸福への条件である怒りや憎しみや財産を放す等の自己革命はスッカリ解放・解決されていたにもかかわらず、恋愛・結婚問題から来る悩み苦しみの方で大変なことになった経緯とその不思議な謎も解けた一部始終を記述している。
自己革命と恋愛・結婚革命を区別せざるを得なかった当事者ならではの追い込まれた場所がじつに興味深い。不可思議界の究明専攻の人達の参考に値する云々と云った記述もあながち大げさではないのではないか。ここの自己革命と恋愛・結婚革命を一緒くたにしてしまっているところにじつは悩み、苦しみの原因があったのだ!
ではどのようにして解けたのだろうか?
こういうことだろうか。
この一文の冒頭は次のような一節から始まっている。

“本当の結婚をしている人、幾人ありや。
命がけ、血みどろの今日まで。
生来の求真性格に煉獄の試練を。
真の結婚は求めたが、苦難を求めはしなかった。”

ここでの〝煉獄の試練〟とは、カトリック教会の教義で、この世のいのちの終わりと天国との間に多くの人が経ると教えられる清めの期間で、「永遠の救いは保証されているものの、天国の喜びにあずかるために必要な聖性を得るように浄化(清め)の苦しみを受けると考えられていた場所」と説明しているところと重なるだろうか。それはまさに陣痛の苦しみ、脱皮の苦しみでもあったろうか。
こうした大試練で悩み、苦しみ、もうどうにもならなくなった途端、〝真の結婚の出来る資格〟や理論と実際とのジレンマが解けたのだ!
思う思わんの観念でなく、人間本来の姿として悩み苦しむ間違った姿が現れないように出来る〝真の結婚の出来る資格〟が体得された。
するとなんと

“真の結婚のいかに大らかで、真に自由で、絶対安定で、広大無辺の愛の素晴らしさ”

が歓びの中に展開していたのである。
あの死さえも赦されない苛酷な苦悩は私達のみで終止符を打ち、今を境として、以後楽しい筈の恋や結婚で苦しむ人の一人も出ないように出来る途が開け始めたのである。
ふっとこの途こそ、宇宙自然から注がれた愛護を受けて返すことの出来ない僕の、全人幸福のために役立つかもしれない最大の贈り物にも思えてくるのだった。
それはまさにコロンブスの卵だった。

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わが一体の家族考(160)

〝一軒の家でいくらでもやっていること〟
発見.

先の「『恋愛と結婚』の前書き」の中に次のような一節がある。

“いかに科学的究明を信条としている思想を以てしても、観念論的部分の多い人間生活を、やはり観念論でキメつけて、それを優れているかの如く観念づけられた人達で社会風潮が作られ、そういう固定した観念の壁に対して、これだという固定した形態を持たない、無固定を正しいだろうとする観念での論議は、その論理がいかに正しくとも、受け入れられることは難しいことだろう。
固定観念に対して無固定観念で論議することは理解が全く至難だと言ってもいいくらいのものである。こうした場合に、その無固定観念を理解せしめるには、無固定思想の実践による立証をする必要がある。ごく小さい部分からでも実践することであり、しかもその小さい部分で止めるなれば、これまた理解さすことが容易でない。この思想を実践し、拡大して、証明することにあると思う。”

そうなのだ。〝固定観念に対して無固定観念で論議〟しても勝ち負け感で、無固定観念が勝っても怒るし、負けては馬鹿にするし……。
ここでは〝固定した観念の壁〟に真正面から向き合っている当事者ならではの感慨が述べられている。
なぜ今ヤマギシズム恋愛・結婚観の探求なのかの理由が率直に述べられている。
自分らもこうした世界認識・現状把握から出発しているのだと思う。
グローバリゼーションが普遍化しつつある流れの中で、なぜ今自分らは〝仲良い楽しい〟をうたい文句に〝こんなのがあります。こうしています〟と独自の酔狂な(?)道を歩んでいるのだろうか。

一九七〇年代のはじめ、当時担当していたヤマギシズム運動誌『ボロと水』の企画として、先述の〝無固定思想の実践による立証〟の一つとして誕生したヤマギシズム生活実顕地がしばらくして分解し、看板を下ろした経緯を探るために、北から南まで訪ね歩いたことがある。
貴重な体験をさせてもらった。現政治経済体制下、しかも旧態依然の道徳・常識社会の中で理想を追い求めることの意味と共にきびしさを我がことのように思い知らされた。本ブログを書き継いでいる意欲もそこから出ているのかも知れない。
当時(今も変わらないが)盛んに研鑽されたのは、〝真目的への最短コース〟として現時点で何に力を入れるかということだった。
例えば実顕地造成の場合にも二通りあった。

一つは常識的に考えられる無理のない段階法としての―
○個人経営⇒協業経営⇒協同経営⇒共同経営⇒一体経営即ち実顕地化というコース。
もう一つは即断即決の出発点の大事さを考えた上での―
○個人経営⇒ヤマギシズム特講⇒実顕地化の直線コース。

もちろん実際は、自分や相手の現状を考慮するあまり無理なく段階的にやろうとしたことがその段階でとどまってしまう結果になって、次の段階へ入っていけないことが多々ある。
少しでも〝できない〟という観念が入ったら難しくなってできない。
そこで人間、動機が適当であれば廻り道しないで真目的へ直進出来るもので、その間あまり雑念がない方が良いとして〝直線コース〟で押し切るわけだが、そこでも様々な問題が生じてくる。
こうした二つの方向性の中で、実顕地運営での現実問題の巧みな運営法いかんが問われるわけである。人類史がくり返してきた理想と現実のジレンマがここでも日々再現されてくる。
いや、そもそも実顕地なるものが発足したのは、

“家族の中でできていることが、家族同士寄るとできない。それができるのが今度の革命である”

からだった。
一軒の家でいくらでもやっていることを、ちょっと世帯が違うと難しくなる。〝固定した観念の壁〟に遮られる。そこで〝無固定思想の実践による立証〟が求められるわけではあるが、その前の〝一軒の家でいくらでもやっていること〟っていったいなんだろう?
ここを根底的に考え尽くすことができないだろうか。それができるのが今度の革命であるのだというのだ。発見だった!

そう、理想と現実のジレンマ(二つの相反する事柄の板挟みになること)に先だってある〝一軒の家でいくらでもやっていること〟に光を当てること! 
それがヤマギシズム恋愛・結婚観の探求だったのだ!!

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わが一体の家族考(159)

〝一本化〟の猛威からの脱出
グローバリゼーション

まず手始めに「『恋愛と結婚』の前書き」に込められているものを浮かび上がらせてみよう。一応理解の助けにと、言わんとすることに番号をつけてみた。

①ここでは、本当の人生を生きる上に最も大切なことの中でも一番本元であり、人生のスタートであり、人生の最大目標であると思う恋愛・結婚について、ヤマギシズムによる真なるものの解釈、真理、実態等について、要点だけでもまとめて世に残しておきたいと思う。ヤマギシズム社会における真の恋愛・結婚観はどういうものであるか、私の見解と、実践と、推察する周囲の実例等を挙げて、今日までの経過報告的に表現してみようと思う。

②この恋愛・結婚問題については、最も大切なことで、また最も正しくありたいもので、この世界のことについてはいずれが正しいか判然としないものがあり、最も深刻な問題とされてきたものだと思う。しかも理解は、これだというきめ手が発見できなかっただけに、いずれも観念論的にキメつけて、ずいぶん不合真理的なものを結婚などと思い違い等をして、本当の結婚をしていない。正しい結婚をしている人はほとんど見当たらないようである。正しい結婚をする条件が揃ってないのに結婚していると思う間違いが、日常の生活面や、精神的な面に現れて、何か物足りないものや、不都合な事態を引き起している。

③恋愛や結婚は楽しいはずだと思うが、不安だったり、苦しかったり、悩ましい思いをしたりするのは、必ずどこかに結婚条件・資格が欠けているからだと思う。

④私の過去、多数の異性関係を検べてみると、結婚だと思い込んでいたものが、またそう言っていたものが、不完全な状態で、未だ本当に正しい完全な結婚がなされていなかったように思う。したがって、いろいろ不都合な面が生じて、ずいぶん苦しい、筆舌に尽せないほどの憂悶を重ねてきた。また、相手をずいぶん苦しめてきた。そこにヤマギシズムと現実との、どうも相一致しない矛盾に割り切れないものがあった。

⑤真なるものには、悩み・苦しみはないのが本当だと思う。ヤマギシズムにこうした苦しみがあるということはなぜだろうか。
自分で自分をどうすることも出来ない苦しみから逃れようとして、一層苦しみへずり込み、血みどろの愛欲史に塗り潰された期間が続いたこともある。
ヤマギシズム社会における正しい結婚観は理論的には成り立つようでも、実証的には相一致するものが一つも現れなかったと言って、こういう世界のことは立証するために実験できる性質のものでなく、実験のための形だけのものなれば、出来てもそれはホンマものではなく、わざわざ実例を作ろうと思って作れるものではない。

⑥幸か不幸か、私をして実験材料の役割を負わされたものか、ここまで成長さすための試練であったか。

⑦失恋に苦しむ、破鏡に泣く人達の一人も出来ないように、焦熱に耐え、生きていたくもないこの世に生きのびる面倒さに耐え、血みどろになって恋愛・結婚問題等で邪道へ落ち込み、苦悶する人の一人もなくなることを願って、自らその場に立たされて逃げ出さないのも、全人苦悩のない、仕合せに生きてもらいたいとする、私の多情がそうさせているものだと思う。 

また山岸巳代蔵には、次のような世界認識・現状把握があった。

“いずれ、近く世界は統合されて、思想・政治形態も一本化されることと思うが、そうした時に、間違いのキメつけの一本化に統一される公算が大きく見られ、現在の国際関係や軍備問題、学問・技術等で飛躍的に前進し、物資は豊満になり、人心はその枠内で安定したように見られ、「人間社会はこういう程度のもので、こうしたキメつけを必要とする」やに思い込み、それが大部分の人の観念になるおそれが十分にある。ところが、必ずそれでは不自由なものを感じるはずであるが、そうした枠内の不自由は、人間社会の権利・義務・責任・契約等を当然必要なものの如く常識観念化し、気づこうとしない。また、それに着眼した者が提案したところで、立証するものがなく、観念論は観念論で圧倒し葬られ去るであろう。何ものにも縛られない、キメつけのない、真の自由な人間生活の出来る社会は、いつの日実現するか分からなくなる。”

世に恋愛・結婚観について言及する論は山とある。しかしそのほとんどは、〝間違いのキメつけの一本化に統一され〟た〝枠内〟の中での所詮はコップの中の嵐(ある狭い範囲で大変なことでも、大局的には何の問題にもならないことの例え)の域を出ない。
しかもここでの一本化とは、まさに今世界で起きている〝グローバリゼーション〟(ヒト、モノ、カネ、企業などの移動が盛んになり、地球規模での一体化が進むこと)のことであろう。
たしかにAI技術によるグローバル・ネットワークを背景に人と人との繋がりが、仲良しがより一層深まったと見なしたいところだが、実際は国家個々人主義や自由競争経済という弱肉強食思想等、間違った価値観をそのままにした〝枠内〟からの「平和にために戦争し、神に祈って爆弾を恵む」(山岸巳代蔵)思想・政治形態は変わらない。物余り不景気と物不足貧困・餓死者が同じ地球上で共存し、宗教対立、民族紛争、小国独立、権力闘争、排他運動等、〝一本化〟の猛威が今地球上を吹き荒れている。

内なる心は知らぬ間に外なる科学技術の目覚ましい進展に侵されつつある。すでに自分の健康状態の把握や認知能力は人工知能にはかなわない。次は人間としての心の豊かさ、広さ、徳性も、心を持たないアルゴリズムに置き換えられようとしているのだ。!

肝心の人間問題が立ち後れているのだ。〝内なる心〟を自分の心と混線して〝人間社会はこういう程度のもの〟とキメつけている間違いから来る悩みや不安や苦しみの観念。国による風習や社会通念を当然のように思って育つ根強い観念がある。なかでも結婚観ぐらい、植えつけられたものが非常に抜けないかの如く思われている観念はないだろう。
それが今まさに世界で起きていることなのだ!
こうした世界認識・現状把握に立っての
――結婚、恋愛は楽しいのが本当――
になれる実行方法の開発即ち〝枠内〟からの脱皮・脱出に本当なるものを託するのだった。

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わが一体の家族考(158)

『正解ヤマギシズム全輯』の草稿
草稿

『百万羽』構想という理想社会建設の大事業と並行して始められた「愛情研鑚会」で、男女間、夫婦間の愛情の不安定がいかに多くの社会問題を惹き起しているか、我執の害毒がいかに大きいか、全人幸福のためにはこの問題の解決こそと命を懸けてきた山岸巳代蔵であった。

そんな矢先の1959年7月〝山岸会事件〟で脅迫の疑い(翌年10月起訴猶予処分)で全国指名手配されて以来1960年4月に自ら出頭するまでの約八ヶ月、主に滋賀県堅田の地にあって誤解・曲解されやすい言行によらず責任のとれる著書に依りたいと、『正解ヤマギシズム』の著述に専念する日々だった。
なかでも自分自らをまな板に乗せた〝血みどろの愛欲史〟を〝ヤマギシズム恋愛・結婚観〟にまで煮つめ社会一般化されていく一部始終ぐらい、せめて要点だけでもまとめて世に残しておきたいと願うのだった。
それは次のような言葉の端々に現れる。

“全人幸福への根本条件解決への一考察”
“世の人々の参考に役立つなれば”
“苦悶する人の一人もなくなることを願って”
“いずれが正しいか検討する正しい結婚への参考資料に”
“全人幸福への道標か何かの足しに”

等々どこまでも考えるための参考資料に過ぎないとしながらも、

“現在の世相では、本書の文字を読める人は多いだろうが、これを読み得ても意味を読みとれる人は少ないだろうと思う。
まして本書に盛られた具現方式を、即実行、具現できる人は、その境地に入った、よほど進歩的で、世界の先端をいく、革命意識に燃える、まれに見る人達に於てのみなされるであろう。だが、この空想とも一般に笑殺されるであろう、実は実現容易な理想境〝金の要らない楽しい村〟が、地上の一角に一点打ち立てられる時、それを見、聞き、伝えた世界科学者達の研究課題になり、人間の本質、社会のあり方等について、関心を寄せられる人々の注目が集まり、実行家の続出することは、火を見るよりも明らかである。”(研究家・実行家に贈る言葉1960.5)

と燎原の火のように世界中に燃え拡がり、急速に全世界が風靡される実態の普遍性については一点の曇りもないのだ!
確かに指名手配中の身でもあり、満足に著述に打ち込める環境ではなかった。しかもこれら遺された資料は、ほとんどが断片的な未完成草稿である。本人による添削が複雑に施されていたり、途中で別の主題に飛んだり、中断したり、ほぼ同内容のものが表現を変えて書かれていたりと、非常に読みとりにくい。
加えて出頭するに当たっては、『正解ヤマギシズム全輯』の草稿としてB五版わら半紙に鉛筆で書いた四百枚近くの未完成原稿もすべて「燃やしてほしい」と当時近くにいた人に託されたとの証言もある。
だとしたら結局のところ、『正解ヤマギシズム全輯』の出版は〝幻の著作〟に終わったのだろうか。山岸特有の大うそつきのはったりめいた発言だったのだろうか。
山岸会事件後、多くの会員が〝こんな筈でなかった〟と動揺していた頃、山岸巳代蔵から福里柔和子に宛てた書簡という形式で会員に向けて発信された第二信で、

“柔和子と僕の目には、今日の形でなく、カレンダーを数枚めくった日本晴の明るい世界が展開していますね。前進前進の現段階や、これからの見通しがついているわね。”(1959.10.10)

と書きとめている。
先回の〝即極楽の8丁目〟の文言もこの二信の文末から引用した。

“月界への通路、開設着工 地獄の八丁目、即極楽の八丁目 きわまる所 必ず展ける。霊人より”

必ずそう成ることを見て言っているのだ。まだ無いものが見えるから言っているのだ。
ある意味〝幻の著作〟どころか、四百枚近くの未完成原稿は汲めども尽きぬ理想実現への泉なのだ!

ここではある程度纏められた「『恋愛と結婚』の前書き」(1959.10~12)や「真の結婚を探ねて」(1959.11)と主に山岸巳代蔵と柔和子による研鑚会記録「編輯計画について」(1960.2~3)等の資料から山岸巳代蔵の心の動きを辿ってみたいと思う。

当時山岸巳代蔵は滋賀県堅田に住んでいた。柔和子もまた堅田に近い滋賀県の浜大津に住んで、そこから山岸の住む堅田に会いに行くようにしていた。「編輯計画について」等の研鑽会記録が残っているのは、同じく指名手配中で事件の広報担当だった奥村通哉(1923~2016)さんが堅田に呼ばれて口述筆記を自らの出頭の日まで担当していたからである。

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 「と」に立つ実践哲叢(42)

〝常識外れの変わり者〟

ヤマギシズム理念や一週間の特別講習研鑚会を考案した山岸巳代蔵ってどんな人だったのだろう? 遺された資料などから一言で言うならば、〝常識外れの変わり者〟とも呼べる人間像が浮び上ってくる。
山岸巳代蔵

実際に第一回の「特講」が開催される半年ほど前、養鶏の講習もかねた会の研鑚会に参加した明田正一(後の参画者)さんが、「キチガイになれたのが嬉しい。キチガイが治らぬうちに来る気はないか」と手紙を山岸さんに出したら次のような返信があった。

「変り者を探している。変り者を探し合って、変り者でない人を変り者にしようじゃありませんか。そして世界中の人みな変り者に変えましょう。」(1955年6月8日付)

そんなたった一夜の夜明かし研鑚会で〝キチガイ〟になった明田さんに呼応するかのように、7月には山岸さん自ら明田さんらの部落に出向き「掘立小屋を建てて藁の上で筵をかぶってでもやっていく、私はこの地の土になりたい」と言って山岸式鶏舎を建て育雛を始めてしまう。そして10月の山岸会全国大会では何と「地上の一郭に既に理想社会はできている」と公言するのだった。
このスピード感、〝常識外れの変わり者〟ならさもありなんといった感じである。心の豊かな人に巡り会って居ても立ってもいられなかったのであろうか。

こうしたエピソードからある意味で山岸さんという人は、自分の〝理念を生きた〟人ともいえるだろう。しかもその生き様がとても〝リアル〟なのだ。
理念(理想)と現実(実際)との間にスキマを作らないように、絶えず理念(理想)に即応しようとする意図を感じる。常識的には崇高な理念を掲げることは、即挫折や敗北や悔恨を意味するはずなのに……。
例えばこんな発言もある。

以前の自分は、自分の思い考えを皆に聞いて貰い「どう思う?」と尋ねると「分からん」と言われて、「なんや、こんなに喋っているのに頼りない」「なんや、つまらん」と思っていた。逆にまた「そうか」「なるほど」「そら苦しかったやろな」と言われると同調者ができて、味方ができて、理解者ができて、非常に力強く感じていた。
ところが最近になって「ははあ」「ああ」と、ホンマに頼りないと言うのか、あほらしいって言うか、煮え切らない本当に「分からん」とする相手と話すのが最も楽だと思うようになったという。

「理解者の数が要らんという、自分が理解者になったらええのやと思ってね。それからこそっと楽になったね。妙なもんやわ、そら。」

パッと陽光が射し込んだような開放感に包まれる。自分の思い考えを理解してほしい、認めてほしいという観念の夾雑物が外れた清々しさが感得されるようだ。

それにしても〝自分が理解者になる〟の、その自分ってどんなじぶん? 自分の心の内にキメつけている観念が外れた一瞬。これこそあの特講で出会ったじぶん?

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わが一体の家族考(157)

頼子とのわかれ
特講絵図

山岸巳代蔵には結婚観、男女関係については一貫した考え方があった。それは例えば、

“僕はね、本当に女性が救われるのはね、これは男性も共にやけど、救われるのは、固定のない結婚だと、こう思えるの。何人とか、誰々とか、こういうものはないのやと思うの。誰と誰とというような固定がないのやと思うの。それは未だにおんなじ、一貫してるんよ。キメつけのないのが本当だと、こう思っているからね。だからね、あのやはり、これも全人幸福の立場から、わざわざ作ろうたって、作れるもんやなしに、好んでそんなことして交際求めてやろうとしないのに、いろいろの機会があると。そしてそんなふうになっていく状態ね。”

といった流れ雲のような成り行き任せからの真の結婚を探ねての途上で偶然か必然か出会った頼子という女性であり、一年後には何の野心もなく出会ったのが柔和子という女性だった。
すると頼子には嫉妬っていうのか嫌気が感じ出してきて、だんだんと頼子との関係が悪化して悲惨な場面が出てくる。しかも1958年3月末には柔和子との婚約発表にいたる。
期せずして柔和子からは私と結婚したとなったら〝私は火の女〟ですよと覚悟を迫られるし、精神的肉体的純情をくれた頼子も絶対に落とせない立場に追い込まれる。一番難しい〝結婚の革命〟に直面する。この革命が成されないで、何の革命や、本当の社会やという思いに胸が張り裂けそうだった。
だんだん愛情の混乱状態が起こってきた。
そんな愛情の混乱で絶望状態になった山岸巳代蔵は、そこで話し合いをして〝なんとかならないもんか〟と見性寺の愛情研に一縷の望みをつなぐのだが一応それは持ち越しになり、翌1959(昭和34)年1月17日の〝熱湯事件〟になり、療養を兼ねて春日山近くの柘植の旅館で頼子と一緒に暮らしてみたりと、落ち着かない日々が続くのだった。

そんな愛情の不安定のさなか、山岸会の運動面では4月全国民を「特講」に送る急進拡大運動が提案され一気に盛りあがる。そしてそこから全国的に名をとどろかした〝山岸会事件〟へ。山岸巳代蔵もまた全国指名手配として追われる身となった。
その後山岸巳代蔵は、あちこちを転々と移り、出頭の機会をうかがう。頼子とは7月末に会っているが、この年の12月半ば結局は頼子の手には渡らなかった手紙を人に托して以後、連絡は途絶えることになった。
昨日頼子のために一日中泣いた……から始まるその手紙の一部を紹介してみる。

“二階で別れる時、私をどうしてくれるのと、ヨー(頼子のこと―引用者注)にしんけんに云われた言葉が毎日胸に痛い。ヨー、ビックリしないように。情死した方がよいと思うなら、直に明日にも来てくださいね。ホントによろこんで死ぬよ。ヨーと末永く楽しく暮らしたいのが第一の願い。その次は、三日間ヨーと充分たのしくくらして一と思いに死ぬよ。よほど思いきって、ヨーも考えて決心して、ヨーを不幸におとして、全人もくそもあったものか。”

昨夜は近くの浜大津に住む柔和子の病状急悪化と精神的に落ち込んでいる報告を受けて、のたうち回り、苦悶で夜を明かした。とうとう杉本利治さんに来てもらって話しているうちに力づけられて元気回復し、頭も働き始めたばかりだった。
「なんで分からんやろな、ママ(柔和子のこと―引用者注)さんさえ分かったらな、仲良ういけるのに」といった通じないもどかしい気持ちを何とか割り切って、〝全人幸福のためなれば何をか云わん我が凡て〟で行動しようと決意するのだった。

いや、それだけではないと思う。先に紹介したイズムの先人山本作治郞さんの「宇宙自然の愛護」や柿谷喜一郎さんの「夫の行為は妻の一体によってなるもの」等の真意に繋がる大森敏恵や井上頼子に共通して流れるものに〝凡てが納得解決するカギ〟を託しているようにも文面から見受けられる。この辺り宿題としておこう。

またこの年の暮れ頼子は、この間何かと相談に乗ってくれていた安井登一(1909~1993 山岸会事件で逮捕され、保釈後は郷里に帰っていた)さんに宛てた手紙で次のような頼み事をしている。

ずっと刑事に監視されて窮屈な思いをしている。今の自分は、ただ一日も早くすべてから解放されて行くべき道を定めたい。そこでお願いがある。あの〝熱湯事件〟の後、伊賀町柘植の旅館に静養を兼ねて暮らしていた時「山岸と頼子は必ず一年後に結婚します」と交わした誓約書を居合わせた貴方は証人として持っているはずだから私に返してほしい。そしてこの事件が早く解決して皆んなが楽しく暮らせる日の早からんことを祈っているといった内容であった。

この時点で山岸巳代蔵はひとりの女性に振られたのである。
そう言えばと、以前ずいぶん吉本隆明の言説に慰められた記憶がふと思い出される。例えば

“男性の方はそういう場合(つまり自分自身っていうのを、一人の異性なら異性っていうものに通ずる、自分を通じさせることができなかったっていう体験―引用者注)には、振られてがっくりするわけですけど、がっくりしたっていう体験を通じて、おそらく、人間は人間として、いかに、卑小な存在であるとか、つまり、自分を相対化する眼ができてくるわけです。
だから、たいへんきついことですけど、その時は、おそらく、振られる男性の方は、わりあいに、神に近い境地にいるわけで、それは、現象的には、表面上はそうは見えないですけど、ほんとうのところはそうなんです。”(講演 自己とは何か-キルケゴールに関連して 1971.5)

ナント〝神に近い境地〟なのだという!? どんな境地なんだろうとあれこれ思い巡らして気を紛らした日々が懐かしい。

そして今、自分らはそこから暗い悲しいみじめな失恋体験・境地が一転〝即極楽の8丁目〟の世界に触れていくのである!
ヤマギシズム恋愛・結婚観の探究を通してその肝心な機微に触れるのである。

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わが一体の家族考(156)

〝失恋も面白いものやぜ〟
失恋

また山岸巳代蔵は人間観念の変わりやすさと同時に反面〝こうだと思い込むとなかなか変えられない〟我執観念の様々な場面での現れを、いろいろな種類を一つひとつ並べているところがじつに興味深い。
一口に漠然と我執・頑固観念とは、自分を持って放さない、キメつけて執われることだと言ってみたところで「ああ、そうか」で終わってしまいがち。頑固観念の一つや二つ脱げても、また入れ替わり立ち替わり、変わった観念が入って根を下ろしてしまう。人間は観念動物と云いたいほどなのだが……。それではいったい何を信じて(拠り所)人間は行動し、生きるのか?

○この世に、どんな場合にも、悲しい、苦しいと思うことは、自分や人への同情等や、悲しいときめ、苦しいものときめつけて、そこから脱却することを拒む頑固我
○きめつけたことが実現しないときめつけるきめつけ我
○思いごと、願いごとを持ち続けねばならんとする固持我
○いま思ったこと、人に云ったことも、コロコロ変わるものを、思ったから、心できめたから、人に云ったから、約束したからと、考えや事態が変わってあるのに、前に考えた、云った、聞いたことを、終生大事と持ち続けて、頑として放そうとしない我
○病気になったら、それを苦にする我
○きめつけを持っていないと思っていても、ずいぶんたくさんのきめつけを持っている人が多い。これが無自覚頑固
○きめつけなしでは不安定だと錯覚し、きめつけを大切に持って、放すことを怖れ、嫌う人もある。臆病頑固。
○自分の考えや行為を、これでよし、間違いなし、ときめつける、自信頑固。
○私は至らない間違い多い人間だから、私の考えではダメ、ときめつけて、昔からの常識や、多数の人の意見や、学者か知識・経験の深い人や優れた人、世評の高い人、賢聖等の言行を崇拝・是認して、または神、仏の道、教え等と謂われる事を間違いないかのように、至らない、間違い多い人間の筈の私の判断できめつけて信じ込む、盲信頑固。
○自分はダメだときめつける、劣等感頑固。
○恥ずかしがりがとれないときめつける、逃避頑固、羞恥頑固。
○頑固でないときめつけ、頑張る、否定頑固。
○相手が間違いだときめつけ、筋を通そうとする、正義感頑固。
○知識・能力・経験・美貌の点で他の人より優れているとしての優越感頑固
○俗に云う養子根性や、貧乏や、身丈や何かで、ひけめを感じてなかなか脱けられない、頑固な劣等感頑固
○沈黙頑固、温厚型頑固、逃避型や遠吠え型、貞淑型、羞恥型頑固、怒り型、悩み型、恨み型を持ち続ける頑固等々。

先ずは小口からその都度コツコツ脱いでみることであろうか。
なかでも先の〝観念あるけどいつでも外せるもの、本来持ってないもの〟の象徴的な実例として山岸巳代蔵は、恋愛問題をあげているところがさすがである。
人類史誕生以来くり返して体験されてきたにちがいない〝あばたもえくぼ〟に映るといった恋愛感情の起伏の中に、観念動物ならではの可笑しさ・哀しさ・素晴らしさなどの悲喜劇が凝縮されているようにも思えるからだ。

“失恋も面白いものやぜ、執われから解放される。記憶あっても執われから解放されるということは、いくらもなし得ることやし、あり得ることやと思う。僕はそれで楽になったわ。実際は代りがあるからやなしに、好きな人があるから一方の執われから忘れたやないの。それがある間は、可哀相な、苦しい、さびしいようなものがずっとあったが、それを外したらなくなるね。そういうものは早う外した方がよいと思うな。向こうにあるのでなくて、こっちにあるのやから、それは。”(「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」第六回)

そして第一回特講期間中親身になって手当てしてくれた大森敏恵について語る。

“誰と恋愛して暮らしていてもちっとも消えず、しかもほのぼのとしたもので、しかも二度と寄るか寄らんか分からんとしても、点滅でフツフツと浮かんでくるもので、執われてさっぱり仕事できんかというと、そうでないが、それもやっぱり取り去れた。それが同じ思い出でも、明るいものならよいが、暗い悲しいものならみじめやわね。また何回も出てきても、外していけると楽やね。また観念をパッと外すこともなし得ると思うわ。”

一つの観念我が外れて、ふっと浮かび上がってくる〝ほのぼのとしたもの〟がある。
これぞ山岸巳代蔵がひそかに待ち焦がれている、ヤマギシズム恋愛・結婚観の底に一貫して流れているものにちがいない。
我執を超えるものがたしかに誰の心にもあるということを言いたくてしようがないのだ。観念我が外れて、頑固が謙虚に転換する姿にかつてない地軸を動かす事態を見ていたのである。

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わが一体の家族考(155)

脱げない着物はない
水鏡(みずかがみ)

“ みずかがみ
こころ ころころ みずかがみ。
かげがながれる、みずはなみうつ。
自分で自分の心を眺め視る。
つかの間も停まっていない。
自分で自分の心を信じられない。あてにならない。
秒後は何を思うだろう。
物のすがたは定規ではかる、
はかりかたないひとごころ。   鈍愚生”

また山岸巳代蔵は亡くなる少し前に、次のような言葉を残している。

“人間の観念というものは、頑固なもので、生まれた時はそうでもなかっただろうが、だんだんに観念が入り、その観念を物差しにして何回、何十回検べ直しても、答は同じように出る。「何回検べ直しても同じ結果になるから間違いない」と思い違いするもので、物事を検べる元になる自分の観念を、零位に立って検べ直してから、とりかかることではないだろうか。
人の頑固はよく見えやすいもので、頑固でないものまでも頑固に見えたりしやすいものであるが、自分の頑固は、自分の体臭に気がつかない如く気づかないもので、ちょっとした頑固観念があっても、損するのは自分で、その余波を人にまで及ぼすものである。
自分の我利・我欲・頑固観念を真っ先に無くし、それだけにとどまらず、全世界の頑固・我利・我執を絶対に抹殺することによってこそ、真の幸福は招来される。
頑固・我執を無くさない限り、最後の土壇場で自分が苦しむもの。
仲悪く、人と人とが同じ世界に住み得ないもの。
不幸の芽はそこから伸び広がっていくもの。
自分の我はむろん、世界の我を無くすることを、全てのものの始めとしよう。
早く、これを急速に拡めようではないか。―1961.3.15―”(―理想社会をめざして―一粒万倍に)

一般に〝我執〟と聞くと、先入観からか宗教臭味を感じて何となく避けがちになる。それでも意味的には〝自分中心の狭い考え。また、それにとらわれること。〟と知っている。そして「いや自分にもたくさん我執がありまして……」とへり下ってはみるが、それ以上〝自分のどこに〟我執があるかまでは検べようとはしない傲慢さを恥じる。
山岸巳代蔵は一貫して「我執があるというのは人間最大の不幸で、仲良く暮らすには我執があったらあかん」と言い続けた。
自分は幸せばかりを願っている〝我抜きの固まり〟だとした。そして我執のない自分を発見する喜びを生きる力の源泉とした。
しかもそこから希望、明るさ、豊かさを味わったものは、自分だけで止まらずに「世界中の我の根を絶ち切ろう」「生身の自分は死ぬかもしれんから、その理解者を一人でも多く作る」ことに情熱を燃やした。
そこから我のある人が我のない状態になれる方法、機構、場所について徹底的に究明し抜いた。現在自分らの住む場所のことを〝実顕地とか一体経営、一体生活〟とも呼んでいるが、そのベースは〝我執があったら一体とは言えない〟というハッキリした理念に支えられてのことだ。もちろんいちばんの素晴らしい真の結婚を希うなれば、無我執の自分になることが絶対条件だとした。
その一手段として各個人の頑固観念を抹殺焼却するために、常識ではとうてい出来難いこと、やってはならないこと、絶対やれないようなことを、やれと強弁する〝我抜き研鑽〟がある。次のような証言もある。

“どう考えても我と思えんことを、我やとキメつけてやるわけ。たまりかねて先生(山岸巳代蔵―引用者注)に言うたら、我抜きについては何も言わない。我抜きは否定しない。
我のない人に、いくら我抜きやっても無害だから、やはりいくらやってもよい、と。”

確かにコンクリートの川に網かけて、布みたいなもの流してみると、私の考えはいろいろあっても帯や着物があったら引っかかるが、水だったら引っかからない。
また何を話し合っても受け付けない頑固な人でも、死んでも行かないと言い切っている人でも、一通の急信によってどんな忙しい中でも遠隔の地からでも、取るものも取りあえず頑張っていた頑固さをサッと抜いて自分では意識しないで兄弟近親の元へ馳せつける。
またトゲが刺さった時のように、調子良い時は「良いな、良いな」で痛みを感じないが、ちょっと逆撫でされると痛い。とにかく抜かんことにはおさまらない。
こうした事実はいったい何を物語っているのだろうか? 
観念動物としての人間は、それにとらわれて外せなくなったり、しかしまたそうした観念あるけれどいつでも外せるもの、本来持ってないものでもあるのだ!
こうした観念の特質をよく知って上手に扱っていければよいのだが、その前に我執は〝いつでも外せるもの〟だという当たり前の事実を知るところからはじまるのだろうか。

そうした意味では愛情研鑚会はまた〝我抜き研鑽〟実演の場でもあった。いや〝我抜き研鑽〟も我執抜きなど必要のない〝我執を自分で発見する喜び〟の場へと移行進化していくための必要行程でもあったのだろうか。

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NHKスペシャル「サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む」 

先日テレビ番組『サグラダ・ファミリア 天才ガウディの謎に挑む』を観た。
イエスの塔

世界遺産スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア教会。ついに去年10月、教会の最大のシンボル・イエスの塔の建設が始まった。完成すると、サグラダ・ファミリアは世界で一番高い教会(175メートル60階建ての高層ビルに相当)となるという。しかし、建築家ガウディが残した建築資料はスペイン内戦で焼失。イエスの塔の壮大な構想は長年、謎に包まれてきた。その謎に挑むのは、サグラダ・ファミリアの芸術工房監督として、40年前からガウディの残した手がかりを探し、教会を作り続けてきた彫刻家・外尾悦郎さんだ。
以前にも外尾さんについて触れたことがある。

“今もスペインのサグラダ・ファミリア教会でガウディの遺志を継ぐ彫刻家・外尾悦郎さんのことが以前新聞(2013.6.8朝日―引用者注)で紹介されていた。石を彫りたい自分に気づいて、若き日偶然スペインで石の教会の工事現場に飛び込んで以来、今日までやってこれた理由に、ふとした心の転換があったからだという。
 それはガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ることこそ必要なんだ、と気づいたとき、ガウディが自分の中にいて、同時に、ガウディの中に自分がいるという感覚が芽生えたというのだ!
 あ、これだ。こんな感じかなあ、と思わずうれしくなった。自分にも思いあたる節があったからだ。”(「と」に立つ実践哲叢22)

糸口は外尾さんの「ガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ること」、つまりガウディと同じ視点(=位置)に立つというか、ガウディが込めた思い(=心)になることにあった! 
すると「ガウディが自分の中にいて、同時に、ガウディの中に自分がいるという感覚が芽生えた」!?というのだ。
ホント、これこそ目から鱗が落ちる気づきなのだ。これは〝近づこうとする自分〟から自分が〝その人(ガウディ)が見ていたもの〟を共に見るといった次元の飛躍・転換を意味する。この点はいくら強調しても強調し足りないところだ。

風来坊のような一日本人を、石工たちがすんなり受け入れてくれた訳でもないだろう。ただただ一生懸命に石を彫るだけだったはずだ。
その外尾さんが今芸術工房監督として教会の最大のシンボル・イエスの塔の内部をデザインする。塔の中に何を込めたらよいのか? それをガウディが願った心になって探すのだ。
そうした企画案変更の様子が興味深い。

塔全体でイエスの存在を感じる空間にしたかったのでは……。だとしたらイエスそのものがいるという空間とはどんなもの?
イエスが出会った人や風景を形にしてみたらどうか。神と聖霊を象徴するオブジェとか、ガラスのオブジェで森羅万象を〝種〟として配置して、それらを神から人間への贈り物として表現できないものだろうか。
実際に試作品もつくってみるのだが、どれもしっくりいかない。ガウディならどうするか? ヒントは必ずある。
番組では近年失われたと思っていたガウディの資料が大量に発見され、そこでのガウディが境目なく混じり合う色のグラデーションの実験材料から、イエスの塔につながるヒントが明らかになる。 
外尾さんは40年間探し求めていたものを見つけた思いで語る。

“自然には境目がないんですよね。空の色も海の色も。色が無限にグラデーションがかかって変わっていく。ところが人間が作るものはすべて境目がある。それをガウディは悲しく思った。
貧富の格差や社会の分断が広がる中で苦しみが続く人間社会がつくる境目を、自然がつくる自然のグラデーションで乗り越えるといったガウディの願い”
色のグラデーション

を彫刻やオブジェでなく、水・光・時間・土・重力など森羅万象を色に託して色のグラデーションで神から人への贈り物として表現してみようと思い至るのだ。
そんなサグラダ・ファミリアに託されたものを追い求めて止まない外尾さんの発言に励まされる。

そういえば、自分にも思いあたる節がある。
ある秋の「ヤマギシズム展示博覧会」での出来事だ。自分はテーマ(自然と人為の調和)館の担当だった。ところが約一ヶ月前からの準備の中で最初に立てた企画案にNGが出た。何で? テーマの焦点が全くズレていたのだ。そこで関係者で再度寄って、例えば次のような一節

“人は、人と人によって生れ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなる事が解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目している事にあり、政治・経済機構も大改革されますが、その何れにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以です。”

を研鑚しながら、『ヤマギシズム社会の実態』の書は実態の書であって、書でなくて実態そのもの。この実態の書を、実顕地そのものにしていくことが実顕地の深まりなんだといったこと等を確認し合ったことがある。
今にして思えば自分自身大きくズレていたが故の、何と素晴らしい僥倖にめぐり逢えたことだろう! 
その後何度もやっかいな局面に立たされた時、きまってこの一節を一字一句研鑚して心に焼き付けたことが鮮やかに甦ってくる。
人間は言葉による観方・考え方に立つことでしか、現実を乗り越える実態は立ち現れては来ないことを思い知らされたことだった。

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わが一体の家族考(154)

私心と全人幸福を願う心

また先の愛情研での柔和子の発言にもあったように当時1958年頃山岸巳代蔵は大村公才(キミオ)と自称していた。愛情研鑚会の記録として残っている1958年10月21日の研鑚会の初め頃に次のように語る。
奥村土牛 「鳴門」

“私は大村キミオっていう名をつけた、あれはね、ねえ、「全人に適当に使われたらいいんだ」っていう、そこから出た、あの夫(オット)っていう字を書いたんですわ。夫(オ)は、それではやはり一般を刺激するから、才(サイ)という字を書いてますけどね、夫(オット)という字、大村公夫って。一旦あのねえ、瀬戸内海でねえ、ねえ、私はもう、ワタシは捨てたんですわ、ね。私を必要としやね、ねえ、相合う人あるなれば自由に使ったらいいじゃないかって、大村公才(キミオ)。そういう私の観念を象徴する意味で大村公才とつけたんです。大村は世界っていう意味ですわ。ねえ、世界っていうことは、今の世界じゃない、永久の世界ですがね。世界の中で、ねえ、それで公才とつけたのはね、私のまあ才能って、そんなおこがましいもんじゃございませんよ、ねえ、能力そのものをやね、世界中の人のために役立つものがあるなればですよ、はっ、使われたらいいんだって、この気持なんですわ。で、いずれもこれは通じる「オ」なんですわ。”

この、私心の〝ワタシ〟にはもう、なんらこの世に未練がないというのだ。生きていたくなかった。即座にこの場ででも消えてなくなりたかった。
そう言えば1957年9月、和歌山の高野山での山岸会全国大会で西辻誠二さんが次のようなエピソードを披露していた。

“こんな名刺を持って来て、小さい小さい字で端の方に〝山岸〟と書いてある。外に何も書いてない。〝なんで所を書いてはらへんのや〟、〝いや世界……日本地区くらいかナ〟と言うてはるんですナ。それから〝あの堤防も直しましょうね、あの堤防の三倍もあるのを〟ちゅうようなことを言って、〝モデル農村をこしらえましょうね〟と言われる。わしも〝ハアーン〟となって聞いていたんです」(笑声)”

あえて平たく言い直せば、ここで山岸巳代蔵は〝二つの山岸〟を表明しているのではないだろうか。一つは瀬戸内海に捨てた〝私心のワタシ〟であり、もう一つは〝私が真理だと思うもの〟というか〝全人幸福に役立つ私〟である。もう一刻も早く死にたい私心と全人幸福を願う心との二つがうず潮のように渦を巻いていたのだ、と。
このうず潮のイメージこそ、この間の文脈での〝二つの幸福〟〝何でも二つある〟〝二つの事実〟〝二つの心〟〝「と」に立つ〟といった文言に重なるのだが……。

この運動をはじめるにあたって山岸巳代蔵は、〝自然全人一体の産物としての自己(自分)〟から出発していた。山岸養鶏普及にあたっても、くり返し鶏を飼う場合の鶏や社会との〝繋がりを知る精神(心)〟がそれである。
自分が全体の関連の中のどこに位置しているか、一つ一つ辿っていくことによって、自分の立つ位置が分かるとした。確かに自分の働きによる間違いの及ぼす影響ということを考えれば自分の位置の大きさを感じ、またみんなとの一体によって成り立っている繋がりから知る自分の小ささを思い知らされる。
そうした繋がりの中の自己(自分)にとってのいちばんの牆壁は、じつは自己意識や自我や主観や主体といった自分を護る観念から生まれる〝剛我〟観念であった。

その〝剛我〟観念との格闘・脱却劇を、〝我抜き研鑽〟としてもっともリアルな愛情世界の場で演じてしまうのだった。
しかもそこでの〝無意識ですわ、無意識にねえ〟と予期もしないのに起こった本当の恋愛の実践の場では今日までの恋愛・結婚理論など何の役にも立たなかったことであった。
それはヒニクにも真を求める者に課せられた運命というか結婚受難史を予期させるものだった。
いやその前にそもそも〝剛我〟観念とは、〝我抜き研鑽〟とはなにか? 再度軽く振り返ってみる。

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「と」に立つ実践哲叢(41)

新しい時代についていく

昨年11月末の村の交流会で何か皆の前で話せというので、たまたま当日朝のニュース〝中国政府、「世界初のゲノム編集赤ちゃん」研究の中止命令〟から思いついて、今世界で起きている目覚ましい科学技術の進化と自分ら日々の暮らしとの繋がりについて話してみたことがある。
ゲノム編集技術

今まで自然(神)の領域でなされていた遺伝子の組み合わせが画期的な遺伝子編集技術(クリスパー・キャス・ナインの発見)によってまるでワープロで文章を編集するように人為的に簡単に書き換えられるのだという! そのゲノム編集技術の開発者の一人、ジェニファー・ダウドナ自身が自著で心配していた真当の使い方を知らない人にも使える技術ゆえの懸念がまさに現実になったといえる。

以前にもスマホや自販機などに象徴される文明の利器の有り難み、温もりを振り返ってみたことがある。その時までは外なる創造・物質進化と内なる人間自体の開発・創造面とを切り離して考えていた。だから外なる創造のより一層の進化と共に肝腎の人間問題が立ち遅れにならないよう、今ほど人間自らの開発・創造の方面こそむしろ先行して取り組む時はないとしてきた。

ところが今世界で起きていることは、内なる心は知らぬ間に外なる便利で快適な科学技術の一方的な勢いに侵されつつあるという驚きにある。外なる創造する積極的能動をそのまま内なる人間自体に持ち込み、内部が心を持たないAI(人工知能)のアルゴリズムに置き換えられようとしているのだ。外と内が離れたものでなく直にリンクする、はじめての事態に直面しているのだ。
先の中国政府の中止命令に見られる旧来の生命倫理観から見ての今日の重要施策と同時に、今一つ、今直ちに着手しなければならぬことがあるのではないか……。
そんな話す本人も未知ではじめての事態のことをたどたどしく語るものだから、聞く方はもっと見事なくらいチンプンカンプンだったらしい。

それはさておき、そうした事態が当然の帰結ともいえるなら、今世界で起きている目覚ましい科学技術の進化はどうしたら真の幸福目的のために利用されるのだろうか。また生来の人間としての豊かさ、広さ、徳性を果たしてどれほどより広く深く進化させていけるのだろうか。問われるのは、内なる人間自体の開発・創造面であろう。

そう言えば当の〝クリスパー〟も細菌がウィルス感染から身を守っているという自然現象の研究から生まれたという。内なる人間自体の開発・創造というと大層難しいように聞こえるが、ヤマギシ会趣旨の一節〝自然と人為の調和をはかり〟という意味での自らの能動的な〝働きかけ〟としてとらえたい。
そうすると、それは誰の中にも無限大に潜在して人間ある限り無くならない、開発さえすればどんどん湧き出てくるものではなかろうか。その辺り今少し思い巡らしてみる。

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わが一体の家族考(153)

〝剛我〟観念の抹殺

そしてその年の12月頃には、山岸巳代蔵は四日市市赤堀の柔和子の家に頻繁に訪れるようになる。柔和子が語った回想である。
山岸巳代蔵は真夜中に家に忍び込んで愛を告白しに来た。ある日には、ザラ紙に鉛筆でしたためた恋文が畳と布団の間に差し入れてあったという。次のように書かれてあった。
刀鍛冶と名刀

“「なるもよし、ならざるもよし、ならざれば、永久に春みぬわれ知る真恋」といった歌とか「私は本当の真の妻に巡り会えた。求め求めてきた真の妻に巡り会えた」とか「私は鍛冶屋、あなたは名刀」とか、「あなたは名刀、私は使い手、名刀と名剣士が相まって一つのものになる。どのような名刀も名剣士の使い手なくしては鈍刀に等しい」”(『評伝 山岸巳代蔵』玉川信明)

山岸巳代蔵には〝最も相合うお互いを生かし合う世界〟というヤマギシズム結婚観を求めに求めての妻恋行脚で、ボルト・能力・気質の最も同じ、本当の夫婦にようやく巡り会えたのである。
名人同士、何万ボルトか分からぬが、同じ電圧の、両極の最も相合うまたとない異性としての愛する心が募ってきたのである!
しかしそのことはまた、山岸巳代蔵と何でも理知で割り切らねば承知しないといった福里柔和子とは何れも同位の高い電圧ゆえの波乱は必至であった!?
そう言えばさきの12月9日の愛情研鑚会(見性寺)の終い部分は、未だ終わらない〝煉獄の試練〟を暗示させる二人の発言で次へと持ち越されていく。

山岸 いやこれをね、いやあのね、ここやで。いやちょっ黙れ黙れ、黙れ、ちょっと黙れ。あのね、向こうへ行って話しててもね、あの顔やね、これを感じてね、ここに感じてよ、行ってからそんなに変わっとってもやね、それを感じてやってる仕事はね、生き生きすんのよ。ね、暗い、くしゃーんとしてるやつを感じてね、春日へ行って、菰野へ行って、どれほど一緒にいてもね、どうしても芯が、心からパアーッと日本晴れにならないのよ。日本晴れになってやらなんだらね。曇りがかかってやる仕事なんか、やらん方がましや、やらん方がましやって。本当やで、本当やで。
柔和子 こっちもそうよ。私も言えるのよ、そこはね。
山岸 そうや、そうや、そやそや。
柔和子 いっくら仕事と一緒に取り組んでてもねえ、
山岸 そう、そうよ。
柔和子 そんなその、いっつも頼ちゃんが心にかかって……
山岸 そうそうそうそう。
柔和子 クシャーンとしてこうなっている人とね、なんでついていかんならんのやって、こうやね。
山岸 そう、そうやがな、そうやがな。
柔和子 本当に。
○○ (聞きとれない)
柔和子 うん、本当やよ。そんなものねえ、これねえ、あの、「ママさんさえ割り切ったら」ということを、よく言われたけどね、相対的なもんでしょう。私一人がいっくら割り切ってたってねえ、真の人間でない以上はねえ。やはりそういうもので、相対的なもの。「そんな阿呆らしもない、なんで私そんな、あんたついてきて、そんなせんならんのや」っていうところやね、結局。そこですわ。”

依然として柔和子さんらしい(?)丁々発止のやりとりは健在である。
ヤマギシズム結婚観は理論的には成り立つようでも、実証的には相一致するものが現れなかった。なぜなのか?
理念と現実とのジレンマ(板ばさみ)で苦しみ、苦しめ、常軌を逸する狂乱状態を幾度となくくぐり抜けてきた。しかしここにある亀裂はどうやれば埋まるのだろうか? ここを一気に乗り越え突き抜けることがいちばんの切実な欲求だった。

山岸巳代蔵にとって能力の高さゆえの柔和子らしさ(?)を象徴する、どこまでも〝理知で割り切らねば承知しない〟といった自己意識や自我や主観や主体といった〝剛我〟観念の抹殺ほど取り組み甲斐のあるものはなかった。そうした意味でまさに柔和子は相手にとって不足はなかったのである。

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わが一体の家族考(152)

偶然か、必然か

山岸巳代蔵(当時56歳)と福里柔和子(当時38歳)との出会いは、1957年8月第39回の特講(京都、三鈷寺)であった。
運命の赤い糸

柔和子は宮崎県の生れで、少女時代には満州に新国家建設を夢見て馬賊の頭目になることを志願していたという、男勝りの女性であった。柔和子はその実現を目指して、台湾に密航したが二年後、医学徒の福里俊雄と知り合い結婚、しかし一男一女をもうけた後、俊雄と死別、その後長男も病気で亡くしていた。
縁あって九州から四日市へ移ってきて宝石商を始めていた柔和子は県会副議長の岡本善衛の知遇を得て、「涼しい避暑地があるから」と言われて特講会場へ連れてこられたのだった。
最初に感じたインスピレーションを山岸巳代蔵は愛情研鑚会の場で振り返る。
特講が始まって四日目に、「手に合わん女があるから、出てもらいたい」と言われて、進行係に入った。自己紹介の時も山岸でなく、大村公才(キミオ)だった。

“どうせ、もう鼻の高い、まあ、いわゆるああいう、その、代議士なんかに出るような議員型の、っていうかね、もう中性化したような、そういう未亡人ぐらいに思ってましたわね。そらあ、そんなの、なんの興味もなかったですわ、私。”

そしてしばらくして、向こうの方から声が出た。

“「そこにいる大村とかいう名前の人は、なんとか言うたなあ、真実の社会、世界になったら、みんなそんなになりますんか」って、そこで、あの、そんな、あの、髭ぼうぼうと生やした痩せこけた、まあ色男でもないっていうか、醜男と言うたかね。「そんな社会になるのやったら私は嫌いです、人生カサカサですなあ」ってやられる。”
“ところがねえ、それからねえ、おかしいんですわ。それからねえ、私はねえ、無意識ですわ、無意識にねえ、”

彼女の近くに接近していたり、昼の食事時には意識しないのにそこに彼女がいたという。
その辺り本人の口から今少し語ってもらう。

“それで接近して、もう肩に四尺くらいのとこまで接近してたんですよ。そこでねえ、ハッと気が付いて、それからまた、ちょっとやっぱり照れくさいものありましたなあ。照れくさい感じしました。それから離れて、また、それからまた偶然っていうか、必然っていうか分からんですけどねえ、あっそうそう、それからお昼やったな、お昼ご飯食べてねえ――夕飯ではなかったやろ、夕ご飯やったか、どっちか忘れたですけども――あの三鈷寺の台所で私達食べてました、席がないもんですから。そしたら、この、女の席がそこにあったんかどうか分からんですけどねえ、ねえ、意識しないのにそこに柔和子がいましてねえ、”

もしこうした振り返りがなされていなかったら、無固定のヤマギシズム恋愛・結婚観なんてただの平板な遊冶郎(放蕩者)の屁理屈で退けられていただろう。あらためて研鑚会の価値を知らされる思いがする。
ここで山岸巳代蔵と柔和子は〝運命の赤い糸〟を辿るようにして〝人間の力(考え)の及ばないもの〟〝そうせざるを得ないもの、おられないもの〟を直で触っているのだ!

それは好きになろうなんて少しも思わなかったのに、「意識しないのにそこに柔和子がいましてねえ」からはじまる「偶然っていうか、必然っていうか分からん」愛情世界の実践の場に自ずから立たされて、あたかも必然のように能動的に受けとめていく、未だかつてない〝創造の歓び〟への第一歩を踏み出したことを意味した。

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わが一体の家族考(151)

生きる喜び、力の源泉

1956年1月一週間の第一回「山岸会特別講習研鑽会」が参加者一五〇余名で開催された。前日まで準備研などで風呂へも行けず散髪もする事が出来ないほど心身共に山岸巳代蔵は疲れていた。息子の純が書き上げた絵図も夜明けまでかかった。というのも、女の人が浮かんでいる絵が思うように描けなし、とうとうそこだけ自ら描いてやっと間に合ったという。
特講絵図一部

当日特講会場へ向かう際の状態を研鑚会で振り返っている。

“私はもう本当にもう、向島を出て、観月橋を越したらコトッていくんじゃなと思って、もうハイヤーに乗って横にグターとなって、「もう、もうダメやな、家へ帰ろかな」と思っても帰る気力もなかった。「ああ、観月橋を越したところで、コトッていくわな、ああ、そいでもまあいいわな」と思って出掛けた。 ”

講習期間中も、食事も喉を通らない山岸巳代蔵に、四国・松山から参加した大森敏恵の昼夜を分かたぬ看護があった。本人も死を覚悟したものか、ザラ紙に2Bの鉛筆で「ボロと水でタダ働きの出来る士は来たれ」との遺言状を書いた。それが大森敏恵の手当(指圧のようなもの―引用者注)を通して生気を取り戻した。生き返ったのである!

第一回特講終了後、妻・志津子は娘の映と東北方面へ拡大へ出かけたその留守、大森敏恵は山岸宅で身辺の世話をしている。
大森敏恵とは1955年4月松山市で開催された山岸会四国大会で出会った。彼女には子どもが二人あったが、当時夫とは離婚していた。山岸巳代蔵がどんな話をしても「ほう、そんな素晴らしいことが出来るのですか」と言って決して「そんなことしたら大変なことになるでしょう」とは言わない女性であったという。結局この恋は親の反対などで結ばれなかった。

そんな矢先である。
山岸巳代蔵(当時55歳)が井上頼子(当時19歳)に出会ったのは、1956年7月第4回の特講(京都、三鈷寺)であった。両親が特講を受講している山岸会員であったこともあり、同年9月頃から頼子の実家である三重県四日市市の井上与男宅で暮らすことになった。その頃を次のように振り返る。

“まあ頼ちゃんとこれでいけるな、いけるなって、こう思ってたんよ。そして、あっこれでもなんとかなるもんやな、年が違うということは、割合にないもんやなと、こう思ってたし。まあその当時の、あの観方、考え方、感じ、こういうもの出来たね。まあ、与男さんも、そしてあの、親としては何もその、言わないと。「あの娘さえ承知やったら自由や」と。「うちは自由や」と。こういうこと言っておられるし、それをまあ認めてもらっていたわけで。”

その頃の『快適新聞(山岸会機関紙)』に、三重県菰野町の見性寺で開催された高度研鑽会に四日市支部の会員が裏方で活躍する様子が報じられ、山岸巳代蔵も頼子と一緒に六十余人分の食事の献立や材料の買い出しを手伝っている様子が記されている。
きっと山岸巳代蔵にとって頼子という女性は、後にアンケートに自ら答えているような女性像として映っていたのかもしれない。それは女性から見たら一方的な世の男どもの身勝手なキメつけだと断じられるにちがいないのだが……。

“妻の条件として、ボサーと抜けているくらいの人がいい。何事も「どうでしょう」とやられると、かなわない。ハイハイと言われると、わが家に帰ったようでうれしい。明るく、ほがらかで、無邪気で。”(『快適新聞』〝ひとことずつ〟より1959.3.10)

愛情研の中でも山岸巳代蔵は頼子について次のように語る。

“そういう頭の働きを、或いはこの、若さを保つためにかね、そういう功利的な意味で頼子と結び付いておるわけでなしに、もう頼子なしって、もうどうにも生きる気力がないね、今でも。(略)例えばよ、あの、どんな場合にでもよ、僕が頼子に愛しておられると思っておるなればよ、そして愛しているという頼子を感じておる場合にやね、そういう場合にはこの、非常にこの、生きる喜びっていうかね、なんか知らんが、まあ生きる力もらっている。”

と〝頼子によって生かされている〟自分自身を、自転車でいったらタイヤの空気の例えに、先の大森敏恵にみられる女性像にも重ねているように思える。
それは妻・志津子にも後に出会う柔和子にもないものだったという。
こうした、そうしようと思わないのになってきたものの中に愛情の〝複数形態〟の萌芽を見てとれるかもしれない。

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わが一体の家族考(150)

愛情世界の解読

そんな折ふと柿谷さんの「遺言」が思い浮かんだ。たしかヤマギシズム恋愛・結婚観に触れられていたなあと思い出したのである。
柿谷喜一郎

2007年の正月、和歌山県のヤマギシズム生活紀南実顕地の柿谷喜一郎(1929~2016)さんから突然大部の印刷物が送られてきた。数年前から正解ヤマギシズムの探求に取り組む思いが高まり、「遺言」と称してその都度気づいたり考えたことや自分ら夫婦の実践記録などが書き綴られていた。
当時自分はイズム探求以前の課題で悪戦苦闘していた時期で自らしっかり受けとめ吟味する余裕などなかった。
取りあえず一読して次のような感想を記してお礼の手紙としたことがある。

“拝啓 寒気ことのほか厳しい折、お変わりもなくお過ごしのことと存じます。 さて、このたびは「遺言」と称される大部のイズム究明の書を贈呈してもらい有り難うございました。ほんとは何度も読み返し吟味してからの読後感想をとも思いましたが、とりいそぎ一読しての、的はずれになるかもしれませんがざっと感じたままを順不同で記させていただきます。
 昨年の夏頃、やはり柿谷さんと同様のイズムの大先輩であられた、山本作治郞さんの『深奥を探ねて』の著書を読む機会がありました。それまでもお顔は以前から存じ上げていましたが、結局一度もお話しする機会はありませんでした。しかし書かれたものを通して、さすが山作さんだなぁとそのイズムへの究明心を知らされて驚きました。
 なかでも山岸先生の第3輯「恋愛と結婚」のまえがきに書かれてある「宇宙自然の愛護」についての山作さんの深い探求は生涯を通して続けられたようです。私も一生の課題にしたく、感銘を受けました。
 言葉というものは、受け取り方はそれぞれまちまちで全くの誤解に向かう場合もしばしばですが、そこのところを割り切った上で、心を通わせたいとする際には便利で有り難いものだと思ったしだいです。
 今回も柿谷さんの書を読ませてもらって、へぇー柿谷さんはこんなふうに考えているんだぁ、と蒙をひらかれる思いがしました。ふだんの立ち話程度では分からないものだなとつくづく感じたしだいです。

 ○「私意尊重」の究明を軽視してきたことを反省します。
 ○生かし合うには一体以外にない。
 ○無を有にするボロと水の心
 ○何があって、何が無いとはっきりしているか。これが大問題だ、と数字を示して語っているのが愛研。
 ○「夫の行為は妻の一体によってなるもの」 先生の発見であろうが、自然界のことで、世の男、女の実態を数字で顕したもの。
 ○「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる。

 こうした世界を綴られる柿谷さんの世界も、勇躍歓喜の心境で満たされているであろうと推察されます。この世界はまた私自身の目指す世界だと知らされます。
 ただこうした世界と現状の実顕地を直に重ね合わせて、そこから柿谷さんの老婆心のようなものが時々文面から感じられてくる個所があります。お叱りを受けるかもしれませんが、もう少し距離を置いて眺められた方がよいのではないか、と私自身は私なりに自戒しています。さきに「私意尊重」の究明といった文言がありましたが、私自身もこの間の実顕地づくりの中で一番遅れていたのは、私意尊重というか自分で自分を尊重する、配慮するというもっとも人間にとって大切なことの研鑽が軽視されていたところにあったのではないかと反省しています。
「自己より発し自己に還る」といいながら、「真実、それに自己を生かす」とも唱えながら肝心の「自己への配慮 尊重」についての究明は未だしの感があります。現在の私の最大の取り組みどころ、課題です。そうした意味からでも、どうか柿谷さんにももっともっと真の意味でのご自愛を願うものです。
 以上思いつきを二三並べましたが、柿谷さんの力強いイズム究明に賭ける熱意に同調、励まされて勝手なことを言ったかもしれませんが、お許し下さい。
 まずはお礼まで申し上げます。
平成19年1月21日 ”

今度改めてその後も亡くなられる前まで不定期に送られてきた「遺言」集を読み直してみた。そして、そうか今自分が取り組んでいる課題は、山本作治郞(1912~2004)さんや柿谷喜一郎さんなど先人達の流れに位置するのだなあと思い知らされた。
ちなみに夫婦の真字に理想社会の縮図を見る柿谷さんの語録を幾つか並べてみる。
夫婦の真字・ふさい

○夫婦はもちろん,男と女はお互いに無いものを持って生まれてきている。何があって、何が無いとハッキリしているか。
○今までは、男の目で女を見、女の目で男を見るという、常に二つのテーマで混線して語ることをしてきた。
○〝全てを生かす〟というほどのものが、女性に存在しているということはすごいことだ。
○〝美しきもの〟を、ヤマギシでは「生かす」というのかと思う。
○夫婦の一体は、理想社会の縮図として最小単位の理想実現の絶好の舞台であると思う。
○女性は宝物を持って生まれているにも関わらず、自らが宝物を捨てる方向になっている悲劇。越路吹雪が歌う「一寸おたずねします」の歌詞に〝19の時に落とした愛を探して…〟がある。
○当時(1958年)四日市の頼子さんのアパートで先生(山岸巳代蔵)と頼子さんが夜明けまで研鑽していた時、今夜は危険だからといって春日山から四日市まで八人で飛ぶようにして行ってアパートのまわりを寒空の下で夜明けまで夜番しました。心の芯まで凍るようでした。死んでも忘却し得ないほど寒い夜でした。

こうしたイズムの大先達に導かれて、さきの数字に秘められた愛情世界の解読を、〝「理想社会」が浮かんできて、そうなるために具現方式もひらめいて、夫婦で縮図として成せる、となった時、感激だったであろうと想像できる〟世界を行きつ戻りつしながらも探求し続けていこうと思う。

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今世界で起きていること

新年にあたって       
今世界で起きていること

10年ほど前に書かれた小説『ハーモニー』(伊藤計劃著)では、〝大災禍〟で核兵器が使用され世界中に放射能が撒き散らされた後、世界は消費社会から健康を第一に気遣う医療福祉社会へ移行した近未来を舞台に、最先端の科学技術を基盤に個人と社会が完全にハーモニーをみる理想社会をさもありなんと刺激的な表現で生き生きと描かれる。
ハーモニー

生命主義の健康社会では、病気というものの大半を消し去るために人々はWatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムを身体に入れている。そこから外れるものがあれば即座に排除される仕組み。もちろん酒タバコなどの〝不健康な〟嗜好品をたしなむとすぐバレる。WatchMeは健康コンサルタントのサーバーにも繋がってモニターされているのだから。

全てがコントロールされた社会。どこまでも親切で、どこまでも思いやりと共同体意識にあふれたセカイ。公園のジャングルジムから落ちても金属は柔らかく子供を受けとめ決して怪我をすることはない。
そんな優しさに息詰まる世界はまっぴらごめん、と反発する語り手の〝わたし〟トァンとミァハとキアン三人の女子高生の会話から物語は展開していく。

ミァハの自信たっぷりのつぶやき。「このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、ぜんぶわたし自身のもの。そうじゃない?」 だったら、このカラダは自分ひとりのものと宣言するためにとミァハみずから自殺を選択する……。
エーッ!〝身体髪膚これ父母に受く…〟と孔子の時代から言われているように自分の考えで勝手に自殺するって、全人幸福を願う心と真逆の私心ではないのか、とビックリ。 

そんな自分らヤマギシストにとって逆説的に聞こえる数々の臨場感たっぷりのストーリーは、我がこととして感じられてくる。
例えばその後、WatchMeを使って身体の管理を分業化して〝外注〟に出した結果、人は外部のシステムなくしてはその身体を維持することすらかなわず、そのシステムが自殺しろと命じれば、人は何の脈略もなく自分の頭を打ち抜いてしまう事件が勃発し始めたのだ。
完全専門分業社会のワナ!? 専業ではなく分業と呼べる一体の生き方とは似て非なるもの。最も取り組みがいがある課題だ。

物語ではいつしか科学技術は、人の意志を制御する研究へ、完璧な調和した社会実現のために人間の魂をいじる方向へと向かっていたのだ。調和とか完璧な人間という存在を追い求めたら、自我や自意識、自己を消し去ることによって、はじめて個人と社会との利害が一致する理想社会に達したのだ!

これって、〝無我執〟のこと? 半分重なり半分はちがうなあと、じつに興味深い。
内なる心は知らぬ間に外なる科学技術に侵されつつある。まさに今世界で起きていることだ。
すでに自分の健康状態の把握や認知能力は人工知能にはかなわない。次は内なる心の豊かさ、広さ、徳性も、心を持たないアルゴリズムに置き換えられるのだろうか。
このSF小説は問いかける。誰の心にもある〝いつになっても変わらないもの〟を消し去ることが、人類の幸福なのだろうかと。

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わが一体の家族考(149)

空気とタイヤと自転車?

山岸巳代蔵は自分にとって柔和子の、頼子の存在を11月29日の愛情研では次のように語っている。
空気とタイヤと自転車

山岸 ……私はね、ようなんかに例えるけど、例えって、まあそんなに的確に言えない、またとる人によって違うけどね、私はまあ、自転車で言うたらタイヤみたいものやて、ゴムのね。ね、タイヤチューブっていうかね、完全か不完全か、まあそりゃ知らんけど、まあそんなもの。頼子はまあ空気みたいなもんや、ね。それでタイヤっていうものは使えるわけやね。空気の抜けたタイヤっていうものは、そりゃあ、おおよそもう、自転車に取り付けたところで荷厄介になる。それを無理に押したら、バラバラになってタイヤも破れてしまう、こういうこと。私はそういう、まあ、考え方やね、何かしらん、ここが言えるような気がするから、そういうタイヤがやね、柔和子という車体なりね、ハンドルのついたものにやね、組み込んでこそ、こういう仕事が出来る”

そしてまた12月7日の愛情研では柔和子に次のように語りかける。

山岸 俺を生かした方がいいだろう。お前と頼子の放射能によって、この、まさに消えんとする命を、生気を、取り戻すことと思う。
(略)
山岸 全人幸福への分かれ道だ。
(略)
山岸 うん。ウソでもええのよ。ウソでもええのよ。俺に放射能をくれ。生きる力をくれ。”

続けて12月9日の愛情研では、山岸巳代蔵にとって柔和子の、頼子の存在を〝数字〟の例えであらわす発言が見られる。

“柔和子はこれだけで五なら五のものがある”
“それで、三は、三は柔和子と同じもので、二は柔和子にないものやね。”
“そういうものによって五になって、伯仲した力とも言える。これの(パンと手をたたく)きつい結び付きによってね、この愛情実践の世界に及ぶですよ”
“さっき言ったね、「これも五つのうちの、まあ、柔和子が五つ」と、それで、「頼子と僕で五つ」と、こういうことは。「三は柔和子と同じような、こう、能力、そのかわりに柔和子にない二つの能力が僕にはある」と、”
“この僕には五、寄せての五がある、柔和子にないもの二寄せて頼子と同じもの三が、あの、柔和子に……ややこしいね、今の。あの柔和子に三ね、柔和子と同じ三と、柔和子にない二寄せて五として、ここに頼子が入ることによって全部これが生きるということね、ね。ここや、ここんとこね。頼子が二でないの、頼子が二でないわけよ、頼子は全部に生きるわけよ。この三だけも、この三の柔和子と同じ三もやね、頼子が入らなかったらやね、三も生かされない。むろんこの二もやね、働かないと、こういうものを僕は感じるの。そういうものを感じる。”

こうした数字に例えて分かりやすく言おうとするのだけれど、聞いている方はますますややこしくなってくる? 前後の山岸巳代蔵の発言を拾いながら自分なりに整理してみる。
要するに柔和子は、〝五〟ともいえるこの間の〝百万羽〟構想を実現していく力を備えている女性。一方頼子は、ただ愛一筋、愛だけでもう生きているような女性。そうした異いが次のような発言からもうかがえる

“頼子と二人っきりだった当時を思うと、省みるとね、頼子によってね、この生きる力やね、生かされていたと思うの。やっぱり米とか空気とか水とかいろいろのものでこう、人間生かされているわね。周囲の愛情とかこういうもので生かされておるけどね、それはね、頼子によってね、生かされていると。”
“あの、どんな場合にでもよ、僕が頼子に愛しておられると思っておるなればよ、そして愛しているという頼子を感じておる場合にやね、そういう場合にはこの、非常にこの、生きる喜びっていうかね、なんか知らんが、まあ生きる力もらっている。”
“もう頼子を知ってからっていうものはね、もう他には要らないの。ニコニコ、話がふわーっと明るい、こういう感じやね。そうすると、生き生きした仕事が出来るの。”
“私の考える働きを持つところへやね、ちょうどエンジンがあってやね、そこへこの、あれが送られるというかね、ガソリンが送られると、まあこう考えてもええと思うね、”
“頼子と一緒にいるっていうことは、自分が生かされるのやと、頼子と僕と結び付いて、そういうことになるのやと、こう思うね。これは、こんなのこじつけやないと思います。何回考えても、そういうふうに思われます。”
“私は頼子によってよ、そういう若い働き(19,20、21、22、23、24、25のその時分の考え―引用者注)があるので、その働きを生かすものが柔和子やったと、ね、実、具現化していくものね、実現していくものは柔和子やと思う。”
“柔和子一人では仕事にならないものがね。”
“頼子と僕と二人寄ってよ、ね、の力と、柔和子の一人の力とね、同じやと言えると思うの。頼子を取った僕はもう全然ダメやと。ね、頼子と僕とね、こう結び付いたものやね、それがもう今度はまた柔和子と結び付くことによってやけど、これ、こうやと思うわ。”

うーん、〝ここや、ここんとこね〟とか〝これ、こうやと思うわ〟と納得できる〝ここ〟とか〝これ〟がピンと来ない。しかも二とか三とか五という数字で例えられるとますますこんがらかってくる。やはりたんなる遊冶郎(放蕩者)のその場しのぎの屁理屈にすぎないのだろうか。
否むしろここを避けてはヤマギシズム恋愛・結婚観が立ち現れてこないのではないかという気がしてならないのだ。

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わが一体の家族考(148)

無神論者が神を拝む?

さきの愛情研鑚会で、柔和子から〝先生に対する愛情が消えた〟と言われてすっかり落ち込んでしまった山岸巳代蔵は、
“この危機を救ってくれ。ウソでもいい、同情でもいい、何でもいい。”
と哀願するのだった。
それが関係者の必死の働きかけで、12月9日に引き続き研鑚会を持つことができた。その間の山岸巳代蔵の心の動きを研鑚会記録からたどってみることにする。

“そのね、まあ、――「愛情がもう、フッと消えた」って、「なくなった」って言われたらね、それまではたくさんに思っていたんよ。たくさんに思うてましたわ、柔和子を。もう絶対大丈夫と思うてたんやね。「そんなもん、二人の仲崩れるか」と思ってね、思って安心して、たくさんにしてたんやけどね。「たくさんに」っていう言葉、粗末に扱うかね、そんな有り難さ知らなんだや。さあ、これが、「なくなった」と言われたら、もう、そりゃ、立っても居てもいられんのよ、もう。それはその間際まで知らなんだんやで。ええ調子になって、ええ気になってたんや、「こりゃええなあ」と思ってたんや。
側にいると、それほど有り難さが分からんと。
「愛情がフッと消えた」って言うの。そーりゃ、そうしたらもうまっ暗よ。
死にたい衝動やったんや。もうこの汽車の窓から飛び出したろかと思ったんや。”

そんな〝もう生きていたいことない〟気持ちにかられていた時、周りから〝脈がまだちょっとある〟(実際はウソ話―引用者注)と聞かされたけで〝ホンマかいな〟と嬉しくなる山岸巳代蔵がいた。〝春日山〟の裏手に位置する春日神社へ五円お賽銭あげて一生懸命拝んだ。そんな藁をも掴む気持ちだった。
春日神社

“本当にこんなに変わるもんやね、人の心って、ね。悲惨の思いで和雄さん頼んで、嘆願して連れてきてもろうて、それでそこで、もう絶望になって、それで今度は嬉しいなって、そしてあの、あれどこやら、春日へ行って、ね、それで夕べ遅う来てから、ね、あの、ようやくにして頼子ここへ来てくれるようになったんやね。それでここで喜んだけども、そりゃ喜んだり、もう気が抜けたりね、こんなに変わるもんやね、人の心っていうのはこんなもんやね。で、愛情があるの、ないのっていうようなことはね、「あったなあ」と、「あの時こうだったなあ」ということは言えるけど、これから先のことは分からへん。”

と振りかえる。研鑚会でも次のようなやりとりが興味深い。

戎井 僕は今、愛情がね、「本当の愛情がぶっつり切れた」ということに対して、「いや、切れたと思わない」という観方と、二つに別れておるわけですな。「そりゃ、本人が一番よく分かるんじゃないか」というような発言したんですけども、よく考えてみると、本人が、「ない」と、「もうぶっつりと切れた」と思い込んでいる場合もなきにしもあらずだから、問題がこの、少し僕の考え方が単純すぎるかも分からんですけども、福里柔和さんに、愛情が本当にないのか、ないと思い込んでおるのか、全然……、そこを検べるのが、一番の眼目じゃないですか。
山岸 それをね、検べてもね、検べられないと僕は思うのよ。検べられないと思うの。だいたいね、この絶対愛というものは、もうこれは不動のものやと思うがね、夫婦愛情というものはね、起ったり消えたりするものやと思う。(中略)
で、本人が、「ああ、今、なんか知らんが夫婦愛情がない」と、これは思っているのよ、そやけど自分で検べてもそれは分からん。後から、「あっ、あの時はないと思っておったが、やっぱりなんか残っていたんだな」とか、「あの時は本当に消えたけど、また起ったんだな」とか、こういうことは後になって、まあそういう判断するだけで、それも本当のことをキャッチ出来るかどうか、僕は、これさえも分からんと思うの。「あの時消えてしまったんだと思っておるのが、消えておらなかったんだ」ということも、言えるか言えないか分からん。
まあ、後になって振り返ってみて、ずうっと終生続いたら、これがまあ終生の夫婦愛情で、そして一時的のものであれば、一時的の夫婦愛情と。それから濃淡もあると思う。濃いものもあれば薄いものもある、いろいろやと思うね。”

そしてそこから柔和子と結婚に踏み切った時の心境を振り返る。

“何でもない時よ。ただもう、「好きや、好きや」で、まさか結婚するとは思ってませんわね、その当時。ところがね、「川瀬さん(山岸会員、警察官―引用者注)によろめこうか」っていうような言葉が出るには、その元があるのよ、ね、何かあったんや。そんなこと聞いた時にね、川瀬さんに対しての嫉妬ではなかった、「川瀬さん、むしろ、あ、そらいいことやな」って言うたんや、。「それもよかろう」と、こう言ったんです、。本当にそう思っていたけどね、非常にさびしいもの感じたんかね、もう自分の気持がイライラして慌て出すのやね、騒ぎ立つのやね。”

と、もうたまらなく気分が落ち着かない失恋状態になって始めて無意識のうちに柔和子を愛していることを発見したという。ところが、

“そうするとね、楽しいはずでありながら、柔和子の所にいると、いつもいつもいつもいるから、それほども楽しさが、もう常識になって感じられないと、有り難さが分からんと、ね。そこへこっちの方へその、そんな状態の時に行けないという、その、堪らないものね。それで、「なんとかして頼子のとこへ行きたいなあ」って、また会いたい会いたい、とっても会いたい時があるのよ。”

といった発言から、しだいに研鑽は柔和子のところにいつもいると有り難みが分からなくなるし、愛情一筋で生きている、それだけを頼りに生きている頼子がさびしいがゆえにか〝もう私は要らないものだ〟とする危ない場面を実演するし、一方自分には柔和子に対してなんか縛られるような気がして堪らないといったアンビバレンツな心境を洗いざらいぶちまける。
いったいここで山岸巳代蔵は何を言いたいのだろうか。遊冶郎(放蕩者)の身勝手な言い分にすぎないのだろうか。
11月29日の愛情研では、宇宙自然界の保ち合いの理に合う人間同士の結婚形態について言及している。そこでは〝間違いない性生活〟のあらわれを、

“それは自由でいいと思う。また自由以外にないと思う。自由に任した、任したものでいいと思う。任すより他ないと思う。”

として本当の自由の世界を、一体の生き方を、愛情世界の〝自由〟に重ねているのだ。
ムチャクチャ飛躍している!?
ともあれ山岸巳代蔵にとって柔和子の、頼子の存在とは何なのか、愛情の複数形態とは……、と研鑽は佳境にさしかかってくる。

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